今日は老人になると自然林に感動し、蕎麦の味が分かるようになるという話を書きます。私の体験です。
自然林は天然林とも言いますが、自然の力で出来上がった林のことで、人間の作った人工林とは大変違った植生をしています。
これこそ武蔵野の本物の森林です。
私が知っている自然林は神代植物公園の中にあります。鉄柵で厳重に囲まれた数ヘクタールの混成林です。
もう一つは東久留米市の黒目川の源流地に保存してある混成林です。
自然林では周囲の樹木から運ばれてきた種子が発芽し、成長して森林が形成されます。従って樹木の種類も多様でその年齢もさまざまです。
武蔵野の自然林はクヌギ、コナラ、カシワ、エゴノキ、ケヤキ、モミジ、松、杉など様々の木々が混じっています。人間の手が入らないのでおのずと大木になっています。朽ち果てた倒木があちこちにあり歩き回ることが出来ません。
武蔵野の雑木林の大部分は人工林です。そして自然林と人工林の見分けは簡単です。
東久留米市に保存してある自然林の写真を撮ってきました。冬近い自然林では、空に大木が梢を伸ばし寒い風が林の中から吹いていました。東久留米の自然林の写真をお送りいたします。
思い返いしてみると現役で仕事をしていた間は忙しくて雑木林をゆっくり眺めて楽しむことがなかなか出来ませんでした。
若い頃から雑木林は好きでしたが整然とした里山の人工林の方が好きでした。
しかし老境になると縄文時代から続くように見える自然林に感動するようになったのです。
もう一つ老境になって感動するものに蕎麦の味があります。私は老境に至って蕎麦の美味しさが初めて分かってきたのです。
若い頃は蕎麦やうどんはお米のご飯の代用食という固定観念を持っていたのでなるべく敬遠していました。戦中、戦後の食料難の時代を経験しているので、白いご飯にあこがれていたのです。お米の代用食はそば、うどん、じゃがいも、さつまいも、コーリャン、などなどでした。
ところが東京に住みはじてみると蕎麦の味がわかる人を尊敬する文化があるのです。これには少なからず驚きました。江戸時代のなごりでしょうか。
通ぶってつゆを少しだけつけて蕎麦を粋にすする人もいます。そして美味しい蕎麦の打ち方について薀蓄を披露する人もいるのです。
蕎麦の栽培地と天候による味の相違、石臼で挽くときの速度、粉の練り方、打ち方、切り方、ゆで方、などについていろいろ聞きました。ですから美味しい蕎麦のつくりかたの理屈はすっかり暗記しています。
しかしソバは所詮ソバに過ぎません。鰻の蒲焼、黒毛和牛のステーキにはかないません。はっきり言えばまずい食品です。それが証拠には美食趣味の京都、大阪の人々はあまり食べません。箱根の関から西の方ではソバはほとんど食べられません。
話は飛びますが、相模湖のそばに「喜庵」という美味しい蕎麦屋があります。ご主人が駒沢大学時代に箱根駅伝へ4年間連続出場した往年のマラソンの選手だったのです。
箱根駅伝のファンの家内がご主人と話し意気投合したので私も仲良くなりました。ソバは天麩羅などのたねものは一切とらずにザルかモリにします。
このように老境にいたると好みの料理も変化し、ものの見方や考え方も変わります。蕎麦が好きになり人工林より自然林が好きになるのです。
そして自分の人生は一朝邯鄲の夢に過ぎないと実感できるようになるのです。
このように老境は私にとって非常に楽しい人生の時期なのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)