後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

外国の学校を卒業すると人生観が変わる

2018年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
人がどのような学校を卒業するかは運命のようなものです。
それを人生の終わり頃に振り返ってみると、私の人生観に対して意外に大きな影響を与えていることに気が付きます。人生観や、ものの考え方へ大きな影響を与えているのです。国際観にも大きな影響を受けました。
例えば私は中国や台湾や韓国や北朝鮮へ対して親近感を持っています。これらの国のことを好意的に書きます。
すると多くの読者から厳しい非難のコメントを頂きます。
そこで何故、私の国際感覚は多くの日本人と違うのか考え込んでしまいます。

最近気が付いたことですが、私の国際感覚はアメリカの大学を卒業したことで決定されたのだと思います。私の中国や台湾や韓国や北朝鮮へ対しての親近感はアメリカの大学を卒業した時に出来たのです。
卒業、卒業と繰り返し強調するのは理由があるのです。アメリカの大学は入学は易しいのですが、卒業するためには何度も厳しい筆記試験や口頭試験を通らなければなりません。日本の大学と全く違う世界なのです。
それでは私の人生観がどのように変わったか例をあげて書いてみます。

(1)見かけによらず優しい先生に世話になる。
その先生はギャングのアルカポネそっくりでした。ところが講義が分かり易く、試験も簡単な問題ばかりです。人柄が優しくて私の友人を日本から招んでくれました。奨学金も出してくれました。私は絶対に「人は見かけによらない」という人生観を持ったのです。

(2)終生付き合った友人が2人出来ました。
一人はB29で日本空襲に何度も来た空軍大佐でした。もう一人は真面目一方の男でした。釣りが趣味で終いにはアラスカに住みついて大物の鮭を釣って喜んでいました。
空軍大佐は英語の出来ない私にノートを貸してくれたり、宿題を助けてくれたりしたのです。
この2人の友人のお陰で、私は「友情は国籍に関係ない」という人生観を持ったのです。

(3)私の入っていたクラスは18人位でしたが私以外は皆ヨーロッパ系の人でした。
そうしたらある時、韓国人が入ってきました。すると周りの友人達が私に韓国人へ親切にしろと言うのです。隣の国同士だから仲良くしろと言うのです。
戦後直ぐの頃、私は朝鮮人の友人の家によく遊びに行ったことを思い出しました。その朝鮮人の家族から大切にされたことを思い出しました。そんな経験もあったお陰で、私は「漢字文化圏の人は私の親類だ」という人生観を持つようになったのです。

(4)私の指導教官は個人的なことまで全ての面倒をみてくれました。
婚約者を日本から呼びよせてアメリカで結婚式と披露宴をしました。その折、指導教官夫妻が全ての準備をしてくれたのです。
結婚式と披露宴には同級生が夫妻で出席してくれました。
家内の出産の際にもいろいろお世話になりました。我々をアジア人として差別しなかったのです。
この経験から私は、「人種差別は絶対にすべきでない」という人生観を持つようになりました。
さて一方、多くの日本人は韓国人や中国人を蔑視しています。彼等を信用しないのです。そのような態度を見ると悲しくなります。
他国を蔑視することで自分の人格を傷つけていることに気がついていなのです。人種差別は自分の人格を破壊していることに気が付いていないのです。残念です。

運命のいたずらか、私はアメリカの大学を卒業しました。正確に言えばオハイオ州立大学の大学院を卒業しました。
そのせいで私の人生観は大きく変わったのです。仕方の無いことです。
この欄でしばしば国際関係に関する記事を書くと自分の国際観が多くの日本人と違うことに気が付きます。どちらが正しく、どちらが間違っているかは判然としません。どちらも間違っているのかも知れません。それも人生なのでしょう。

今日の挿し絵代わりの写真は先週、八ヶ岳山麓で撮った梅雨明けの空のたたずまいと八千穂高原の白樺林の風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





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