私のブログ世界での友人の、ひかるの さんが久しぶりに日本へ帰り、東京の御茶ノ水の神田小川町の『TEORIYA』というギャラリーで、インド刺繍とインドサリーが中心の展示会を開催致します。
開催の期間は12月8日から13日までの予定です。ギャラリーTEORIYAの説明は、http://miasa.biz/link.html に御座います。
開場の日時が最終決定次第、もう一度ご紹介しますが、第一報としてここにご報告いたします。ひかるのさんにお会い出来るチャンスでもあります。
是非、お訪ね下さいますように御願い申し上げます。
敬具、藤山杜人
昨日、横浜にぎわい座で、立川ぜん馬の「らくだ」を聞いてきました。上の写真の真ん中が、ぜん馬師匠でその右左が私の大学時代の友人のGさんとOさんです。Oさんがぜん馬師匠を応援していて、Oさんのご招待でした。高座のあとの飲み会での写真です。下の3枚の写真は横浜、桜木町の「横浜にぎわい座」の様子です。
久しぶりに40分にわたる江戸落語、「らくだ」 をじっくりと聞きました。静かな語りに引き込まれ、つい身をのり出して聞きました。
長屋の嫌われ者のらくだの馬さんが河豚にあたって死に、その弔いを、やくざな兄貴分がしようとします。偶然、来合わせた くず屋を、因業な大家さんのところへやって、上等な酒や野菜の煮しめを届けさせます。死んだ らくだの馬さんを くず屋が背負っていって家主の前で かんかんのうを踊らせて怖がらせたので、震えあがって、すぐに届けてきました。やくざな兄貴分が酒3升と大皿のにしめを前にしてくず屋へ無理無理酒を飲ませます。次第に酔ってきたくず屋は兄貴分にからんだり、脅かしたりします。主客転倒するわけです。
落語に登場する やくざな兄貴分、くず屋や因業な大家とそのばあさん、などの江戸時代の人物がいきいきと話しだします。江戸時代の長屋へ自分が立って見ているような気分になります。次第に酔ってきた くず屋が身の上話をします。借金の保証人にたったばかりに自分の店をなくしたと言います。しまいにはやくざな兄貴分へ大声を出します。上等な酒なのでつい飲んでしまったのです。
ぜん馬師匠の芸は人の心を落ち着かせながら笑わせます。酔っていく くず屋とやくざな兄貴分が次第に主客転倒して行きます。その間合いが絶妙です。登場人物の個性を演じ分けます。ああこれが江戸落語だ。テレビでは見られない芸だ。
そんな感じで江戸の下町へ遊びに行ったような気分になります。
高座のあとの酒席で ぜん馬師匠は向かいに座っていました。終始控え目にニコニコ笑っています。テレビなどとまったく別世界の江戸時代の気の良い職人のようです。小生の隣に座った奥さんが独りで喋っています。
ぜん馬さんは立川談志名人の一番弟子だそうです。10年に一回しか褒めない談志師匠に「ぜん馬は落語が上手だ」と褒められたそうです。奥さんが言ってました。
帰宅して夜10時からのスマップの番組へ立川談志名人がゲストとして出ていました。談志名人は弟子をたくさん育てました。弟子達の写真がでましたが、その中央にぜん馬さんの姿がありました。偶然とはいえ、同じ日に談志名人とぜん馬師匠に会えました。
尚、奥さんは「さこみちよ」という美形の芸人です。その芸の紹介は別の記事で致します。(終わり)
補足 「かんかんんのう」とは…(ウィキペディアから引用)
歌詞の大意は、「御覧なさい、あの人がくれた中国の知恵の輪「九連環」、両手で持って解いても解けやせぬ、刀で切っても切れやせぬ(後略)」江戸時代の文文政3年(1820)の春、長崎の人が難波で踊ったことから始まったことから「唐人踊(とうじんおどり)」と呼ばれ、名古屋、江戸でも大流行した。その歌詞の元歌となった「九連環」の一番の歌詞は、以下のとおりである。人々はこの元歌が中国伝来の歌であることは認識していたが、歌詞の意味は把握しておらず、中国語風の一種のナンセンス・ソングとして楽しんだのである。
昨日は、朝7時に家を出て、9時30分に山林の中の小屋に着いた。曇りながら見通しの良い天候である。甲斐駒、八ヶ岳の峰のひだに雪がつもり、山肌が立体的に見える。山林の中の小屋は寒い。今にも雪がちらつきそうな寒さである。
すぐに薪ストーブを燃やす。煙がストーブから煙突に吸い込まれるゴーッという音がして、部屋中が温まる。薪をくべながら、午前中は読書で過ごす。窓の外には下の写真のような地味な黄色にそまった雑木の大木が木枯らしに揺れている。雑木はコナラ、クヌギ、ヤマカシ、ミズキ、ヤマウルシなどなど。小屋を作った1973年にはヒョロヒョロした小さな木々であった。35年たつと腕がやっと廻るくらいの大木になる。
亭々と聳える木々の黄葉を見ていると時の流れの不思議さに心がうたれる。
持参のシチューの鍋をストーブで暖め、昼食。午後は薪つくりをして帰宅した。
薪取りの途中、鬼家さんの山荘を訪ねる。彼のブログ、http://sizen068.blog95.fc2.com/の記事のとうり元気だった。
帰路に武川米の農林48号の新米と野菜を色々買い帰宅する。(終わり)
撮影場所:山梨県北杜市武川町柳沢の小屋の窓から、撮影日時:11月9日、
撮影者:Mrs.藤山
庭仕事は好きでないが、秋の終わりには、伸び放題の木々の枝をおろして、綺麗に切り揃えて、束にする。そんな束を7つ8つもゴミ収集日に出して、持って行ってもらう。高い脚立に登る作業が年々大仕事になってくる。
でも、それが終わると庭がサッパリとしてクリスマスやお正月を迎える準備が終わる。今年もこの庭の整理がおわった。
毎年、枝の切り方に苦労する。梅は来春、花が咲くように、柿の木やブドウの蔦はまた実がたくさんなるように切らねばならない。花の芽の付きそうな小枝を残したつもりだが、花が少ししか咲かないことになる。何年も、にわか庭師をしているが剪定が一向に分からない。
それに雑草がすごい。梅雨時1回、夏に2回、雑草とりをする。ヤブ蚊がすごい。
30坪も無い庭でも結構仕事が絶えない。
大体、庭には植物が多すぎる。
柿の木、白・紅梅の木、椿5本、小さな桜の木、ムクゲが3ケ所、紫陽花多数、沈丁花、美女柳、ネコヤナギ、白・黄山吹、盆栽を下ろしたケヤキ、山椒の木、ベイリーフ、カラタチの木、ドウダン、ネコヤナギ、白萩、定家かずら、花ジンジャー、ドイツアイリス、つわぶき、ミョウガ、クロッカス、ヒヤシンス、水仙いろいろ、チューリップ、水盤には金魚と睡蓮、それに潮来で買ってきた根付きのあやめ、などなどが計画性なしに雑然と成長している。
シイタケの原木5本もある。庭に住みついているガマも居る。どこでオタマジャクシが生きているのかが謎だ。
庭仕事は家人も手伝って、植物のことを話しあいながら楽しく進める。今年は夕顔を植えた。これがあたって8月から11月の始めまで毎晩、真っ白な大きな花が次々と咲いてくれた。
庭師仕事は苦労も多いが、引退後は暇になるので意外に楽しい趣味になりつつあります。
下の写真は東京都羽村市の多摩川ベリにある魚観荘の庭にある茶室入り口です。
プロの庭師の仕事ぶりの見事さに驚きます。このような茶室を持つのが夢です。でもこの世ではかなわない夢です。
詳しくは、 http://www.gyokansou.co.jp/index.htm をご覧下さい。(終わり)
アメリカに1960年から1962年まで住んでいた。黒人はどんなに才能があり、人格が良くても社会の上流に立てない。人種差別や階級制度の無い日本からは想像もつかない厳しい差別社会であった。黒人と白人の住む場所が分かれ、あらゆる場面で黒人差別が残酷なまでに実施されていた。時代の流れと共にこの悪しき風潮も、ゆっくりながら薄れてきました。
そしてついにオバマさんが次期大統領になったのです。そのお陰で、社会的な黒人差別が一層無くなった。少なくとも差別解消のシンボルになった。アメリカは世界に冠たる超大国である。その国の大統領になったことは世界の頂点に黒人が立ったことになる。
いろいろな国でアフリカ系の黒人だからという理由だけで社会的な差別に苦しんで来た人々にとってこんなに明るい出来事は無い。全ての黒人へ祝福が与えられたような気がする。兎に角、21世紀の歴史的な大事件である。
しかし私的な、個人的なレベルでの黒人差別は消滅しない。黒人は醜いと思っている人が居る限り差別を受ける。
アメリカで先住民族は見た目では分からない。アジア系のアメリカ人に見える。従って日常、個人的な差別を受けない。
しかし黒人は見て、すぐに分かる。見知らぬ白人から個人的な差別を受ける。
街中のエレベーターの前に白人の女性と黒人の女性が待っていたとする。エレベーターが来たとき白人の女が当然のように先に乗り込む。貸家の家主が白人には家を貸すが、黒人へはもっともらしい理由をつけて貸さない。白人の住宅街は清潔で綺麗だが黒人の住宅街はなんとなく汚い。それで白人は黒人を軽蔑する。個人的レベルの人種差別が、「見かけの美や醜」に直結すると途端に根深い問題になる。美人は大切にされるが、そうでない女は大切にされない。何故でしょうか?
オバマさんが、世界の頂点にたっても黒人の不幸はそう簡単に解消しない。黒人を美しいと思う人々が増大しなければならない。見かけではなく人間の内面の美しさで評価する文化が強烈に定着しなければいけない。
ブログの素晴らしさは、書いている人々の顔や姿が一切見えないことです。文章や写真の出来・不出来だけで評価されます。人種も住んでいる場所も関係なくブログの上での作品の良し悪しだけで評価されます。
ところが現実の世界では絶対にそうなりません。美醜の相対的比較がことを決めることが多すぎます。
オバマさんが大統領になっても、人間一人一人の罪深さは一向に改善されないようです。しかし、あきらめないで改善する努力することが大切ではないでしょうか?
(続く)
先日、ここは何処でしょう?という謎々で、バーンズ財団美術館をご紹介しました。
それにまつわる余話を書きます。
心底好きになったW氏をワシントンDCのペンタゴンへ訪ねました。1999年の頃です。
日本では、お役所にいる人を訪ねるとやたら横柄な態度をとる人がいます。役所の外であうときと人格が変わっています。しかしWさんは、日本で一緒に旅したときと全く同じです。地味で人懐かしい雰囲気です。低い声でボソボソと話します。
そしてアメリカへ来たら仕事だけでなく美術館へも行けと、バーンズを教えてくれました。
さっそく、次の日、電車に2時間近く乗って、フィラデルフィヤ市の郊外にあるバーンズ美術館へ行きます。小さな郊外の駅に降り立つとタクシーが居ません。来る様子もありません。すっかり途方にくれていたら一台の乗用車がスウッと近づいてきます。
若い女が、「何処へ行きます?」と聞いてくれる。バーンズですと答えると、送ってくれると言う。渡りに舟だねと、小声で独り言をいいながら乗り込む。車の中ではバーンズのことをどうして知っているの?と聞く。「ペンタゴンのWさんに教わったのさ」。
「ペンタゴンは大嫌い。でもWさんは絵が好きだからきっと善い人ね」と言う。
10分くらいで美術館に着く。この女性の屈託のない親切さが忘れられない。
バーンズは個人の邸宅を美術館にしている。膨大なコレクションを数個の部屋の壁に可能な限り多数展示してある。壁一面に絵画が展示してある部屋もある。
印象派の絵画が多い。このように壁一面に展示されると、画家の息使いが直接顔にかかって来る様である。先日のナゾナゾで出した写真は壁の絵の数が少ない部屋のものだ。部屋を回りながら興奮してきて体が熱くなる。
ある部屋の壁にビッシリとセザンヌの絵が掛けてある。何人かの女性がなだらかに横たわった例の構図のものだ。描きかけたもの、途中でやめた絵、どこか気にくわなくて途中で放棄したような絵などが、同じ構図で20枚以上くらい展示してある。
セザンヌの好きな人に怒られるかも知れないが、「ああ、セザンヌは失敗作の多い画家だったのか!失敗作の無い画家もいるのだろうか?」などと親近感が沸いてくる。
ペンタゴンからバーンズへ廻る小さな旅のエピソードです。(終わり)

1998年頃、私はアメリカ政府の国防省先端研究庁の依頼で日本の研究情報を収集する仕事をしたことがある。ある特定の分野の研究マネージャーのW氏とメールの交換をし、訪日したとき一緒に情報収集の旅をした。そのWさんの人柄が心底好きになってしまった。
今回の話は僕が好きになった、そのWさんの人柄を書きます。
情報収集の契約をする前に貰ったメールに、まず感動した。「君が感心する日本の研究の情報を集めて自由に報告して下さい。どのような報告書を作るかは全く自由です。ただ君個人の評価や感想を必ず付け加えて下さい。情報収集は公開情報に限定して下さい」
こんな契約ならばと、早速、ある分野の学会誌をすこし見て、日本の研究者の名前と論文題目を送る。それに対してWさんからは、心から感謝している様子の返事を必ずくれる。そして日本の研究のそれぞれの良い点を褒めている。僕の日本自慢の心へ火をつけるようなメールである。
全国の大学や民間機関を丁寧に訪ねまわり、研究者から研究の苦労話を聞く。報告書をWさんへ送る。Wさんは直ぐ返事をくれ、報告書の内容を褒める。あまり褒めるので、私も次第に本気で仕事へ打ち込んだ。
メールの交換の後、Wさんが来日した。60歳前くらのズングリ太った地味な普通の男である。風采が上がらないと言ったほうが真実に近い。低い声で分かり難い英語をボソボソと話す。メールの切れ味の良い文章とは違う。
北海道大学から九州大学までの全国の大学や東芝、ソニー、松下、日立、富士通、日本電気などの基礎研究所を廻る旅を一緒にした。新幹線の中で個人的な話をする。他人へ優しく、寛容で、人柄が温かで、人懐っこくて、常に自己反省的な言葉をつぶやいている。「研究生活を止めてマネージャー業になったのが良かったのだろうか?」、「アメリカ国民の莫大な税金をこの課題の研究へ使うことは本当に正しいのだろうか?」、「君はどう思う?」。こんな独り言のような問いである。
後で知ったが、彼は超電導現象の研究では世界的に有名な科学者であった。
話がいきなり飛びます。Wさんの下で働いて分かったことです。
情報収集のマネージャーは第一に人間的魅力がなければいけない。どんな人種の人でも吸い付けるような光を発している。この人の為ならなんでもしようという気持ちにさせる神秘的な力を持っている。その人の下で働いている人は次第に深みにはいり何でもしてしまいます。
もっと話が飛躍します。ゾルゲと尾崎秀実の関係もそうだったのでしょう。
日本の法律にふれ2人は処刑されました。ゾルゲさんは欠点も多い人だったらしいが、人を惹きつける神秘的な光を出していた。そして尾崎さんが深みにはまった。
スケールが小さくなり恐縮だが、鈴木宗雄さんと佐藤優さんの関係にも何か共通なものを感じています。
しかし裁判の過程では人間の神秘的な光など議論の対象には決してならない。あくまでも法律に違反しているか否かだけである。でも人間の魂は別の世界を自由に飛び回っているのです。Wさんは訪問先の日本人を全て惹きつける。後で小生から彼らにメールを送ったり、再び訪問すると、Wさんの人柄を必ず褒めていた。
Wさんを国防省へ訪ねたときも、相変わらず風采があがらない姿だったが、人を惹きつける光をだしていた。(続く)
なお、関連記事は、外国体験のいろいろ(14)アメリカ流情報の分析のしかた(11月27日掲載記事)に御座います。
アメリカにおける黒人差別は、世界中の心ある人々みんなが暗い気持ちで眺めて居ます。
オバマさんが大統領になっても差別意識は急には変わりません。ところがアメリカで差別されているのは黒人だけではありません。
いつも貴重なコメントを下さる、mugi さんから貴重な投稿がコメントとして頂きました。
皆様にもお考え頂きたいと思い、以下に」ご紹介します。
===========mugi さんのコメント============
ところで、藤山杜人様は米国在住中、インディアンことネイティブ・アメリカンと会ったことはあるでしょうか?
先住民の彼らは黒人より貧しく悲惨な生活を送るものも少なくないとか。インディアンは1924年までには公民権もなく、アメリカにいる外国人扱いだったそうです。ハワイもそうですが、一番社会の底辺にいるのが先住民族とは惨い。
マキアベリは移住者について書いています。彼が発想を得たのは聖書の聖絶や古代ローマの蛮族ですが、新大陸でも同じことが繰り返されました。
「この、やむを得ずにしても新天地を求めて侵入してきた民族がもしも非常に多数の人間からなっている場合は、必ずといってよいほど先住民族を追い出し、殺し、財産を奪った果てに新国家を建設するようになる」。
=================================
インデアンの人々とは一度だけ話しました。酒場のカウンター越しに彼と随分踏込んだ話をしました。日本人は同じ人種だと言いますと、彼は自分の種族は代々オハイオに住んでいたことなど詳しく話してくれました。そのときオハイオはインデアンの言葉に由来する地名だと教えてくれました。そしてアメリカの他の州の名前にもインデアンの言葉に由来するのが多いとも教えてくれました。北海道の地名の多くがアイヌ語に由来しているのと同じですね。その事を説明しました。それだけの話です。
アメリカにおける先住民差別と黒人差別は歴史的事情も差別の仕方も非常に違います。そのことは「人間の差別意識の根源」を取り上げるとき筆者の理解したことを書いてみたいと思います。
mugi さん、貴重なコメント有難う御座いました。(終わり)
前後の記事が少しややこしい話題でしたので気分を変えて頂くために、記事内容とは関係のない富士山、山中湖のヨットの風景をお送りします。寛いだご気分になって頂ければ嬉しいです。
日本人の愛国心は先祖代々生まれ育った国だから日本を祖国として愛する。
アメリカ人の愛国心はまったく異質だ。自分が、あるいは親が、祖先がアメリカへ移住してチャンスを貰って、成功したからアメリカを愛する。自分の祖国では一生下積みの苦しい生活を続けなければならない階級や家族階層に生まれた。アメリカへ移住したお陰でこの暗い境遇を一変し、社会の上流へ登ることば出来た。チャンスは何処にでもある。祖国では氏素性、学歴によって運命が決まっていて、チャンスなど何処にも無い。
アメリカンドリームは、アメリカ人が誇りにしている特別なもので、他国には存在しない。
それを実際体験した人をアメリカ人は信頼する。その人はアメリカを愛し、必ずアメリカへ恩返し(Pay Back)する。一番、安心して大統領にしたい人だ。これは僕自身の体験から言っていることだ。
オバマさんの育った境遇を見る。アメリカ以外の国ではこんなに若くして上院議員になれたであろうか?上院議員一期のみの実績で民主党の大統領候補になれただろうか?
オバマさんが、白も黒も、金持ちもそうでない人も、障害者もそうでない人も、みんな協力してこのアメリカを変えよう!Yes We Can !と叫ぶとき、彼の深い愛国心を感じる。アメリカ人にとって説明は要らない。彼は「The United States Of America 」と何度も言う。その度に”United”という言葉をゆっくり、万感の感謝の感情を込めて発音する。ユーナイテッドのユーをゆっくり力強く発言する。
アメリカに住んでみると、彼らは自分の国のことを自慢したり、国へ感謝している会話のときにはStates では、と言う。少し正式な言い方ではUnited をゆっくり発音する。この発音を聞くと大抵のアメリカ人の表情が明るく、そして少し厳かになる。
オバマさんの演説を聞いていると、彼の愛国心は献身的で、邪心が無いと感じる。
社会を変えなければいけないという閉塞感を、Yes We Can Change !と叫ぶことで票を集めたという日本のマスコミが賢そうに解説している。間違ってはいないが、目に見えない本質的なことを見落としている。
僕でさえ、アメリカへ対して恩義を感じているのだ。一種の、アメリカへ対する愛国心と言うことが出来る。何故か? いつか別の機会に説明したい。(続く)
政治と宗教のことはブログに書かない。そんな決心はすでに捨て、宗教のことは書いた。政治についても書かずにはいられない。なにせ、黒人のオバマさんが大統領になるからだ。
僕は心の底から嬉しく思う。感情的に嬉しい。
何故感情的になるか? 1960年にオハイオへ留学したとき、黒人差別の実際を毎日見て、衝撃を受け、悲しんだからだ。当時はバスや電車で黒人の席と白人の席が別になっていた。バスに乗って後ろの黒人の席に座ると、白人の男が来て、無理やりに前の席の一番後ろへ座れと命令する。黒人だけが行く喫茶店でコーヒーを飲んだら、出てきたところを白人に捕まり、「君はこの店に入ってはいけない。あそこの店へ行け」と白人の出入りする喫茶店を指差す。黒人街にあるアパートへ引っ越そうと見に行ったら、白人の同級生に静かに、しかし決定的な理由を言われて引越しを止めてしまった。
テレビで何度も演説を見た黒人のキング牧師も白人の銃弾によって暗殺された。暗殺されそうなことが分かっていながら、南部の街へ演説をするために行ったのだ。
日本で、教会を通して交際したアメリカ人も全て白人であった。黒人の将校や兵隊も多数駐留していたが外国人とは交際しないという習慣なのか、話し合うチャンスが無い。黒人はアメリカ社会の黒子なのだ。芝居の舞台で黒子が台詞を言わないように、黒人は沈黙を守った。
1988年から2年間オハイオに住んでいたときは人種差別もかなり改善され、黒人も白人の住宅街に住めるようになっていた。バスの席もレストランも同じになって差別がなくなった。しかし大学の工学部の同僚や学生には黒人は独りも居ない。一度黒人とゆっくり話し合ってみたいと思ったが不可能であった。公共の生活での差別は消えつつあったが個人的な、私的な生活の場面では黒人と交際したくないという風潮が厳然としてあった。そんな風潮の中で僕自身も心の中で黒人を差別していたのだ。見下げていたのだ。
そのような実体験を重ねてみると、今回、オバマさんがアメリカ大統領になることは本当に嬉しく思う。僕の個人的な感情から嬉しく思う。自分が罪悪感から少し開放されたのだ。白人も同じように感じた人々も多いと密かに考えている。
それよりも悲惨な差別で傷ついた多くの黒人達の嬉しさが、僕の体を揺さぶるよいうに伝わってくる。テレビに映った黒人男性の頬を伝わる涙の意味が分かる。深く重く僕の心へ響いてくる。
「人は、見かけによって差別してはいけない!」。
このテーマで少し続編を書いて見たいと思う。(続く)
オバマさんが大統領に(3)へ、ひかるのさんからコメントを頂きました。
人間の差別意識の複雑さを明解に描き出しています。そんしてその差別意識を克服する決定的な方法をおっしゃっています。下の文章の最後の部分です。
ーーーー異民族の文化を理解することによって 初めて差別はなくなり、相手に対する尊敬の気持ちも生まれてくるように思います。ーーーーなんと力強い言葉でしょう!私も全く同感です。このブログで何時も外国のことを取り上げているのはこのメッセージをお伝えしたいためです。そして自分自身の差別意識を克服するためです。
そういう問題を中心にしたブログですのであまり面白くないブログです。申し訳有りません。
=======ひかるの様のコメント(原文)==========
藤山様
人間というのは不思議な生き物です。
アメリカでは有色人種に対する差別がありますが、欧米人のアジアに対する差別意識もどこかにあるように思います。
それは、欧米人がアジア人よりも高い文明を持っている人種という意識からきているようにも思います。
アジアやアフリカでは 欧米による植民地化の結果、そこでは何をしても許されるという意識が生まれ、それが今でも根強く残っているように思います。
バンコクやカトマンズでよく欧米人に会いますが、私もネパール語やタイ語を話し、現地人のように思われます。
話しかけると現地人だと思い、冷たくあしらわれることもたびたびですが、日本人であるというと 態度が一変するから不思議です。
確かに欧米諸国は近代化され、文明という部分では一歩先を進んでいるかもしれませんが、文化という部分ではどうだろうという気がします。
文明はものによって比較が出来ますが、文化の深さや豊かさは比較できません。
異民族の文化を理解することによって 初めて差別はなくなり、相手に対する尊敬の気持ちも生まれてくるように思います。
ひかるの
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ひかるのさんは現在、日本へ帰っていらっしゃっています。アジア諸国で収集した膨大な染織作品の展示会の準備をされています。是非、ブログ;http://asiancloth.blog69.fc2.com/ をご覧下さい。
皆様のご健康をお祈り致します。 藤山杜人