後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

80歳、薄れゆく記憶の中に蘇る3枚の絵

2016年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
80歳になると、それを境にして別の世界に入るのかも知れません。それは私だけの感じ方と思いますが、この頃そんな想いにとらわれています。記憶が薄れ、いろいろなことが遠い昔のことして忘れていきます。そして何故かとても平和な気分になります。
そんなとき活き活きと蘇るいろいろな記憶があります。その一つに三輪 修さんの3点の絵画があるのです。まずその3点の絵画をゆっくりご覧下さい。

この絵は、「夢景」です。93×70cm、2003年作の鉛筆画です。
この絵を見る度に私は抑えがたい郷愁を感じるのです。この絵に感動して三輪 修さんの個展を銀座の日動画廊に見に行きました。あれはもう7年も前のことでした。

この絵は、「村の風景 」です。100M、1996年作の油彩画です。
日動画廊で三輪さんと知り合いました。そして他の絵画も沢山あることを教えてくれました。上の絵はその中の好きな絵です。ヨーロッパの村の風景です。中世のような農家を曲がった白い道路が囲むようにあります。家々の向こう側は広い畑になっていて道路の先は並木道になっているようすが薄く描いてあります。何故か幼少の頃何度も見たような風景です。ヨーロッパに住んでいないのにそのように感じさせるから不思議です。

この絵は、「パリの橋」です。30F、1996年作の油彩画です。
上の絵は写真ではありません。油絵なのです。何度も、何度も丁寧に水の面を塗り加えて行くとこのような川の深さが描くことが出来るそうです。橋の上を歩いている人影がパリを感じさせるのは私の思い込みです。
三輪さんの絵画の世界に魅了されました。
その後の2010年4月9日に、名古屋日動画廊で彼の個展も見に行きました。
独自の画風の確立に苦労なさいましたかと聞いてみました。彼は携帯電話を取り出して処女作を見せてくれました。
そして話してくれました。「毎日のように画風を変えて描いていました。それは苦悩といえばそうですが、後から考えると懐かしい苦しみです。そして十数年前に現在の画風を確立したのです。」
三輪修画伯の作品は、http://mujika.jp/miwa/miwa-tenji.htm に年代別に掲載してあります。私はどの絵も好きです。全ての絵には存在感があります。存在の向こうにあるものが見え隠れしています。
あの世の風景でしょうか?希望の光輝く世界でしょうか?深い悲しみの世界でしょうか?見るたびにその光景が変わります。
彼の年代別に掲載した作品を見ると、1992年から同じ画風の作品が出ています。きっと1992年前後に独自の画風を確立したのだと思われます。
彼は続けて言います、「この画風にこだわっています。変えるつもりはありません。」
私はおめでとう御座いますと言いたかったのです。しかしその言葉を飲み込みました。軽々しい言葉は言うべきではないと感じたのですい。
三輪修画伯には画家としての勇気があります。思想があります。節操があります。抜群の眼とテクニックもあります。まだお若いのでこれからもっともっと傑作を描くでしょう。そして必ずや日本の絵画の歴史に名をとどめる人であると信じています。
皆様も是非、http://mujika.jp/miwa/miwa-tenji.htm をご覧下さい。
そしてご感想を是非お送りください。久しぶりに彼へメールを送り、皆様から頂いたご感想をお送りしたいと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「八重桜と新緑の写真をお楽しみ下さい」

2016年04月16日 | 写真
今日は北風の強い晴天でした。午後から武蔵野公園を家内と散歩しながら八重桜と瑞々しい新緑の写真を撮って来ました。嵐山、楊貴妃など八重の桜が咲き誇っていました。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

















高齢者になったら良い感性を持つ

2016年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は高齢になると記憶力が衰え、若い時に蓄えた知識がどんどん忘れて行きます。しかし何故か感性だけは衰えないような気がいたします。
そこで常日頃、感性とはなんだろうかといろいろ考えています。
そうすると感性には良い感性と悪い感性があるような気がします。
良い感性の持主はクラシック音楽の美しさが分かるのです。東洋と西洋の本物の芸術的な絵画や彫刻の美しさに感動するようです。
ええ、私ですか?残念ながら私はそんな良い感性を持っていません。
ところが家人はその良い感性を持っているらしいのです。今日の記事は愚にもつかない家内自慢の文章ですからここから先はお読みにならない方が良いと思います。
さて感性の良し悪しを撮った写真の構図を例にしてご説明いたしましょう。
家内は花の写真を撮る時に、必ずどんな自然の中に咲いているか分かる構図にすべきと言います。そして公園の花々より山林の中に咲いてる自然の花々が美しいと言います。
私は人間が育てた花々をクローズアップで写す方が美しい写真になると信じています。
これこそ感性の違いと思います。そこで家内が撮った3枚の写真と私の撮った2枚の写真を比較のために示します。

上の写真は2、3日前に撮った甲斐駒岳の麓の中山に咲く山の桜の写真です。

上の写真は私共の小屋に登る途中の山に咲いていた桜の写真です。

上の写真は同じように山林の中に咲いていたヤマツツジの花の写真です。ツツジの足元の荒々しい山林の石が写っています。こんな場所でもツツジが美しく咲いているのです。

上の写真は私が撮った人間が植樹したソメイヨシノの花のクローズアップの写真です。真原桜並木の端のある別荘の屋根を覆っていた櫻花です。

上の写真は甲斐駒岳と植樹した枝垂れ桜と栽培した水仙畑の3点を組み合わせて撮った私の写真です。
この水仙畑は観光客を集めるために咲かせています。桜の咲く季節以外は野菜畑に変身しています。
このように花々の写真を撮る場合にその写真は撮る人の感性の違いによって大きく違うようです。
家内の感性が良いと内心思っていますが、写真の撮り方くらいは自分の自由にさせてもらっています。
しかし感性は人それぞれです。花の写真はクローズアップに限ると思う人が多いようです。
大体、花々は小さいことが多いので、クローズアップにしないとよく見えません。
視力の弱い人のためにもクローズアップの方が親切というものです。
つまらない話ですのでもう止めます。それにしても皆様は花々の写真を撮る時どのような構図になさっていますでしょうか? どのような苦心をなさっているでしょうか? お聞かせ頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

陽賜里工房の恒例の春のお花見会に行ってきました

2016年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
陽賜里工房の主の原田聖也さんとその御母上のお二人とは2009年の夏にお知り合いになりました。山梨県の甲斐駒岳の麓の真原桜並木の東端に別荘と美しいお庭を持っている東京の方です。
その折の庭の美しさは2009年8月28日の記事、「甲斐駒山麓で偶然見つけたターシャ!」にご報告いたしました。
それ以来、毎年の春と秋に開催されているオープンガーデンに招かれてきました。
今年の春のオープンガーデンは満開の花見の会になりました。
その恒例の会の今年の開催は、4月8日(金)、9日(土)、10日(日)の、朝10:00時~午後4:00時ころまでした。場所を正確に書くと、山梨県北杜市武川町山高 3567-556の陽賜里工房ガーデンです。
私どもは4月11日の午後に遅ればせながらお寄りしました。
久しぶりに原田聖也さんとその御母上のお二人にお会い出来、ゆっくりお話をいたすことができました。
その時撮った写真を4枚と2009年に撮った写真を1枚比較の為にお送り致します。
お話しをしながら2009年の夏にはじめてお会いしたころのことを思い出していました。
その時、真原桜並木の青葉のトンネルを車でゆっくり走っていました。
車窓から何気なく見ると、緩やかな南向きのスロープの広い庭に淡い色の花々が咲き乱れ、小さな木造の家の前に白髪の婦人が椅子に腰掛け、膝の上に白い布を広げているのが目に止まりました。
その庭の様子が有名なターシャの庭に似ていたのです。
そのせいか家内が「あの方はターシャ!」とつぶやいたのです。すぐに引き返して、路肩に車を停め、訪れました。
細い路地を入り、名刺を出しながら声をかけました。
晴れやかな笑顔の老婦人がやさしい声で話します。十数年前に、息子さんとこのへんを回って、ここの土地を買い、小さな別荘を建てたそうです。
「二人で東京から時々泊まりがけで庭作りに通ってきます。息子も造園が好きで一年を通うして花々が咲くようにつくってくれました」と微笑みながら話して下さいました。
南向きの傾斜地には、まさしくターシャの庭のように自然そのままの草花が豊かに咲いています。息子さんはボランテア活動をしながら造園の仕事をされているsぽうです。
その7年前の庭には春の花々が」咲き、頭上には満開の桜が咲いていました。
原田聖也さんとその御母上のお二人は7年前に初めてお会いした時と同じようにさわやかで、お元気でした。
またお会いしましょうと言いながら帰路につきました。
今年の秋も恒例のオープンガーデンがあります。詳しくは下記へお問い合わせください。
連絡先:原田聖也さん、携帯電話:090-4170-0370 E-Mail:t-taraku@t-net.ne.jp

上の写真が今年の庭のあずま屋の様子です。

上の写真が2009年の庭のあずま屋です。2009年に比べて立派に完成していました。庭の桜の木も大きくなりました。

上の写真はあずま屋の反対側にある別荘の写真です。

上の写真はあずま屋を覆うように伸びている桜の枝の写真です。

上の写真はあずま屋の外の道路から見上げた桜の木の写真です。

格差社会の諸問題を考える(6)日本の格差社会が差別社会にならない為に!

2016年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
近年、日本では次第に格差が大きくなって来ました。貧富の差が大きくなり、さらに貧者の総人口に占める割合も増えています。
この傾向は外国でも同じようです。市場経済の資本主義国家では多くの国々で貧富の差が次第に大きくなっているのです。
この傾向を先進国に限って比較するとアメリカが一番強く、日本はアメリカについで二番目です。ヨーロッパ諸国は日本より貧富の差が小さいという事実も明らかになりました。
格差問題はいろいろな意味で重要な社会問題です。そこで私もいろいろと考えて、最近、末尾に示したように6編の記事を書きました。
皆様もこの格差問題にご関心が強いようで、実に数多くのコメントを頂きました。
コメントの数が多く、その内容も真摯でしたので、その内容も勘案しながら、今回は結論的なまとめの記事を書いてみたいと思います。
最初に誤解を避ける為に以下で用いる「格差」と「差別」という言葉の定義を致します。
以下で用いる格差とは個人の年収の差と定義します。年収とは毎月の月給の手取りに、それから差し引かれる厚生保険料などの再分配額を加えて計算します。
一方、「差別」とは他人を何らかの理由で区別し、さげすみ、いじめることと定義します。
年収が多い人と少ない人を区別するだけでしたら「差別」にはなりません。年収の多い人が少ない人を軽蔑し、いじめると、それを「差別」と定義します。
今日、私の主張したいことを先に書きます。
日本は次第に格差社会になっていくのは誰にも止められない。しかし相対的に貧者になった人々を絶対に差別しない社会になるべきです。という2行の文章が今日、主張したいことです。
皆様から頂いた数多くのコメントによりますと、多くの方々は日本がますます格差社会になって行くことは避けられないと認識してます。そしてそれを受け入れながら、この社会が平穏で争いが起きないように願っていることも分かりました。
多くの方々が格差の起きることにある種の達観をお持ちのようです。
皆様の達観ぶりを見ると日本の将来の安定を保証しているようで安心です。
しかし老人の私にはいくばくかの危惧があります。
貧富の差の大きな社会ではどうしても貧しい者がさげすまれる傾向があるのです。戦後のある総理大臣が、「貧乏人は麦を食え!」と国会で言って、問題になったという記憶があります。
日本は差別用語も無くなり身体障碍者へも差別が無くなりました。それは一見良い社会です。
しかし人間は危険な動物です。油断すると差別の意識が表に現れて他人を蔑み、いじめるのです。ですから格差社会が進行して極端に貧富の差が大きくなるとまた差別的な社会になるのではないでしょうか?そのような危惧を私は持っています。
それでは格差がますます大きくなっても、差別社会にならないようにするにはどのようにすれば良いのでしょうか?
ここで自分の愚見を長々と述べるよりも読者の皆様からのご意見をお待ち致すことにしました。
どうぞふるってご投稿されるように願っております。

さて今日の挿絵代わりの写真は一昨日撮って来た山梨県北杜市の真原(さねはら)の桜並木の写真です。西には甲斐駒岳が見え。すぐ東側には日本三大桜の「神代桜」の咲いている山里です。
山里の桜の満開は東京より一週間遅いのです。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料===========
日本がますます格差社会になって行くと指摘した最近の6編の記事
(1)「日本社会の格差が年々増加している」、 2016年03月31日
(2)「日本社会の格差が年々増加している❕ その原因」、 2016年04月02日
(3)「格差社会の諸問題を考える(1)日本で非正規雇用が増大する原因」、2016年04月04日
(4)「格差社会の諸問題を考える(2)格差社会の利害得失」、2016年04月06日
(5)「格差社会の諸問題を考える(3)アメリカでは全てが契約社員」、2016年04月08日
(6)「格差社会の諸問題を考える(4)日本の貧富の差と世界各国と比較」2016年04月11日













残雪の山稜を背景にした桃の花の写真を撮りに行く

2016年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム
甲府盆地は美味しい桃と葡萄の産地です。共撰所という場所に買いに行くと新鮮なものが買えるのです。
共撰所とは収穫した果物を集めて撰んで箱に入れて出荷する大きな建物です。その片隅で小売りもしています。選別の基準に合わなかったものも大量に格安で売っています。
昔、ブドウをバケツで買ってブドウ酒をつくったこともあります。
桃のほうは鳳凰三山や甲斐駒の下の韮崎市の「長府の共撰所」で買います。
そして春には同じ場所に行って残雪の山稜を背景にした桃の花の写真を撮るのです。
毎年、同じ場所で写真を撮っているので桃畑の何処に行ったらどのような写真が撮れるか分かっています。農家の人が寛大で花に触らない限り自由に写真を撮らせてくれます。昨日もこの恒例の桃の花の写真を撮りに行きました。その写真をお贈り致します。

上の写真は桃の花そのものの美しさを見て頂きたくて若草萌える地面を背景にして撮った写真です。

上の写真の背景は鳳凰三山の地蔵岳です。桃の花の梢と共に撮った風景です。

上の写真は山稜の前の桃畑の広がりを示す写真です。

上の写真は反対側の桃畑の写真です。八ヶ岳の麓の山並みが見えています。

上の写真はその方向の梢の桃の花の写真です。

上の写真は重なるように咲いている花の写真です。このままでは美味しい桃は出来ないので、間もなく摘花という作業をします。花を間引いて一本の枝にまばらに花を残すのです。摘花の済んだ桃の花の枝の写真は淋しい風情になりますが、それも何とも言えず良いものです。

上の写真は桃畑の中の木の配置と枝の剪定の工夫を示す写真です。桃の木は間をおいて離して植えてあります。枝は摘花や収穫の作業がしやすくするために横に低くなるように剪定します。冬には大量の家畜の糞をやります。一年中丹精込めて美味しい桃を作っているのです。

上の写真は農家の努力を想いながら見て頂きたい山稜と桃の花の写真です。美味しい桃を鳳凰三山が見守って育てているように感じられます。私の思い過ごしでしょうが。

桃の花と言えば隣の中国では紀元前のはるか以前から愛されていました。
最後に詩経の中にある「桃夭」という詩を、http://manapedia.jp/text/3801 からご紹介いたします。
この漢詩では、嫁ぐ若い女性の美しさを桃のみずみずしい美しさに例えています。このことから桃夭とは「女性の嫁入り時、婚期」を意味するようにもなりました。

「桃夭」   (原文)

桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家

桃之夭夭
有蕡其実
之子于帰
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于帰
宜其家人


書き下し文

桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼たる其の華
之の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
其の室家に宜しからん

桃の夭夭たる
蕡たる有り其の実
之の子于き帰ぐ
其の家室に宜しからん

桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子于き帰ぐ
其の家人に宜しからん

現代語訳(口語訳)

桃の木々の若々しさよ。
燃えるように盛んに咲く花よ。
(その花のように若く美しい)この子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいだろう。

桃の木々の若々しさよ。
たわわに実る桃の実よ。
(その実のように子宝に恵まれるであろう)この子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいだろう。

桃の木々の若々しさよ。
盛んに茂る桃の木の葉よ。
(その葉のように栄える家庭をもつであろう)この子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいだろう。

昨日は桃の花の写真を撮りながら中国人と桃の花のかかわりをいろいろと考えていました。そしておぼろげながら「桃夭」という言葉をやっと思い出しました。帰宅後、調べたところ上で示した詩の全文を見つけました。桃の風景写真を2000年以上も前の中国人の詩とつなげて見るとまた一段と味わいが深くなります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考====
詩経とは:
『詩経』は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

格差社会の諸問題を考える(4)日本の貧富の差と世界各国と比較

2016年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、以下の5編の記事を書いて日本はますます格差社会になって行くと指摘しました。
「日本社会の格差が年々増加している」、 2016年03月31日
「日本社会の格差が年々増加している❕ その原因」、 2016年04月02日
「格差社会の諸問題を考える(1)日本で非正規雇用が増大する原因」、2016年04月04日
「格差社会の諸問題を考える(2)格差社会の利害得失」、2016年04月06日
 「格差社会の諸問題を考える(3)アメリカでは全てが契約社員」、2016年04月08日
多くの皆様が格差社会に強い関心をお持ちのようです。これら5つの記事へのアクセス数も多かった上、沢山のコメントを頂きました。
しかし今までは日本国内の格差の問題を取り上げてきました。
そこで今回は世界の各国の格差を概観し、日本の格差は世界的に比較するとどのような程度なのかを考えてみたいと思います。
いろいろ調べてみましたが、世界各国のそれぞれの格差を示すジニ係数は「世界・収入不平等指数ランキング」(http://top10.sakura.ne.jp/CIA-RANK2172R.html )に詳細に報告してあります。
前にも説明したように、ジニ係数は社会における所得分配の不平等さを示す指標で、0に近いほど格差が少ない状態となります。格差はすなわち社会の不満となり、ジニ係数40%以上は社会騒乱の警戒ライン、60%以上は危険ラインとされます。
ジニ係数が低い国家では、税と社会保障による所得の再分配が進んでいる傾向がみられます。
日本のジニ係数は、このランキング表では37.6%(2008年)となっています。日本の収入不平等指数の世界ランキングの順位は141ケ国中の73位なのです。
ランキングの1位はレソトの63.2%、2位は南アフリカの63.1%、3位はボツワナの63.0%です。
格差が最小の国としてランキングの最下位にあるのはスウェーデンの23.0%です。
このランキングは米CIAのワールドファクトブックにもとづいており、国ごとに調査年が異なる場合があります。
此のランキングの国々の中から先進国だけを拾うとアメリカが格差が大きく、次に日本がきます。そしてイギリス、フランス、オランダ、デンマーク、ノルウェー、オーストラリアなどヨーロッパ諸国は日本より格差が少ないのです。
最も格差の大きいのは、チリ、メキシコ、トルコといった途上国的性格の強く、なお且つ、1人当たりの所得水準の低い諸国なのです。
そしてロシアもこれに続いています。
しかしここで注意すべみは、アフリカやアラブ諸国の統計の確度が低いためにジニ係数その計算値が信用出来ないことです。ですから世界のランキングはあまり確かなものではありません。
一方、先進国では統計資料も信頼性が高いので、アメリカ、日本、イギリス、フランス、オランダ、デンマーク、ノルウェー、オーストラリアなどヨーロッパ諸国のジニ係数の比較は信頼できます。
さて、さらに世界各国の貧困層の人口割合ランキングを調べてみると以下のようになります。
2010年の経済協力開発機構(OECD)加盟国など世界34の国と地域を対象とした貧困層の人口割合(貧困率)についてのランキングは以下の通りです。

貧困層の人口割合(貧困率)ランキング<34カ国>
1 イスラエル 21%
2 メキシコ 20%
3 トルコ 19%
4 チリ 18%
5 アメリカ 17%
6 日本 16%
7 韓国 15%
7 スペイン 15%
9 オーストラリア 14%
9 ギリシャ 14%
11 イタリア 13%
12 カナダ 12%
12 エストニア 12%
世界平均 11% - 50.0 -
14 ポーランド 11%
14 ポルトガル 11%
16 ニュージーランド
16 ベルギー 10%
16 スイス 10%
16 イギリス 10%
20 スウェーデン 9%
20 スロベニア 9%
20 アイルランド 9%
20 ドイツ 9%
24 オーストリア
24 オランダ 8%
24 ノルウェー 8%
24 フランス 8%
24 スロバキア 8%
29 ルクセンブルク 7%
29 ハンガリー 7%
29 フィンランド 7%
32 チェコ 6%
32 デンマーク 6%
32 アイスランド 6%

日本の貧困層の人口割合は、16%で、世界ランキングの順位は6位です。
ランキングの1位はイスラエルの21%、2位はメキシコの20%、3位はトルコの19%です。
ランキングの最下位はアイスランドの6%です。
日本の経済状況は従来GDPだけで議論されることが多かったのです。しかし個人の生活のし易さの指標は一人当たりの年間収入の平均値だけでは不十分で日本国内の格差を考えるべきと考えられます。
そして日本の格差も世界的に比較して考えるべきと思います。
今回の記事はそのような問題提起に過ぎません。格差社会の問題はもっといろいろな視点から考えるべき重要な問題ではないでしょうか。
今日の挿絵代わりの写真は一昨日撮ってきた青梅市の梅岩寺の枝垂れ桜の写真です。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)






ラジオ歌謡、「ニコライの鐘」と私の二コライ堂ものがたり

2016年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム
嗚呼、昭和は遠くなったものです。そんな感じをしながら、昨日は梅岩寺の枝垂れ桜を見上げていました。
いろいろな昭和の場面が走馬灯の絵のように私の脳裏を通り過ぎて行きます。
その記憶の一つに戦後に流行った「ニコライの鐘」という歌があります。まだ仙台の新制中学校や高校に通っていた頃に何度も、何度もラジオで聞いた歌です。
昭和26年にNHKラジオ歌謡としてた藤山一郎さんが歌った「ニコライの鐘」です。
「ニコライの鐘」
 作詞:門田ゆたか
 作曲:古関裕而
 歌 :藤山一郎 

1)青い空さえ 小さな谷間 
 日暮れはこぼれる 涙の夕陽
 姿変われど 変わらぬ夢を
 今日も歌お(う)か 都の空に
 ああニコライの 鐘がなる

2)きのう花咲き 今日散る落ち葉
 河面に映して 流れる月日
 思い出しても かえらぬ人の
 胸もはるかな(ゆするか) 雁啼く空に
 ああ ニコライの 鐘が鳴る

3)誰が読んだか 悲しい詩集
 頁をひらけば 出てきた手紙
 恋に破れた 乙女は今宵
 何を祈るか 暮れゆく空に
 ああニコライの 鐘が鳴る
この藤山一郎さんの歌声は現在でも、https://www.youtube.com/watch?v=_gr04rkjXPQ をクリックすると聴くことが出来ます。
あの頃は戦後間もなくで、その頃住んでいた仙台の道路には舗装がほとんどなく、進駐軍のジープが通ると土埃がモウモウと舞い上がる貧しい街でした。それでその街を「仙台砂漠」と自嘲していたものです。
そんな中で「ニコライの鐘」を何度も聞いていたのです。はるか東京には立派なニコライ堂があるのです。憧れていました。
仙台の大学を出てアメリカへ留学して忙しくなります。いろいろな事がありました。しかし全てが邯鄲の夢になりました。
70歳を過ぎて暇になると昔のことがいろいろ懐かしくなります。
数年前にフッと昔憧れていたニコライ堂を思い出しました。それは2009年のことでした。
暇があるので、その年の11月のある日曜日に訪問してみました。
その時、撮ったニコライ堂の写真を示します。







受け付けで信者でないと言うと、100円でローソクを1本わけてくれます。マリア様の絵(イコン)の前のローソク台に火をつけて立てます。座ってお祈りをします。美しい聖歌が始まり、やがて10時になるとあの「ニコライの鐘」が鳴りわたります。これこそがラジオ歌謡にあった鐘の音なのです。
間も無く着飾った聖職者の行列が入ってきます。礼拝の途中で「祈りの言葉を印刷したカード」を持ってくる人がいます。
その後しばらくして、大きく平らな献金籠を持った人が回ってきます。
これは日本正教会の主日の礼拝式なので、3時間も続きました。しかし伝統的なロシア正教の神秘的な雰囲気と魂を奪われるほど美しい聖歌に圧倒されたのです。3時間がアッという間に過ぎます。
礼拝が終わり外に出た所で偶然、金田一豊さんという伝道師さんにお会いしました。下がその時の写真です。

この金田さんにはその後本当にいろいろなことを教えて頂きました。
例えば、日曜礼拝のことをロシア正教の流れを汲む日本正教会では「聖体礼儀」と言うそうです。
きらびやかな聖職者の行列と、美しい宗教音楽の極致のような混声合唱で、神への祈りと、神への従順を示しているそうです。楽器は一切用いないのです。
神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部を(聖体)を頂くという儀式です。
日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたと説明してくれました。
従ってその教義も儀式もイエス様が生きていた頃の古いものを忠実に保持、伝承しているのです。
このように正教会のことを教えて下さったのです。そのことを何度も私のブログでご紹介してきました。そんな記事の一覧は末尾の参考資料に示してあります。
それから歳月が流れ、6年余もたちました。何となくニコライ堂のことを忘れていたころ金田さんからメールが来ました。
そして金田さんがウクライナ正教会(キエフ総主教庁)の在日教会である「聖ユダミッション」で、初の日本人聖職者として輔祭に叙聖されたことが分かりました。下がその時の写真です。

昔に知り合った人が偉くなったのです。素直に嬉しく思います。金田一豊さんへ神の愛が豊かに注がれるようにと祈っています。
これで私の「二コライ堂ものがたり」を終わります。お読み頂いて本当に有難う御座いました。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料===========
「後藤和弘のブログ」、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama
(1)投稿日 2009/11/30 「宗教に少しでも関心があったらニコライ堂の日曜礼拝を一度は見て下さい」

(2)投稿日 2009/11/30 「豪華絢爛な音楽ページェントが予約申し込み無しで気軽に楽しめます」

(3)投稿日 2009/11/29 「今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました」 (金田さんの写真が出ています!)

(4)投稿日 2009/11/25 日本正教会、伝教師、金田一豊、著「なぜローマカトリックから正教会へ帰正(改宗)したのか」

(5)2009/11/23日本正教会、伝教師、金田一豊、著「ローマカトリック教会と正教会との教義の3つの違い」

(6)投稿日 2009/11/22 「お茶の水のニコライ堂での日曜の礼拝に一般の人々も参加できます」

(7)2009/11/10「ニコライも偉かったが、明治の日本人も偉かった!」

(8)投稿日 2009/11/09 「ブログを書くための私の取材方法と写真の組み合わせ方」

(9)2009/11/08「私の記事は間違っていました!ロシア正教と書いたのは日本正教会です」

(10)009/11/07「ロシアから来た偉大な宣教者、ニコライをもっと知ろう!」

(11)2009/11/06「日本人のロシアへの感情とロシア正教の布教の関係」

(12)投稿日 2009/11/04 「ニコライ堂でロシア正教のある聖職者に偶然お会いできました」
(13)2015年11月06日 「教養として、何故キリスト教を愛の宗教と言うのでしょうか?」

「今年も見事に咲きました!青梅市の梅岩寺の枝垂れ桜」

2016年04月09日 | 写真
例年、ソメイヨシノが散る頃に青梅市の梅岩寺の枝垂れ桜が満開になります。
先程、車を悠々と走らせて撮って来ました。
枝ぶりや花の形が毎年寸分も変わらないような感じがします。
 唐代の詩人、劉希夷(651~680?)の「白頭(はくとう)を悲しむ翁に代りて」と題する詩の第4節をお送りいたします。

古人こじん復また洛城の東に無く
今人きんじん還また対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す 全盛の紅顔の子
応まさに憐れむべし 半死の白頭翁

この詩を想いながらしばし枝垂れ桜の下を歩きまわりました。

写真をお楽しみ頂けたら嬉しいです。













花いかだに乗って、旅立ってしまった人の思い出

2016年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム
櫻花が散って、水面に浮かんだ様子を「はないかだ(花筏)」と言うそうです。
私は桜の散る様子を見ると何故か悲しく感じます。何故かいろいろ考えていましたら理由が分かったのです。
今日はその理由を書いてみたいと思います。
そこはかとない淡い交友をしていた人が丁度6年前の今頃、桜の花いかだに乗って旅立ってしまったのです。
その方とはネットの上で知り合い、何度かお会いした「ひかるのさん」という人でした。
ひかるのさんは25年間、タイやネパールなどのアジアに住んでいた日本人です。
手織り布とその天然染色のロマンを求めてアジアを彷徨い、東京で蒐集した布の展覧会を開いていました。
そのことを彼のブログで知り、何度か展覧会に行き彼と親しくなりました。
しかしその後突然、2009年の12月に肺ガンになり2010年の晩春に東京の厚生年金病院で亡くなりました。
50歳くらいの短い一生でした。櫻が散るように短い一生を終えたのです。彼とは2年間位だけの淡い交際でした。その最後の闘病の間に彼は下に示すような「花いかだ」の写真を撮って、自分のブログに掲載しました。
自分が間も無くこの花いかだに乗って旅立つことを知って撮った写真です。

散った桜の花びらが浮いた水面を鴨が2羽泳いでいる写真です。

彼には実は養子にした息子が一人いました。まだ若い義理の息子をはるかバンコックに残して旅立つ悲しさが写真に漂っているようです。
彼はタイのバンコックで貧しい一人のストリート・チルドレンを引き取り、育て上げ、息子としたのです。
肺ガンになり、苦しい中でカトマンズとバンコックの両方にあった自宅の整理をするために最後の旅をしました。そしてタイの息子と永遠の別れをするのです。その悲しみは彼のブログに書いてあるのです。
そのブログは「「カトマンズ・バンコク慕情~アジアの旅の徒然に」(http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season )」といい彼の死後6年経ちましたが現在でも見ることが出来ます。
このブログには、インドやネパールに25年以上棲みついた間に撮影した写真が沢山掲載してあります。
アジアの人々の貧しさの中にも見え隠れする優しさや美しい情感が写し出されている写真が多いブログです。
そんな写真に感動して、彼との交友が始まったのです。
彼は他人に対して常に暖かい視線を向けていました。下にその一例として彼が小康を得て、一時退院していた時に撮った最後の写真を示します。

公園で元気に遊んでいる子供の姿です。自分の命の灯はすぐに消えるが、この子供たちの元気さを祝福しているような写真です。ひかるのさんはそんな優しい男でした。

私は毎年、毎年、桜の散る頃になると花いかだに乗って旅立ってしまった「ひかるのさん」のことを思い出します。
そして東京での「アジアの手織り布の展示会」を数回訪ねたことを思い出すのです。
そして彼のブログの愛読者が多数、ひかるのさんを慕い病院へ見舞いに行ったのです。
インターネットの世界は「かりそめの世界」と言います。
しかし、その「かりそめの世界」の中でも、情愛あふれる人間の絆が確実に出来たのです。彼はお見舞いに来てくれた一人一人へタイやネパールの絹織物を宅急便で送ってから亡くなりました。遠方で見舞いに行けない人々は彼の蒐集品をネットで購入し彼の入院費用を支援したのです。
この人間の絆に私は感動しました。温かい日本人のひかるのさんへ対する情愛が忘れられません。

そんな訳で桜の散る花吹雪を見ると悲しい気分になるのです。さようならひかるのさん!

それはそれとして、皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====息子との最後の外食========================
それにしてもアジア諸国を放浪するようにして転々と住んでいた彼にもタイの男の子の養子が1人いたことに少しばかり心が和みます。以下に最後のこの息子との新年会の彼のブログから記事を転載します。どうぞお一読して上げて下さい。
「バンコク 正月2日目は 飲茶を食べて」(投稿日:2010-01-06 Wed)

正月2日目は夕方から息子と二人で新年会を行うことにした。約束の時間は夕方の5時である。時間通りに 息子は5時にやってくる。いつもであれば、二人で市場やスーパーに行き、食べたい食材を買ってきて、作って食べるのであるが、今回は私の状態が こんな具合なので外で食べることにした。ペッブリー通りに並んでいる屋台で イサン料理でもと思ったが、私の病気のことを心配しているのか、刺激のある食べ物は避け、大型スーパー ロータスの1階にある飲茶を安く出すチェーン店 カントンハウスで食べることに決めた。最近になって利用するようになった店で、値段が安いわりには そこそこには美味しい店である。いつもは昼間に行っていたが、今回は夕方過ぎに行ってみた。昼間には空いている店も 夕方からは 家族連れで溢れている。いわゆるバンコク庶民というより、バンコクの中産階級の家族連れのようだ。家族4,5人でやって来て、ビールを飲まなければ、4,5百バーツ(千3百円前後)で十分に食事が楽しめる場所である。たまに家族連れでやって来て 外食を楽しむには安心できる予算だ。飲茶だけでなく、野菜料理や魚料理、麺類、チャーハンなども安い。飲茶類は 一皿 15バーツ均一、簡単な野菜中心の中華料理であれば、一人前50バーツ、チャーハン、焼きそばなども50バーツという安さである。体長30cm近いシーバスの揚げ物、煮物、蒸し物も2百バーツである。そんな料理を注文して タイ人の家族連れが 食事を楽しんでいる。 顔つきを見ると 中国系の人たちが多い。
 自営業をやっている人たちだろう。一緒にやって来ている年寄りの女性を見ると、服装も顔つきも完全な中国人だ。中国系の人たちは 安くて美味しい店をよく知っている。中華街の中華レストランで食事をすれば、眼が飛び出るような値段の料理もこのカントンハウスでは その半分いかの値段で料理を楽しむことが出来る。

私たちも 17種類の飲茶、焼きそば、ビール2本を注文して 新年会を始めた。タイの有名なシンハービールの大瓶が80バーツ、これも安い。近ごろは 路上の屋台でシンハービールを頼んでも 70,80バーツするようになっている。冷房付きのこの場所では 十分に安い値段である。これだけ注文して 465バーツ 約1300円である。税金もサービス料もつかないところが嬉しい。 ビールを飲まなければ、7,800円で飲茶を楽しむことが出来る。超一流の店の飲茶は それなりに美味しいだろうが、私たちにはこれで十分である。1時間ばかりの息子との新年会、腹を一杯にして 息子は自分のアパートへ帰って行った。お金が無いから 十分にお年玉を与えることは出来ないが、それでも心ばかりのお年玉を持たせた。
 彼も1月4日から仕事始めである。
===============================

格差社会の諸問題を考える(3)アメリカでは全てが契約社員

2016年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカの会社の社員は経営者と個人契約を交わして仕事をしています。契約内容の一番重要なことは社員は自分の意志で自由に会社を止めることが出来、一方、経営者は社員を自由に止めさせることが出来ます。これが契約破棄権の相互自由の原則です。
社員は契約内容に明記されていない配置転換や転勤を拒否します。解約内容に無い残業もしてはいけないのです。
アメリカの会社では決まった初任給はありません。
年功序列の定期昇給も昇進もありません。経営者が課長や部長を必要とした場合は広く社外へ公募します。内部の社員がそれになりたければ公募に応ずるのです。
アメリカの会社は厚生年金を支払わないのが普通です。厚生施設も健康保険制度もありません。
老後の保険や健康保険は自分の給料の中からお金を出して買うものです。
オバマ大統領は低所得者の医療保険制度を作ろうとして茶会運動という大きな反対運動にあったのです。
経営者と社員は契約で結ばれていて、その形は、旧約聖書の神と人間との契約の形を踏襲しています。
そして経営者と社員の間には上下関係がありません。それこそキリスト教の神の前では全ての人間が平等であるというキリスト教の精神に裏打ちされているのです。
一方、日本の正規雇用では終身雇用制と年功序列を基本に成り立っています。しかし最近、日本でも会社と契約を作って期間を限って働くという「非正規雇用」の割合が年々増加しつつあります。
そして現在の日本の非正規雇用の収入は正規雇用より少ないのです。したがって非正規雇用の増加が日本の格差社会の進行の一つの原因になっています。
一方日米を比較すると、形の上ではアメリカの雇用形態は日本の非正規雇用と全く同じです。
そのアメリカの格差社会がますます進行しているのです。
したがってこの事実から結論を簡単化すると、アメリカも日本も格差社会の進行は個人の収入差の拡大が原因になっていると結論づけられるのです。雇用形態の差異は直接的な原因になっていないのです。
経営者は社員の潜在的な能力を引き出すには給料差を大きくすると良いと信じているのです。一方社員はそれを受け入れて契約を結んで働いているのです。そこには一見何の問題もありません。
日本の社会や文化は数年遅れでアメリカ的になるという原則があります。原則と言うより、そのような体制が戦後70年の間に出来ています。
従って雇用の形態もいずれアメリカ的になるのが自然です。
しかし格差は進行します。過度な格差とは何でしょうか?誰も分からないままに世の中がどんどん変わっていくのです。
今日は4月8日です。お釈迦様の誕生日と言われている日です。それを祝って仏教系の幼稚園では甘茶を淹れて花まつりをします。そんなことをフッと思い出しながら終りに致します。

今日の挿し絵代りの写真は昨日、小金井公園で撮った花の写真3枚と3月17日に京王フローラルガーデンで撮った花の写真2枚です。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料===============
米国の雇用形態
http://www.maxjob.com/guide2.asp?codeguid=1000
日本では終身雇用制と年功序列を基本に成り立っていますが、米国では任意の雇用(Employment at will)を基にした雇用形態です。この任意雇用の仕組みは、企業側はいかなる時どのような理由でも従業員を解雇することができ、従業員側はいつでも辞めることが出来るという大前提の基に成り立っています。ただし、米国には公民権法第Vll章(TitleVll, Civil Rights Act of 1964)があり、雇用者が被雇用者の人種、宗教、性別、皮膚の色、または出身国を理由に採用、昇進、配転、賃金、解雇などの雇用条件について差別的に取り扱うことが禁止されています。しかしそれ以外の理由による差別は第Vll章の下には禁止されていません。本人の能力や経験や勤務成績により雇用条件に差をつけることは許されています。このような背景で、企業側は即戦力になる人材の採用を望んでおり、応募者の持つ学歴、経験、能力などの客観的要素が選考の基準となります。 以下省略。









80歳になってしみじみ想う結婚というものの不可思議さ

2016年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は老人にならないと分からないことが多くあると言います。逆に高齢になればなる程、不思議に思うこともあるそうです。
小生は今年の1月に80歳になりました。いろいろと不思議なことを素直に不思議だと受け入れるような心境に達しました。
その摩訶不思議なことの一つに結婚というものがあります。
人間の絆というものは不思議なものです。その絆で一番不可思議なものは結婚によって出来る男女の絆です。
大した必然性も無く偶然会った男女が何故か愛し合うようになり結婚します。それには確固とした理由が無い場合もあります。そして子供も孫も出来ます。
人間の親子は人にもよりますが大体20年間くらいしか一緒に暮らしていません。それなのに夫婦は50年、60年、それ以上だって一緒に暮らします。育ちも趣味もまったく違う夫と妻が何事も無いように平然と一緒に暮らしているのです。結婚するまでは全く赤の他人だったのです。
ですから私は結婚ほど不可思議な人間の絆は無いと思います。
結婚して一緒に暮らし始めてから好きになって愛し合う夫婦もいます。結婚が愛し合う原因になっているのです。
このように書くと未婚の若者が、それは嘘だ、愛し合ったから結婚するのだと反対します。そのような理解があっても良いのです。しかし50年、60年と一緒に暮らしてみると結婚が愛し合う原因になっているように思えるのです。

その上、子供や孫が出来るとそれがまた夫婦愛の原因になります。このように書くと、それでは子供のいない夫婦は愛し合っていないのかという疑問が出てきます。しかし子供がいないからこそ夫婦は強く支え合い、愛し合うようになるのです。
最近は国際結婚をする人も非常に増えてきました。夫婦の育った文化が違うので活き活きとした会話が続くのです。強烈な夫婦愛が生まれます。国際結婚は止めたほうが良いと賢そうに言う人がいますが、心配ご無用なのです。
夫婦の絆こそ不可思議で神秘的なものなのでカトリックでは結婚は神が人間へ与えた秘蹟だと考えます。ですから離婚などは許されないのです。夫婦の相性が良ければそれでも良いのです。しかし現実にはカトリック信者でも相性が悪すぎて離婚する場合が沢山あります。

ところで最近は離婚する人も増えてきました。次にこの問題を考えてみましょう。
結婚してみて相性が悪すぎたらさっさと離婚するのが良いのです。子供の出来る前にすれば子供を不幸にしません。
しかし子供が産まれ、大きくなってから離婚する場合もあります。その場合は子供を離婚騒動に巻き込まないことです。そして離婚後も両方の親が子供に会えるように法律的に保障をすることが重要です。離婚の多いアメリカでは子供を守る法律が整備されていて離婚の弊害を最小限度にする社会制度もいろいろ出来ています。詳細は割愛しますが、例えば離婚したもとの夫婦は友人同士として社会が認め、受け入れます。友人の子供は、勿論友人なので周囲の関係者は今まで通り子供たちとも楽しいつき合いを続けるのです。

さて最近は一生結婚しない人が増えています。この問題に関して私の感想を書きたいと思います。
それは憂慮すべき問題ではありません。独りでも淋しくなく、結婚の必要性を感じない人は敢えて結婚しない方が良いのです。そうすれば離婚して子供を不幸にする恐れはありません。結婚しないから日本の人口が減ると心配する人もいます。そのような心配はご無用です。日本の国土面積から考えると人口が稠密過ぎます。ですから雑駁に言えば日本人の人口は5000万人位が適当ではないかと私は感じています。

さて最後に重要なことを書きます。それは結婚したくても貧乏な家に生まれたので結婚出来ない、あるいは容貌が良くないので結婚出来ないと思い込んでいる場合について私の感想を書きます。結婚したくても出来ない理由をあれこれ考えると自分を傷つけます。そのような境遇や容貌に産んでくれた親を憎みます。そうすると自分だけでなく親をも傷つけます。そんな不幸なことはありません。その不幸から抜け出す唯一の方法は結婚できない理由をあれこれ詮索しないことです。結婚出来ないのは運命なのです。理由なんかありません。そう考えると結婚の条件などはさして重要でないと思えるのではないでしょうか。

それにしても結婚していると思わぬ良いこともあります。それは後期高齢者になって体が動かなくなったとき妻が介護してくれます。私の場合は元気過ぎる老妻が介護してくれます。そのお蔭で北海道や五島列島位なら旅行もできるのです。
ですから結婚も良いものです。多少育ちが違っても我慢すると長続きします。しかし相性が悪すぎたら早めに離婚するのも賢いことです。それにしても結婚ほど不可思議な人間の絆は無いのではないでしょうか。
今日の挿し絵代わりの写真は国立市大通りの歩道橋から撮った桜の風景です。昨日、身軽な家内が歩道橋に駆け上がり撮った写真です。桜も散り始め、通りには花吹雪が舞っていました。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)










「ついに満開になった小金井桜の写真をお楽しみ下さい」

2016年04月06日 | 写真
ここ数日、雨や曇りで桜の写真が鮮明に撮れませんでした。しかし今朝は青空になりました。早速、小金井公園の満開の桜の写真を撮りに行きました。満開の木と散り始めた木が混じっていて花吹雪を浴びながら写真を撮ってきました。花吹雪の桜を見ると何故か悲しくなります。
小金井桜の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









格差社会の諸問題を考える(2)格差社会の利害得失

2016年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、以下の3編の記事を書いて日本はますます格差社会になって行くと指摘しました。
「日本社会の格差が年々増加している」、 2016年03月31日
「日本社会の格差が年々増加している❕ その原因」、 2016年04月02日
「格差社会の諸問題を考える(1)日本で非正規雇用が増大する原因」、2016年04月04日

多くの皆様が格差社会に強い関心をお持ちのようです。これら3つの記事へのアクセス数も多かった上、沢山のコメントを頂きました。
例えば趣味人倶楽部というクラブで頂いたコメントは上記の記事の順に16件、13件、21件の合計50件にも達しました。
そしてFace Book の方でのコメントはそれぞれ10件、3件、15件ものご意見を頂きました。その合計は28件でした。
趣味人倶楽部の50件とFace Bookの28件を加えると総合計が78件になります。

この数多くのコメントの内容を総括すると、格差があまり無い方が良いが、現在の世界の経済環境で日本の企業が生き残って行くには格差が生じるのは止むを得ないというご意見のようでした。
勿論、コメントの中には格差はあってはならない、富の再配分をすべしという強いご意見もありました。その反面、働きのある者の収入が多いのは当然で、経済発展を期すなら格差はもっと大きくなるのもやむを得ないというご意見もありました。
資産運用についても、個人が真剣に研究した結果、その人の資産が増大するのだから、格差が大きくなるのは自然だというご意見もありました。
これら総計78件のコメントを見ると、多くの方々は日本の格差が年々大きくなって行くことに危惧をあまりお持ちでないようです。
またフランス人のMotoko Boutdumondeさん から、フランスでも格差が大きくなっていて、この傾向は世界共通の現象のようですというご指摘を頂きました。そして現在、フランスでは労働法の改正案に反対するデモやストがあると教えて下さいました。
そしてまた一方、頂いた多くのご意見から格差社会への進行を止めることは非常に困難であることも分かりました。
そこで今日は格差社会になった場合の利害得失を冷静に客観的に考えてみたいと思います。格差というものを感情的にならないで静かな心で考えてみました。
まず格差社会になって失うものを考えてみましょう。
失うものの一番大きなものは現在の生活困窮者の生活の保障でしょう。日本国内での相対的な貧富の差の拡大は生活を一層苦しくします。その結果、日本の平穏な社会にデモやストライキが起き混乱が生じる可能性があるのです。
失うもののその他には日本の伝統的な助け合いの文化が次第に無くなります。その伝統的な文化の消滅は日本の美しい義理人情を消滅させるだけでなく日本の全ての伝統文化に影響を与える筈です。
簡単に言えば日本的な伝統文化が消えて行き、次第にアメリカ文化が深く浸透するようになります。
一方、格差拡大で日本の得るものとは何でしょうか?
それは日本の会社の国際競争力の増大です。会社へ貢献した者だけの給与を増加し、しなかった者の給与を減らすと社員が真剣に働き出すと言います。結果として会社の業績が伸び、日本の会社の国際競争力が増大するといいます。
このような給与体制を能力給与体制といい、アメリカの会社の給与体制と同じになるのです。この能力給与体制は社員全体の人件費を少なくして社員の競争心で会社の利潤が上がると言います。
従って格差拡大によって日本の会社の利潤も増大し、国際競争力も増すのです。
これは得るもののなかで一番重要な部分です。
そして得るもののもう一つは日本社会で個人の自由と尊厳が今まで以上に尊重されるようになることです。
給与に差が出来ると個人の尊厳が増すという因果関係は理解しにくいものです。それはこういうことです。社員が自発的に真剣に働き、業績を挙げ給与が増大することは個人の自発性を大切にしているのです。一方、これから数か月は子育てに時間を使い、会社の仕事の時間を減らそうという個人の決定で給与が下がるのも個人の尊厳を増やしたことになるのです。
誤解を恐れずに書けば個人の能力は神様が与えたものです。能力のある者に給与を増やすことは神の意志を尊重したことになるのです。
神の前で人間は皆平等ですが、そのタレントはそれぞれ違います。その違いを尊重すれば、それは個人の尊厳を大切にしたということになるのです。
このような考えがアメリカの能力給与体制の基底低音になっているのです。仏教国の日本では分かり難い感じ方です。
日本では会社の利潤を増大させた社員にお礼として給与を増大するという因果関係が理解しやすいのです。
この理解の違いが分かれば何故、アメリカでは正規雇用と非正規雇用が同じなのかが理解できます。
しかしあまり長くなるのでその問題は続編にゆずることにいたします。
今日の挿し絵代わりの写真は身延山の山林の中に咲いている桜の花の写真です。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










雨もよいの三嶋大社の桜の写真をお楽しみ下さい

2016年04月05日 | 写真
三嶋大社の昨日の雨空の下での桜は一段と風情があり惹きつけられました。
昨日撮った写真を5枚お送りいたします。









この三嶋大社は建物も華麗で風格もあり神社そのものもとしても魅力があります。
神社のHP(http://www.mishimataisha.or.jp/shrine/ )によると以下のような説明がされえています。
御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録があります。
三嶋神社は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期の「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。
社名の「三嶋」は、地名ともなりました。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。鎌倉幕府が出来ると源頼朝は社領や神宝を寄進し保護します。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものだそうです。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点にもなっていて、伊豆国 一の宮として三嶋大明神は広く天下に有名になって行ったのです。
その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され文化的価値の高さも再認識されています。
祀ってある神様は、大山祇命[おおやまつみのみこと]、と積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]の御二柱です。この2位の神を総じて三嶋大明神と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。(終り)
神社のお好きな方は是非お出かけになってみて下さい。
最後に本殿の写真を1枚示します。