後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

テロ準備罪、憲法改正、軍備強化、3年後の日本は?

2017年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人ならこの国の平和が何時まで続くか心配になります。将来はどのような国になるか心配です。
10年後の将来は分かりませんが、3年後くらいなら予測出来るような気がします。
最近、テロなど無い日本でテロ準備罪を罰する法律を作ろうとしています。戦前の治安維持法とは全く違いますが、なんとなくそれを彷彿とさせます。
そして安倍政権はいよいよ憲法改正にとりかかります。自衛隊を日本の安全を守る軍隊として憲法で認めます。戦後レジームからの脱却です。そして軍備強化をします。
アメリカはパリ協定から脱退しました。トランプ大統領がアメリカ第一を主張し国際協調が崩れ出しました。
北朝鮮が核ミサイルの改良に努力しつつあります。中東の戦乱は混迷を深め何時までも続いています。
このような現在の情勢から3年後の日本を予想してみましょう。ただ漠然と予想するのではなくいろいろな分野に分けて成るべく具体的に予想してみましょう。
(1)憲法改正と日本の軍備強化
安倍政権が存続している間に、憲法は改正され、自衛隊が憲法で日本の安全を守る軍隊として認められるでしょう。
そして危険なミサイル発射をしている北朝鮮や中国の太平洋進出の脅威を受けつつある日本は軍備強化に努力します。この方向は多くの国民が支持しているようですので3年後はそのようになるでしょう。
それと並行して自衛隊のアメリカ軍との共同作戦の準備がより鮮明になります。
3年後の日本は外交努力と軍事力の両方を使っていよいよ国際社会に乗り出すのです。これを喜ぶ国民が多数になるでしょう。
気分的に日本がやっと独立国になるように感じる人が多いことでしょう。

(2)中東の戦乱と日本からの出兵
中東の戦乱は長い将来も続くでしょう。この状態でトランプ大統領は親米のサウジアラビア、ヨルダン、などの国々に大規模な武器の売り渡しを契約しました。これら親米のアラブ諸国はイスラム国と大国イランと対立しています。
このような構図の中でサウジアラビアとイランが戦争を始める危険性があります。戦争が始まればアメリカはチャンスとばかりイラン攻撃のため軍事介入するでしょう。日本は当然、アメリカ海軍を支援するためにイージス艦や駆逐艦をインド洋に派遣するでしょう。そして小規模ながら陸上自衛隊の中東への派兵もあるでしょう。

(3)第二次大戦以前の歴史の見直しと過去の日本の正当化が行われる
戦後のアメリカ占領軍は日本の朝鮮合併や満州国建国や中国侵略は悪であったという教育を徹底的に行い日本の軍国主義を完全に粉砕しました。
他国を武力侵略することは、勿論、倫理的には悪に決まっています。しかし昔の欧米の植民地政策を棚に上げて、日本だけが悪の権化だと言わんばかりの教育を押し付けたのです。新聞や本の出版の検閲もしたのです。
この戦後教育の偏向を正そうとして戦前の歴史の見直しが最近しきりになされています。
しかし日本が朝鮮を合併したり、満州を建国したことは悪であることには間違いなのです。倫理的に悪なのです。その負の遺産は受け入れるのが人間として正しいと思います。
しかし3年後の日本では日本の正当化の勢いが一層強くなるでしょう。

(4)3年後も変わらぬ日常の暮らしぶり

上記のように日本を取り巻く国際情勢は現在より厳しくなります。
しかし国民の生活ぶりは現在とほとんど変わらないでしょう。消費は現在と変わらず活発でしょう。
相変わらず野球やサッカーに国民は一喜一憂し、相撲ではモンゴル勢が活躍しているでしょう。稀勢の里の優勝が光明です。
国民の暮らしぶりが悪くならないのは日本の経済が好調だからです。
アメリカが中東で軍事作戦をずれば経済が活性化します。日本は中東から離れているので戦乱に巻き込まれなく、経済の活性化の恩恵を少し受けるでしょう。

結論を書けば、3年後の日本の暮らしは現在と変わりません。しかし社会の雰囲気は戦前の統制国家のような雰囲気に少しなるでしょう。しかし統制国家といっても戦前の大政翼賛会による全ての締め付けはありません。民主国としての個人の自由と平等は守らるでしょう。
唯一危惧されるのが北朝鮮とアメリカとの軍事衝突です。これだけは回避すべきです。安倍政権の賢明な外交が期待されます。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日、都立薬草園で撮った花の写真です。写真は順々にオオアマチャ、トウカンゾウ、セイヨウナツユキソウ、ジキタリスの花々と大麦です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









花々を種から育て咲かせている方のブログをご紹介します

2017年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
花の写真を掲載している方々は多いものです。しかし種を外国からも取り寄せて丁寧に育て、花々を咲かせている方は少ないようです。
そのような珍しい花々の写真を沢山掲載してあるブログがあります。
『KITAHOのデジカメ散歩』というブログで、URLは、http://kitaho321.blog25.fc2.com です。
KITAHOさんは横浜に住んでおられ、毎日のように自転車で郊外の野原やお寺を巡りながら自然に生えている小さな草花を見つけては美しい写真を撮っています。
自宅の庭に実にいろいろな珍しい原種の花を育てています。
そして山梨県北杜市の甲斐駒岳の山麓にロマンチックな別荘を持っていて、そこでも草花を育てています。別荘の隣の雑木林を地元の人から借りてそこに自然に咲く草花も観察しています。私は何年か以前にその別荘を訪れて花々のお話を聞いたことがあります。博識で、まるで植物学者のようです。
今回、そのKITAHOさんのご承諾を得ましたので、『KITAHOのデジカメ散歩』から花々の写真と説明文を以下にご紹介することにしました。尚、説明文の中にある「秘密基地」とは甲斐駒岳の山麓にある別荘のことです。
===『KITAHOのデジカメ散歩』からの抜粋==========

1番目の写真は八重咲きのウツギ、サラサウツギです。可愛く開花しています。
別名、サクラウツギと呼ばれるように、うっすらと桜色を見せ、他のウツギとは格別な美しさを見せてくれます。
しかし、八重咲きの宿命?ともいえるうるささがあります。
数輪のサクラウツギは素敵なのですが、いっぱいの八重の花はうるさくて仕方ありません。
でも一輪、二輪をまじまじと眺めてしまいます。

2番目の写真は東京・町田市三輪町にある『高蔵寺』の境内に咲いていた黄色い睡蓮です。この寺はシャクナゲ寺として知られています。

3番目の写真は同じ寺に咲くテイカカズラです。この『高蔵寺』は春夏秋冬、いつもお邪魔させていただくお寺さんです。特に自転車での休憩地点でもあります。 初夏の佇まいを見せる境内はめっきり花数が減りました。しかし、アスチルベ・ザクロの花や白花ヤマブキの実などが私の心を和ませてくれます。

4番目銅葉のゲラニュームの花です。暑さに弱いというのがもっぱらの噂の花です。
しかし、銅葉ですが、暑さに強いゲラニュームがありました。
このゲラニウム・エリザベスアン(Geranium maculatum 'Elizabeth Ann')と、いいます。
とても大きくなり、秘密基地(北杜市の別荘)行きが間近です。
Geranium maculatum は北アメリカ~カナダに自生するゲラニウムで、エリザベスアンは、その園芸品種です。
柔らかなピンクというより、透明感のある藤色といった方が良いような彩りで、素敵なものです。大事にしたいゲラニュームです。
英語では、Geranium maculatum 'Elizabeth Ann'と言います。

5番目のヒメサユリ(姫小百合)です。
ヒメサユリは、福島県と新潟県、山形県の三県にまたがる山地。飯豊連峰に自生が確認されている日本固有のユリです。
別名、オトメユリ(乙女百合、学名:Lilium rubellum)とも呼ばれます。
秘密基地のヒメサユリやササユリは実生から育成したものです。頑張った甲斐がありました。
自然の野原で、こんな素敵な彩りに出会えるとは思ってもみませんでしたから。
ヤマユリに比べ、弱々しい株立ちですが、そっと優しく開花する姿は、まさに乙女ですよね。

6番目の写真はササユリです。ササユリは貴重な日本固有の原種ユリです。
また、自生地として、伊豆半島以西の本州及び四国、 九州の地域にのみに見られるユリです。
ネットで知り合いました石川県の方からササユリの球根や種を頂いたのが2010年の晩秋の頃でした。
袋撒きがよいと言うことで、ナイロン袋に鹿沼土を湿らせ、その中に種を入れました。(袋撒きは2010年11月13日)
・・・2回の冬を経験しますと、発芽するようですね。(2012年04月17日17日)
そして、少しだけ球根が大きくなり、球根の植え替えが出来ました。(2014年11月06日)
発芽して4年目。やっと開花に辿り着きました 。(2016年06月01日) 嬉しかったですねぇ。
そして、秘密基地のササユリもしっかりとした花が付きました。(2016年06月17日)
ササユリは・・・今年も元気です。
この写真は横浜の自宅のバックアップ用のササユリ

7番目の写真は南アフリカ原産の『トリトマ』の花です。
北杜市に別荘を建設した時から『トリトマ』という植物に興味があり、苗探しに奔放したのを覚えています。
7年前ですので、苗らしきものが見当たらなく、『じゃぁ・・・種から育ててやる』でした。
で・・・イギリスから種を取り寄せました。短絡的な行動でしたね。
しかし、種から育ててやるというチャレンジは容易なものではありませんでした。
育て方もわからず、ただただ、熱帯性ですが、標高の高い所(1400~2800mくらい)に自生していて、耐寒性もあり、地植えでも育てられるとのことを信じ、4号ポット苗になった頃を見計らい、秘密基地に持ってきました。・・・結果。上手くいきましたよ。達成感いっぱいです。
今や、別名の松明百合(タイマツユリや英名の『トーチリリー』などと言われる通りの姿となって来ています。
特に、美しいと感じるポイントが・・・黄色からオレンジに変わるグラデーションの美しさです。
秘密基地のはどうなっているのでしょう・・・・来週末の秘密基地入りが楽しみです。
=============転載の終り========================
私の記事には内容に関係ない挿し絵代わりに花々の写真を添えています。今後は時々KITAHOさんの花々の写真をお借りすることにしました。それもご承諾下さいましたKITAHOさんへ感謝しながら今日の記事を終りと致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「高齢者と社交性(4)定年後に知る妻の心の深さ」

2017年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢者になると他人の助けが必要になります。一番重要な人は共に住む妻です。ですから妻へ感謝し尊敬し、良質な社交性で接しなければなりません。感謝と尊敬の念をスマートに伝えることをこの連載では良質な社交性と言います。
今日は妻への感謝と尊敬について短く書いてみたいと思います。
その前にこの連載の今迄の記事をちょっと振り返ってみましょう。
「高齢者と社交性(1)医師と看護師への感謝と尊敬」2017年06月06日
「高齢者と社交性(2)リハリビ施設のスタッフへの感謝と尊敬」2017年06月08日
「高齢者と社交性(3)ネットを利用した交流のための社交性」2017年06月09日 
この3つの記事の題目を見ると人間が老境でなると実に多くの人々に助けられ、支えられているかがよく分かります。
そして今日取り上げる妻は毎日の生活でかけがえの無い助けです。支援者です。
それは日常の当たり前のことなので妻への感謝や尊敬を忘れがちになります。
ところで私が妻の愛の深さを知ったのが70歳になって一切の仕事を止めた時のことです。
それまでは定期的な収入もあり社会的な立場もありましたから夫の人間としての価値は具体的に分かる状態です。
分かり易く、いささか下品な書き方をすれば夫が生活費を稼いでくるのですから妻は夫へ感謝し尊敬するのが当たり前です。
ところが70歳で一切の仕事を止め、社会と繋がりの無い状態になるのですから妻の感謝と尊敬は消えても可笑しくはありません。
私が一切の仕事を止めても妻は一切態度を変えませんでした。赤ん坊のように何の力も無い夫を以前と変わらない感謝と尊敬の念をもって接してくれるのです。夫が外で嫌な思いをしても我慢し、生活費を稼ぎ続けるから感謝していたのではなかったのです。
夫を裸の無力な一個の人間として結婚以来ずっと愛し続けて来たのです。老いて醜くなった夫を変わらず愛しているのです。
嗚呼、女には負けた。男は真似出来ないと感じることが多くなるのです。
世間では、女は子供を生むから男より偉いとよく言います。それも同感しますが、定年後になってみると妻の態度が変わらないことに驚きます。微動だにしない大地のようなものです。
これに比べると男は女の見かけなどに左右される浅はかな存在なのです。男は老境に至って初めて女性の姿ではなく心の美しさがしみじみと、そして深く理解出来るのでしょうか。勿論、賢い男は若い時からそのことを知っています。
夫婦が共に健康で老境に至ることが出来ると、多くの男性は妻の愛が純粋で深いことに気が付きます。
それは幸運なことです。
しかしこの幸運に恵まれない人も沢山いるでしょう。しかし老境に至った多くの人間は平穏な幸せそうな顔をしています。近所を独りで散歩している高齢者は皆んな、みんな幸せそうです。犬と何やら話をしながら歩いている人もいます。
やっぱり人間とは素晴らしいものですね。

定年後、妻の愛の深さを知った愚かさを書いてしまいました。

今日の挿し絵代わりの写真は水郷、都立水元公園の風景写真です。5月27日に撮りました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





あなたは愛されていますか?欧米と日本では愛という言葉の使い方が違う

2017年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム
『愛』という言葉を調べれば「アガペー」から始まって、いろいろと詳しい説明があります。今日はその難しい議論を省略して『愛』という言葉の簡単至極な説明をしたいと思います。
『愛』という言葉の意味と使い方は日本と欧米では非常に違う場合があるという説明です。
例えばキリスト教では神が私を愛していますと言います。私はイエス様を愛していますと言います。教会でのミサではこのような文句を何度も言います。ですから欧米人にとっては「愛します」という言い方には慣れています。それを言うことに何の抵抗感もありません。
日本人が「お早う御座います」とか「こんにちは」と気軽に言うように、夫婦の間でも「私は貴方を愛しています」と気楽に言います。
朝昼晩と愛してますと言います。その時、信心深い欧米人はその瞬間、愛という言葉で神やイエス様の愛を連想するのです。
一方、日本では夫婦になってしまったら「あなたを愛してます」とはめったに言いません。照れくさいし、第一、夫が妻を愛しているのは当たり前です。当たり前のことをことさら声を出して言う馬鹿はいません。
その上、日本の文化では暗黙の了解を重視します。心と心の信頼関係を重視します。老夫婦がお互いに愛していますと言い合う光景はあまり見かけません。
これは日本は佛教国であるせいかも知れません。仏教ではお釈迦さまが人間を愛しているとは言いません。仏教の信者がお釈迦さまを愛していますとは絶対に言いません。
お釈迦様は人間に慈悲深い方ですが、人間がお釈迦さまへ慈悲を与えるとは絶対に言いません。
このように『愛』という言葉の使い方は日本と欧米で違います。
それでも日本の女性は男性に「愛していますよ」と言って貰いたいのです。ですから老夫婦の間でも夫は妻へ「愛しています」と明快に言うほうが良いのです。当たり前のことでも改めて声を出して言うべきなのです。
このように言葉というものは日本と外国では同じ言葉でも意味が違う場合があるのです。
例えば『神』という言葉は日本では普通、神道の神様のことです。複数の神様のことです。
一方、欧米で『神』と言えばキリスト教の神を意味します。全知全能の唯一の神です。

今日は文化が違えば、同じ言葉でも意味が違うという当たり前のことを書きました。
当たり前のことを書かないと違いを忘れてしまって、日本と欧米の間に誤解が起きます。相互理解があれば戦争は起きないと言います。
ささいなことでも、こうして書いておくのは重要だと信じています。

今日の挿し絵代わりの写真はマリア様の写真です。写真とその説明文は蝉の日和見さんの「天の后(あめのきさき)コレクション-その1」から転載させて頂きました。URLは、http://cicadan.blog111.fc2.com/blog-date-201305.html です。このHPの著者の方は1955年生まれで、科学図書執筆編集のお仕事をされています。専門分野は生物学系だそうです。 

1番目の写真は長崎県の黒崎教会のマリア像です。布の表現が立体的で軟らかです。
 像の台は、100年以上(禁教時代を入れると400年以上)におよぶ黒崎教会の歴史が書き込まれた碑となっています。2000年竣工。

2番目の写真は、長崎県の神ノ島教会にあるマリア像です。美しく彩色された大きなマリア像で、お顔を僅かに下に向け、教会の前に立った人々に優しく視線を合わせて下さっています。

3番目の写真は「日本の聖母」という称号を持つ大浦天主堂のマリア像です。
この像は苛酷な弾圧を耐えた日本のキリシタンと、ヨーロッパの神父との感動の再開を記念して、フランスの教会から贈られました。明治12年(1879年)の聖堂建替え時からずっと正面入口に置かれています。これが日本の屋外マリア像の第1号と言われています。高さは1m40cmで、頭に頂く冠と足下の三日月が金色で、品の良い豪華さがああります。
 信徒再発見の当事者プチジャン神父はパリ外国宣教会に所属していたので、そこからの贈り物と思われるが、明治期に輸入されたマリア像の中でも、これは特に優れた作品といえ、特別に選んで贈られたことが伺えます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「高齢者と社交性(3)ネットを利用した交流のための社交性」

2017年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢者になると体力が要らないコンピューターを使って、いろいろな人々と交流することが楽しくなって来ます。
私は10年前にブログを書き始めました。そして数年前から3種類の社会ネットワーク・システムの会員になってします。
国際的な Face Book と日本の趣味人倶楽部とBYOOL・SNSという3種の会員になっています。そして毎日、同文の記事をブログとそれぞれに掲載しています。記事の内容は、旅の話や趣味の話、そして社会時評や国際関係まで幅広い話題です。自分が美しいと思った風景や花の写真も載せます。
するといろいろな方々からコメントを頂きます。そこでコメントを下さった方のブログやホームページを見ます。こうして知らない世界にいる多くの人と交流が出来るのです。
さらに印象深い良質なコメントを毎回下さる方には原稿を依頼し、頂いた原稿を私のブログや Face Book のページに掲載して広くご紹介します。
過去10年間で10人以上の方からご寄稿を頂きました。
今年になってからはEsu Keiさんという女性の方が『パリの寸描、その哀歓』と題する連載記事を15回も書いてくださいました。
それからフランスに在住の女性の ともえさとこ様は『フランスあれこれ』という連載記事を4回ほど書いて下さいました。
さらにブラジル在住の平峰盛敏様は『ブラジル生活あれこれ』と題する連載記事を3回書いて下さいました。
この3人の方々には今年になってから大変お世話になったのです。

さて前回の記事では「陽なた」というリハビリ施設のことをご紹介しました。
上記のように『パリの寸描、その哀歓』という連載を15回も書いてくださったEsu Keiさんとはこのリハビリ施設で知り合った方です。
この施設で知り合ったもう一人の男性の方にも去年、記事を書いて頂きました。
この方は大正生まれの方で、終戦前に陸軍士官学校を卒業された90歳くらいの立石 恒さんという方です。
私より10年位年上ですが、頭脳明晰で、運動能力が抜群なのです。その方にも原稿を依頼したのです。

このようにインターネットを利用していろいろな方々と交流し友人になるためにはその人を尊敬してメールの交換をします。お会いしなくても礼儀正しくメッセージの交換をすると親しい友人関係になれるのです。

少し変わった趣味の方とも昨年親しくなりました。でいしゅうさんという方で銃猟が趣味です。昨年、その銃猟に関する興味深い連載記事を書いて下さいました。その上、北海道で仕留めたエゾシカのロースの塊も送って下さったのです。その後三重県で仕留めたイノシシの肉も送って下さいました。
話は飛びますが、ロンドンに住んでいる石山 望さんとは趣味人倶楽部で昨年8月に知り合いましたが、それ以来毎週お電話を下さいます。そして昨年10月と今年の5月には日本周遊の旅に来ましたが、その折に家内ともどもお会いしました。

このようにネットを利用した交流で絶対的に重要なのは感謝と尊敬にもとずいた礼儀正しさです。それが良質の社交性になると信じています。
今日の話はここまでですが、戦前にあった陸軍士官学校の教育に関してはあまり知られていないので以下に2016年10月26日 に掲載した記事をもう一度掲載いたします。

『昭和時代の陸軍士官学校を卒業した方の生涯』

1)何故、立石 恒さんは陸軍士官学校に入学したのですか?
私の父は私が小学校6年生、12歳の時亡くなりました。その後やっと旧制の中学校を終えましたが、それ以上の学費が続かず、官費の学校を選びました。
どうせ戦争で死ぬ身なら格好良く死にたいという刹那的な気持ちもありました。
時流に乗ったのかも知れません。自分では意識しませんでしたが、或いはオポチュニストだったのかも知りません。

2)陸軍士官学校でどんな教育を受けましたか?
それはとてもストイックな教育を受けました。そしてサバイバル(Survival)の技術を体得させて貰いました。
戦術の他に物理や化学など普通もあり、ある程度の教養を得ました。
課目に国際法、特に戦時国際法や、ハーグ協定などに関するものが無かったのが残念です。

3)終戦時の心境は如何でしたか?
内心、ほっとしました。生き延びたと思いました。本音でした。
しかし同期生の中の数人は腹を切って自殺しました。
私は楽観主義者なのか将来のことは余り考えませんでした。
その後、もう一度戦うのだというので、銃剣を研ぎ、小銃の実弾が支給され、実戦の準備をしましたが、結局沙汰止みになりました。

4)終戦後の大学入学と就職はどうなさいましたか?
終戦後、一時農業に従事しましたが、向学心黙しがたく、翌年大学を受験し無事入学出来ました。
当時、軍の学校を出た者入学者の1割以内という制限がありました。
昭和24年に大学を卒業し就職試験を受けました。就職試験は3社以内という規則があり、先に合格した会社に行くという決まりがありました。
私は、メーカー、商社、金融機関の1社ずつを受けて、一番先に決まった銀行に入りました。その銀行は国内よりも海外に店舗を持つ国策銀行でした。
父が外務省の官吏で海外勤務をしていたことも選択の一つでした。働きました。戦後の経済復興期で、深夜帰宅が1年以上続きました。
しかし肺結核になり、1年半以上の休職療養をしました。それ以来、人生を達観し、出世主義を放棄しました。

5)海外勤務みついて教えて下さい。
ブラジルのサンパウロ支店で4年間勤務しました。ラテンの国でのんびり出来ると思いましたが、当時、日本企業のブラジル進出が相次ぎ忙しい毎日でした。
ブラジル経済の狂乱期で、インフレ率が年間100%に近く、苦労しました。
革命も経験しました。郷に入っては郷に従えの仕事のやり方、処世の法を学びました。

6)日本の将来と日米安保体制についてのお考えは?
アメリカ大統領候補のトランプ氏の演説を聞いていると、しきりに日本の防衛から手を引くと言っています。従って有事の際、果たして日本を護ってくれるのか心配です。
近隣諸国と仲良く出来ないものでしょうか。遠くの親戚よりも近くの他人という諺があります。中途半端な防衛で強大な中国に勝てるでしょうか。蟷螂の斧で向かうような気がしてなりません。スイスに学ぶべきだと思います。(終り)

あとがき、
以上の文章に付記したいことがあります。
まず陸軍士官学校は当時一番入学試験が難しい学校だったことです。ですから上の文章を書いて下さった立石 恒さんは非常に優秀な若者だったのです。
そして彼の楽観主義が幸いしました。何時までも軍国主義を引きずらないで直ぐに大学に入り、銀行に就職したのでず。そして1年半の闘病生活が人生観を変えたのです。
よく人は「激動の昭和時代」という言葉を用います。しかし激動の内容は人それぞれなのです。
上記の文章を読みしみじみと昭和という時代を思い返しています。

今日の挿し絵がわりの写真は6月3日に撮った青梅市の吹上しょうぶ公園で撮った花菖蒲の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










高齢者と社交性(2)リハリビ施設のスタッフへの感謝と尊敬

2017年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢者になるといろいろな人の助けや支援を受けるようになります。ですから助けてくれる人への感謝と尊敬をスマートに社交的に相手に伝えることが重要になってきます。
詳しいことは後で書きますが、私は足がフラフラして長距離の歩行が困難な難病にかかっています。難病なので介護保険が適用されています。
その介護保険のお陰で2年3ケ月前から毎週1回、リハリビ施設に通っています。
そのリハリビ施設の10人位のスタッフに非常に感謝しています。みんな若いのに、熱心に良い仕事をしていると尊敬しています。
その上、同時にリハリビのプログラムを行っている仲間の16人ほどの後期高齢者と仲良くなるための社交性が要求されます。
ですから今日はリハリビ施設のスタッフへの感謝と尊敬をまず書いて、次に同じプログラムを行っている高齢者とどのように付き合っているかを書きます。
そして最後に長距離の歩行が困難な難病とはどのような病気なのか簡単にご説明いたします。

(1)小金井市にある太陽病院付属のリハリビ施設、『陽なた』のスタッフの素晴らしさ
この施設には柳堀さんというセンター長の下、理学療養士などの資格を持ったスタッフが10人くらいいます。優しい看護師さんも1人います。
スタッフは20歳代から40歳代までの男女ですが、80歳代から90歳代のリハリビを受ける高齢者から見るとみんなが若く見えるのです。スタッフは若さに輝いているのです。
この施設では高齢者を車で送り迎えしています。施設に午後2時前に着くとまずお茶を出してくれます。心の優しい看護師さんが血圧や脈拍や体温を測ってくれます。先週は何処かに行きましたか?買い物は大変ではありませんか?などと話しながら血圧を測ってくれます。
それが終わると椅子に座ったまま準備体操をします。これが結構厳しくて一汗かきます。
準備体操のあとは16人位が1階と2階の部屋に分かれて4コマのプログラムを行います。

1コマ目は脚や手を加重をかけて伸縮させるアメリカ製の機械が4種置いてあり、それを一つずつ行って行きます。
2コマ目は縦長の大きなスクリーンの前に立ってその画面に映る画像に従ってバランスを取る運動をします。その上、東京から京都まで東海道を歩いていくプログラムもあります。体の重心の移動で金魚すくいをするゲームもあります。
3コマ目は理学療養士が個人的に指導するいろいろな訓練です。個人個人の体力に合わせて考えた運動機能の訓練です。その上、時々はベットの上に寝てマッサージとストレッチをしてくれます。運動機能の訓練は毎回違う方法で飽きないように工夫してあります。
4コマめは固定した自転車をこぐ運動を20分します。加重を軽くすると20分で10Km以上行きますが加重を増やすと7Kmしか行きません。これは毎回汗をかきます。そして最後にまた整理体操をして終了になります。車で自宅まで送ってくれます。
以上のような約3時間半ほどのプログラムですが、各コマは40分位ですが、各コマにはそれぞれ20分くらいの休憩時間があります。
この休憩時間の間に10人ぐらいのスタッフが手分けして老人一人一人と話し合いをしてくれます。老人たちの育った時代の様子を聞いてくれます。楽しかった思い出を聞き出してくれます。高齢になると独り暮らしも増え、自宅では喋らない高齢者が、みんな楽しそうに活き活きとスタッフと話し合っています。その上スタッフはえこひいきをせず公平です。とても社交的です。
年老いて見る影も無くなった老人たちを尊敬すらしているような様子です。
私はこの様子を見て毎回感動しています。スタッフに感謝しています。その熱烈な仕事ぶりを尊敬しています。従来見たことの無い種類の日本人たちです。

(2)同じプログラムを行っている高齢者との交流
以上のようなスタッフ達の社交性を私は見習いました。そして休憩時間中にいろいろな高齢者と話をして仲良くなりました。ある2人の方々にはこの欄に原稿を寄稿してもらいました。
そのことは次回の、「高齢者と社交性(3)ネットを利用した交流のための社交性」という記事でご紹介する予定なので、今日は省略します。

(3)長距離の歩行が困難な難病とは?

病気の名前は小脳脊髄変性症というものです。50歳過ぎからゆっくり小脳が委縮して行く病気です。小脳が委縮すると体のバランスが取り難くくなります。ろれつも回らなくなります。
特効薬はありません。3年程前に武蔵野赤十字病院の神経内科の一條先生がCTスキャンなどの精密検査をしてくれて診断してくれました。
命にかかわる病気ではないのでこの病気と仲良く陽気に付き合っています。
足がフラフラする方々は神経内科で精密検査を受けることをお薦めいたします。
不思議なことに自動車の運転能力は低下しません。先週は往復800Kmの仙台まで車で墓参りに行きました。

さて閑話休題。以上のように人間は高齢になればなるほど良い社交性が要求されます。
その結果、次第に社交性が身につきます。するといろいろと楽しい世界が開けるものです。
明日はインターネットを利用した交友について書いてみたいと思います。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日撮ったアジサイとタチアオイとの花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









高齢者と社交性(1)医師と看護師への感謝と尊敬

2017年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢者にとって一番重要なことは助けてくれた人へ感謝することです。支援してくれた人へ感謝することです。そして助けたり支援してくれた人を尊敬することです。
その感謝と尊敬の念をスマートに伝えることを良い社交性と言います。
人間は高齢になればなるほどこの良い社交性が必要になって来ます。
そこで今日から『高齢者と社交性』という連載記事を書いて、この社交性がどのような場合に非常に重要になるか幾つかの具体的な例を使って説明して行きたいと思います。
連載の第一回は「医師と看護師への感謝と尊敬」についてです。
高齢になると多くの人は病院に行きます。
医師の診断を受け、場合によっては入院して看護師のお世話になります。
この場合、医師が情熱的に熱心に治療してくれれば幸運です。入院した場合に看護師が天使のように優しく誠心誠意世話をしてくれれば幸運です。
この幸運を引き寄せるのが貴方自身の心の持ち方なのです。医師や看護師へ対して深い感謝の念を持つことです。尊敬することです。
その結果として良い治療が受けられます。自分にとって良い思い出になるだけではありません。医師や看護師が自分の仕事を誇りを持ち一層患者に尽くすようになります。
私事で恐縮ですが、8年前に武蔵野赤十字病院でガンになった前立腺を全切除する手術を受けました。その手術をしてくれたのが田中良典先生でした。その後ガンが再発し放射線治療でやっと昨年完治しました。
この間、8年あまり田中良典先生にすっかりお世話になりました。
田中先生は手術の腕が抜群です。日本一という評判でした。その上、温かい心の持ち主です。とても親しい友人のようになりました。
その上、武蔵野赤十字病院の若い女性の看護師さん達が徹夜で献身的な看病をしてくれたのです。感動したのでそのことを記事にして、8年前のこの欄に掲載しました。
現在、私は健康ですが、体力維持のためにリハリビ施設に通い、理学療養士の指導を受けています。ろれつが回らなくなったので、口腔リハリビ施設で発音や朗読の指導を視聴覚士から受けています。私は彼等、彼女等に感謝しています。尊敬しています。

最後に一言だけ書かせて下さい。よく高齢者から病院や医師の悪口を聞くことがあります。看護師に邪慳に扱われたと愚痴を言う人もいます。私は言葉では同情したようなことを言いますが、本心では「それは自分が悪いのだ!」とつぶやいています。
医師や看護師の非難をする人は例外なく他人への感謝の気持ちが弱いのです。
高齢者ほど感謝や尊敬の念にもとづいた社交性が大切だと私は信じています。

さてこの記事をお読み頂いた方々へ私は有難う御座いますと申し上げます。そうして皆様へ花束でも差し上げたい気持ちです。
しかしそれは出来ませんので、せめて花の写真をお送りいたします。
この花の写真を選んだのは花々が野原に自然に咲き乱れるように見える光景だからです。八王子市の都立小宮公園ではなるべく花々が自然に見えるように育てているのです。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









ロンドンで又テロ事件、それにしても何故日本ではテロ事件が起きないか?

2017年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム
イギリスではこの3カ月足らずの間で3件のテロ事件が起きています。
その3回目の事件は6月3日の夜にロンドンで起きました。
その事件の概要を、https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-06-04/OQZYA56JTSM001 のニュースから転載します。
・・・英警察当局によると、首都中心部のロンドン橋で3日午後10時(日本時間4日午前6時)すぎにワゴン車が歩道に乗り上げ、通行人に突っ込んだ。車から男3人が降り、ロンドン橋近くの食材市場「バラマーケット」周辺のバーを刃物で襲撃した。
ロンドン警視庁によれば、男3人は警察に射殺され、この際、市民の1人が負傷した。その後、12人が逮捕されたが、そのうち1人は釈放された。また関係先4カ所を家宅捜索した。
同国ではこの3カ月足らずの間で3件目のテロ事件となった。5月22日にはマンチェスターで20人余りが死亡する自爆テロ事件が起きていた。
今回のテロの犠牲者はロンドン警視庁は当初、6人が死亡し、少なくとも48人が負傷したと発表したが、4日になって死者数は7人に増えた。3人の男性容疑者は射殺したという。警察はテロ事件として捜査している。・・・

過去数年、アメリカやフランスでイスラム過激派の残忍なテロが起きています。
このようにアメリカやヨーロッパでイスラム過激派のテロが起きているのに日本では起きていません。

何故でしょうか?
そこで私は日本でテロが起きない理由を調べました。
以下は昨年の6月16に掲載した記事ですが、イギリスの度重なるテロ事件を見ても以下の説明は現在でも正しいと思えますのでもう一度掲載致します。

日本にも多くのイスラム教徒が住んでいます。ですから日本でのイスラム過激派のテロが起きても不思議ではありません。
日本にいるイスラム教徒の多くは中東やパキスタンやインドネシアから来た人々です。
日本でテロが起きない理由はいろいろあります。
その理由は警察当局の厳しい取り締まりが考えられます。しかしもっと本質的で決定的な理由があると私は信じています。
その決定的な理由とは、中東のイスラム諸国は実は熱烈な親日国であることです。
このことを知らない日本人が多いようなので、そのことを簡単にご紹介したいと思います。

多くの日本人は知りませんが、中東のイスラム諸国は実は熱烈な親日国なのです。仕事でエジプトや中東のイスラム諸国に駐在していた日本人はこのことをよく知っています。
しかし日本のマスコミはイスラム諸国が親日的な事実をあまり報道しません。
2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロ以後、アフガニスタンを占領する戦争をしたり、イラク戦争を実行したアメリカに気を使ってアラブ諸国と日本の友好関係の報道は自粛しているのかも知れません。
兎に角、日本のマスコミはイスラム諸国の動向をあまり報道しないのが伝統のようになっているのです。
しかしエジプトやトルコをはじめ、イラン、ヨルダン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、などなどのイスラム諸国は熱烈な親日国なのです。
イスラム諸国の人々が日本人を尊敬し友好的な理由を以下のような歴史的な3つの理由があるためです。
(1)ヨーロッパのキリスト教の国々は11世紀、12世紀に十字軍を中近東に送り込み、現在のベイルート、ヨルダン、シリア、イスラエル、などなどの土地に数多くの十字軍国家を作り、残虐な統治をし続けたのです。
十字軍が築いた堅固な城が現在でも中近に残っています。
日本ははるか遠方に存在する国だったので勿論、十字軍は送れませんでした。この件に関して、日本は完全無罪です。
(2)日本は仏教国なので一神教のキリスト教とイスラム教との間の戦争には完全に中立的な存在なのです。
(3)イギリスの18世紀の産業革命以後に、圧倒的な武力を持つようになったヨーロッパ諸国とロシアが、中近東のイスラム諸国を保護国や植民地にしました。
その憎いロシアを日本は日露戦争で破ったのです。ロシアに権益を奪われていたイランをはじめイスラム諸国が拍手喝采をしたのは当然です。
そして第二次世界大戦では日本は勇敢にもアメリア、イギリスに立ち向かい、大きな損害を与えたのです。
日本は敗けましたがこの大戦争のお蔭で、インド、パキスタン、エジプト、イラン、イラク、ヨルダン、サウジアラビアなどなどの諸国が独立国家になれたのです。当然のことながら、これらの国々は日本へ深く感謝しています。

以上のよう歴史的な事情は宮田 律著の「イスラムの人は何故日本人を尊敬するのか?」という本に書いてあります。
その本の内容は岡井盛夫さんという方が要約して紹介しています。
(http://homepage3.nifty.com/morrio/back1/islam/miyataislam.html )
その詳細は上記のURLを開いてご覧ください。
ここでは二つだけをご紹介します。
(1)19世紀以降、イスラム世界はヨーロッパの帝国主義に侵食されました。栄華を誇ったオスマン帝国も、イギリス、フランス、ロシア諸国に進出され、アラブ地域は、イギリス、フランスの帝国主義勢力に分割支配されたのです。 ところが、アジアの小国、日本がロシアとの戦争で勝利します。イスラム世界から、一斉に称賛の声が上り、日本は、ヨーロッパ帝国主義に抵抗する国々にとって希望の光となったのです。
(2)イラク戦争の際、自衛隊は「人道復興支援」のためイラク南部の都市サマーワを中心に活動して2006年7月に撤収します。現地誌「サマーワ新聞」は、自衛隊員のことを「高い倫理を保持した人々」と形容しました。他国の人々のことを尊重し、他国の家庭や職業に敬意を払う立派な文明を伝統をもっている」、と絶賛したのです。

このようにイスラム諸国の人々は日本人を尊敬し非常に友好的なのです。
アラブ諸国と敵対するアメリカとの関係を気にするあまりこの事実を日本のマスコミはあまり報道しません。
報道しないもう一つの理由は日本人は明治維新以来、欧米から熱心に科学技術を学び、欧米の政治体制や資本主義を導入してきた事情にもよります。
イスラム諸国の多くは部族の首長が独裁的に統治し、中世さながらの国々なのです。民主主義も資本主義も随分と遅れている地域なのです。その理由で日本人が関心を持たないのでしょう。
アメリカは2001年の同時多発テロ以来、「テロとの戦い」を宣言し、イスラム過激派への攻撃を続行しています。それに対抗してイスラム過激派は欧米諸国でテロを実行し続けています。
もし日本政府が親日的なイランやアラブ諸国と協力すれば世界に平和をもたらすことが不可能ではありません。
そのような外交努力があまりなされていない様子です。
日本国内でテロさえ起きなければそれで良いという考えだけ良いのでしょうか?
日本人がもっとイスラム教の国々と交流を深めるように祈っています。それが世界の平和共存に大きな貢献をすると信じています。
今日の挿し絵代わりの写真は3つのイランの世界文化遺産の写真です。イランには16件の世界文化遺産があります。


1番目の写真はペルセポリスの遺跡です。ダレイオス1世が建設に着手したのは紀元前520年と言われています。

2番目の写真はイランのエスファハーンにあるイマーム広場です。

3番目の写真はタブリーズの歴史的バザール施設 です。

上の3枚の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3 です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

梅雨入り前の爽快な朝のひとときを花と遊ぶ

2017年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今日も快晴です。でも次第にアジサイの花の色が濃くなってきて梅雨が近いことを告げています。
ついこの間コブシやモクレンが咲き春が来たと思ったらもう梅雨の季節にさしかかっているのです。本当に時の流れは早いですね。
今朝は最近撮ったアヤメや睡蓮の写真を少しトリミングしたり画面の周囲を暗くして花が浮き上がるようにしました。
それをしている時間がとても楽しいのです。
花の写真を撮っていた時の嬉しさがまたよみがえってきて楽しいのです。
その花の写真をお送りいたします。

1番目の写真は9年前に潮来のあやめ祭で買って来た花です。毎年、毎年、庭の水盤で咲いてくれます。

2番目の写真も潮来のあやめ祭で買って来た花です。2種類の色のものが並んで咲いてくれます。

3番目の写真は6月3日に行った青梅市の吹上しょうぶ公園で撮った花菖蒲の写真です。

4番目の写真は同じ時に吹上しょうぶ公園で撮ったスイレンの花の写真です。

5番目の写真は同じ場所で撮った赤いスイレンの花の写真です。

庭のアヤメの花を見るたびに水郷地帯の潮来に一面に咲いてた色とりどりの花が心地良い風に揺れていた光景を思い出します。
そして青梅市の吹上しょうぶ公園で撮った写真を見ては公園の周囲の雑木林に囲まれた花菖蒲の畑を思い出します。
睡蓮の花はその公園の入り口にある沼に咲いていました。地形を考えるとその沼は下の方の水田への水の貯水池だったのでしょう。
水田は姿を消し綺麗な住宅が建ち並んでいます。
こんなことを書いていると穏やかな気分になります。平和な気分になれいます。
毎日、何事も無く平穏に過ごせる幸せをかみしみています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

時は流れ、昔の映画館の記憶

2017年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、我が故郷の仙台を訪れる旅に出ました。
久しぶりに見る仙台の町々は昔の商店がすっかり消えてしまい見知らぬ町になっていました。昔、何度も見に行った映画館の全も消えてしまいました。
時がどんどん流れ、繁華街の東一番丁にあったあの松竹、日活、東宝の映画館が跡形も無くなり綺麗な今風のブティック店になっています。
少し離れた場所にあった東北劇場や南街映画館も無くなりました。
戦後の娯楽と言えば映画を見に行くことが主でした。
どんな映画を見たか回想しながら仙台の町々を巡ってきました。「青い山脈」、「坊ちゃん」、「東京物語」、「ここに泉あり」などなど数多くの日本映画や西部劇などのアメリカ映画や「自転車泥棒」などのイタリア映画も「禁じられた遊び」や「太陽がいっぱい」などのフランス映画などなどの場面を思い出しました。
すべては忘却のかなたへ消えてしまったのではなく、思い出の場面は断片的に憶えているのです。
そこで帰りの東北自動車道路を走りながら最近見た映画を思い出していました。
最近見た映画で印象深かったのは今年の1月に見た遠藤周作原作、スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』でした。
そこで今日はこの「沈黙」を紹介した自分の記事をもう一度お送りいたします。

島原の乱も終り、江戸幕府のキリシタン弾圧がほぼ終了した時代に、2人のポルトガル人神父が行方不明の司祭を探しに無謀にも九州へ潜入して来たのです。ロドリゴ神父とガルペ神父です。
かつて尊敬していた司祭のフェレイラ神父は棄教し、幕府側になってキリシタンを捕縛、棄教させる役をしているという噂です。潜入したロドリゴ神父とガルペ神父は信者にかくまわれながらフェレイラ神父を探しまわります。
しかし2人とも捕まってしまい棄教を迫られます。ガぺラ神父は海に落とされた信者を助けようとして飛び込み、自分も役人に海に沈められて絶命します。
一方、ロドリゴ神父は生きてフェレイラ神父についに会うことが出来ました。しかしかつて尊敬していた師、フェレイラ神父は沢野忠庵と言う日本名を使用していてロドリゴ神父に棄教を迫ります。苦悩の末に棄教したロドリゴ神父は幕府から日本名を貰い、処刑された日本人の妻女を妻としてあてがわれます。
そして死ぬまで幕府側のキリシタン取り締まりに協力します。

以上のようなストーリーですがこの物語の特異点は、キリシタン弾圧のほぼ終わった頃に、無謀にも潜入をした若い2人の神父とそれを支える隠れキリシタン達との強い絆と愛の物語という点にあります。

この映画は28年前に「沈黙」を読み、感動したスコセッシ監督が長い年月をかけて準備し完成させた労作です。映画芸術の一大傑作です。感動しました。
心から皆様へお薦めいたします。
少なくとも人間とは何か? 宗教と人間の関係とは?というような疑問を考えたことのらある人は必ず見るべき映画です。貴方の疑問に解答は得られないでしょう。そして謎は深まるばかりです。
はたしてキリスト教は日本に必要なのでしょうか?それが日本に入って来たために殉教と言う大きな悲劇が起きたのです。
この遠藤周作の「沈黙」を読んだ私は35歳でカトリックの洗礼を受ける決心をしました。
私にとってこの映画は洗礼の喜びを蘇られさせてくれるのです。

さてそれでは数枚の写真でもう少しご説明いたします。写真の出典は、映画『沈黙ーサイレンスー』公式 (@chinmoku2017) | Twitter;https://twitter.com/chinmoku2017 です。

1番目の写真は厦門から困難な船旅の末やっと九州に秘かに上陸したロドリゴ神父です。隠れキリシタン達に熱い歓迎を受け、匿われます。隠れキリシタン達の為に洗礼をし、ミサをたてます。

2番目の写真はガーフィールド が扮したロドリゴ神父と窪塚洋介 が演ずるキチジローです。
キチジローは何度も踏み絵を踏むような意志の弱い男です。そして銀300枚のためにロドリゴ神父を官憲に密告します。
しかしキチジロウーはロドリゴ神父に告解を聴いて貰い神の赦しをえます。キチジローは何度もロドリゴを裏切ります。
そしてロドリゴも棄教し、日本名を使うようになってもロドリゴを離れようとしません。キチジローにとってロドリゴは最後まで神父、パードレなのです。最後に2人が別れるときもキチジローは「パードレ、告解を聞いて下さい」と言います。
この2人の最後の場面は感動的です。窪塚洋介 の演技力に驚きました。

3番目の写真は棄教前のロドリゴと塚本晋也演ずるモキチです。

4番目の写真は左から順に、村長のイチゾウ、モキチ、ロドリゴ、ガルペの4人です。ロドリゴ以外は殉教しました。

5番目の写真はフェレイラの苦悩に満ちた顔の写真です。
ロドリゴを演じたアンドリュー・ガーフィールドの演技には厚みがあり慈愛が滲んでいます。しかし棄教を薦める昔の師、フェレイラへの舌鋒は激しく攻撃的でした。それでもついにロドリゴも棄教します。
フェレイラを演じたリーアム・ニーソン の演技も棄教の悲しみを讃え重厚なものでした。
弾圧する側の 井上筑後守( イッセー尾形 )や通辞( 浅野忠信)などの演技もそれぞれ役にあっています。
スコセッシ監督の丁寧な演出の結果です。

さて皆様は戦後にどのような映画をご覧になったでしょうか?
最近はどんな映画をご覧になったでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

動画予告編;http://english.cheerup.jp/article/4464?d=rec4465

青梅市の吹上しょうぶ公園の花菖蒲をお楽しみ下さい

2017年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム
今日も快晴です。初夏の陽気です。午前中に家を出て、車で1時間30分の青梅市「吹上しょうぶ公園」に行きました。
まだ咲いていないものも多くあり、満開は来週の中頃から後半になりそうでした。
静かな谷地を歩きながら写真を撮ってきました。
紫、白、水色の絞り、覆輪など様々な花を楽しんできました。どうぞ写真をお楽しみ下さい。
開花情報や交通の便などは、http://www.omekanko.gr.jp/Iris/Iris.php にあります。













アメリカのパリ協定脱退と米軍と日本軍の北朝鮮沖での共同訓練

2017年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム
地球の温暖化を防ぐために各国から空中へ放出する炭酸ガスなどを少なくしようという協定が『パリ協定』です。
それを実行すると炭酸ガスを大量に放出しているアメリカの産業界が困ります。当然、アメリカの産業界はパリ協定に反対です。
その上、パリ協定はアメリカのような先進工業国に厳しく、インドや中国のような発展途上国には寛大な内容になっています。
その理由は先進工業国は過去100年くらいの間に多量の炭酸ガスなど有害ガスを大量に放出してしまっているのです。インドや中国は最近やっと有害ガスを放出し始めたのです。『パリ協定』ではこの歴史的事実を勘案してアメリカなどの先進工業国に厳しい内容になっています。
トランプ大統領はアメリカの産業が伸びれば地球はどうなっても良いという考えです。その上、歴史的観点を無視してパリ協定は不公平だと怒っているのです。
トランプ大統領はアメリカさえ良ければよいという非常に利己的な考えの上に、歴史的考察がまったく欠落した大統領なのです。
昨日のニュースを以下に示します。
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『トランプ大統領 パリ協定脱退の方針を発表』
6月2日 4時38分、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170602/k10011003791000.html
アメリカのトランプ大統領は地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」から脱退する方針を決定したと発表しました。パリ協定の規定では脱退は早くても2020年11月となりますが、世界第2位の温室効果ガスの排出国であるアメリカの温暖化対策が後退し、世界全体の機運に大きな影響が出ることが予想されます。
「パリ協定」は地球温暖化対策の国際的な枠組みで、2050年以降に世界の温室効果ガスの排出量を実質的にゼロにすることを目標に掲げています。
アメリカのトランプ大統領は日本時間の2日午前4時半ごろからホワイトハウスで「私は国民との約束を守る」と述べ、パリ協定から脱退する方針を決定したと発表しました。
そのうえで、トランプ大統領は、世界最大の温室効果ガスの排出国、中国に言及し、「パリ協定のもとでは中国は温室効果ガスの排出を増やすことが許されている。アメリカにとってとても不公平だ」と不満を示し、アメリカの労働者や企業に公平な内容になるなら、再び交渉を行う姿勢を示しました。
パリ協定の規定では脱退は早くても2020年11月となりますが、中国に次ぐ世界第2位の温室効果ガスの排出国であるアメリカの温暖化対策が後退し、世界全体の機運に大きな影響が出ることが予想されます。
トランプ大統領は去年の選挙中、地球温暖化について「でっち上げだ」などと否定的な立場をとり、パリ協定から脱退すると主張していました。
このため公約を守り、アメリカ第一主義のもと環境問題よりも経済成長や雇用創出を優先する姿勢を鮮明にする狙いがあるものと見られます。ただ国際社会がパリ協定にとどまるよう求めるなか応じなかった形で、反発が強まりそうです。
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このようなトランプ大統領の露骨なアメリカ第一主義は軍事力で他国を脅迫する政策にも連動しています。彼の考えではアメリカが持っている世界一の軍事力を有効に利用し国際間の取引をしようとしています。
その具体的な実例が日本海に空母打撃艦隊を2つも展開させ日本の軍隊と共同作戦をとっている事実です。
この軍事的脅迫は北朝鮮にミサイル開発を止めさせるためですが、中国にとっても大きな軍事的脅威になっていることは明白です。
それではその関連のニュースを下記に示します。
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『海空自衛隊、米空母2隻と日本海で共同訓練』
http://www.sankei.com/politics/news/170601/plt1706010050-n1.html 

海上自衛隊の護衛艦2隻と航空自衛隊の戦闘機、米海軍の空母2隻が1日、日本海で共同訓練を開始した。海空自衛隊が発表した。自衛隊が米空母2隻とともに訓練するのは初めて。強固な日米連携を示すことで、挑発を続ける北朝鮮を牽(けん)制(せい)する狙いだ。
 自衛隊はヘリコプター搭載型護衛艦「ひゅうが」と護衛艦「あしがら」、小松基地(石川県)所属のF15戦闘機6機が参加。米軍は空母「カール・ビンソン」と「ロナルド・レーガン」、艦載機のFA18戦闘攻撃機が参加した。
 海自は陣形や通信訓練、空自は戦闘を想定した戦術訓練を行った。海自は3日まで、空自は2日まで訓練を行うとしている。カール・ビンソンは4月末から日本海に展開。ロナルド・レーガンは定期整備を終えた後、母港である米海軍横須賀基地(神奈川県)を5月16日に出港していた。

1番目の写真; 
航空自衛隊のF15戦闘機が、米海軍の空母「カール・ビンソン」「ロナルド・レーガン」と、その艦載機とともに、日本海で共同訓練を行った。「カール・ビンソン」と空自のF15(自衛隊提供)

2番目の写真; 
共同訓練する(右上から下に)米空母カール・ビンソン、海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」、米空母ロナルド・レーガン。「ひゅうが」の後方に「あしがら」が航行。上空を飛行するのは航空自衛隊のF15戦闘機=1日、日本海(航空自衛隊提供)

3番目の写真; 
共同訓練する(手前から)米空母カール・ビンソン(70)、海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」、米空母ロナルド・レーガン(76)=1日、日本海(米海軍第7艦隊提供)
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以上のように日本軍は何時の間にかにアメリカ軍と共同作戦をするような時代になってきたのです。
トランプ大統領のアメリカ第一主義は以上のように世界情勢を大きく変えようとしています。世界の国々が国家主義を強め、弱肉強食の文化が再来する方向に動き出したのです。世界が寛容の文化から狭量な文化に変わりつつあるのです。

皆様はこのような傾向をどのような感想をお持ちでしょうか?ご感想をお送り下さいましたなら幸せです。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料=======================
『パリ協定』とは?
「パリ協定」は、地球温暖化対策の国際的な枠組みで、世界全体の温室効果ガスの排出量をできるだけ早く減少に転じさせ、2050年以降に実質的にゼロにすることを目標に掲げています。
おととし12月にフランスのパリで開かれた国連の会議「COP21」で採択され、去年9月、世界1位と2位の排出国の、中国とアメリカがそろって締結を発表したことで、各国が次々と締結し、去年11月に発効しました。
今月1日の時点で締結した国は、日本を含む146か国にのぼり、世界全体の温室効果ガスの排出量の8割以上を占めています。
パリ協定では、先進国だけに温室効果ガスの排出削減を義務づけた「京都議定書」と異なり、発展途上国を含むすべての国がそれぞれ目標を立てて対策に取り組むことが定められ、日本を含む多くの国がすでに2020年以降の削減目標を国連に提出しています。

アメリカは、オバマ前政権のもとで2025年までに温室効果ガスの排出量を2005年に比べて26%から28%、削減するという目標を提出し、日本は2030年までに2013年と比べて26%、排出量を削減するとしています。
ただ、現在の削減目標では、すべての国が目標を達成したとしても、世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて2度未満に抑えるという、協定の目標は達成できない見込みです。
このため、各国は、国連に提出する削減目標を5年ごとに更新しさらなる削減を行うことが求められていて、目標をどう引き上げ、協定に実効性を持たせるかが課題となっています。
現在は、各国の削減目標の達成度合いを評価・検証するための具体的なルールなどを、来年12月に開かれる会議までに定めようと、交渉が重ねられています。

遥かなる我が故郷、仙台への小さな旅

2017年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム
仙台は何時も懐かしく想っている私の故郷です。昭和11年に生まれ、昭和35年に仙台を出るまで24年間住んでいた町です。
3年程前に中学校の同期会があった秋に訪れてから行っていません。
先月、箱根と伊豆の旅ので長距離のドライブに自信が付きましたので、仙台まで車で訪ねる小さな旅をする決心をしました。
東京外環道路から川口JCで東北自動車道路に入り、北へ北へとひたすら走ります。約400Kmを5時間半で到着しました。
仙台ではホテル・モントレ仙台に2泊しました。まず老人ホームにいる96歳の叔母を訪ねました。
2人の弟が仙台在住でそれぞれ夫婦とも健在です。私共夫婦と6人で両親の墓、母方の祖父母の墓、叔父の墓をお参りしました。お寺の住職をしている次男がそれぞれのお墓に般若心経と大悲心陀羅尼というお経をあげました。
久しぶりに6人そろっての昼食会は大変愉快でした。
2日目の午後に懐かしい場所を巡りました。仙台で通っていた学校を見に行ったり、昔住んでいた場所を見に行ったのです。
写真にしたがってご説明いたします。

1番目の写真は昭和17年から23年まで通っていた向山小学校です。戦争中は向山国民学校という看板が石の門柱にかけてありました。
その門柱は昔のままの石です。日本軍が昭南島を占領した戦勝祝いに生徒全員がゴムマリを貰ったのを思い出しました。
昭和20年の7月10日の夜にB29が百機来襲し、仙台の街が一面火の海になりました。高台の向山から夜が明けるまで見下ろしていました。
こんなことを思い出しながら向山小学校の坂道をゆっくり下りて来ました。

2番目の写真は私が卒業した東北大学の金属工学科の建物です。現在は青葉山のキャンパスに引っ越して使っていませんが、赤レンガの建物が60年前と同じように残っていました。
現在は仙台にも高層ビルが立ち並んでいてこの赤レンガの建物がみすぼらしく見えます。しかし空襲でも残ったこのビルは当時は非常に立派に見えたものです。私の実験室の窓もそのままありました。

3番目の写真は青葉城の石垣です。城の建物はすべて戊辰戦争のおりに焼かれてしまいこの石垣だけが残ったのです。この石垣の下を右方向に車で登ると見晴らしの良い城跡に上がれます。

4番目の写真は城跡にある伊達政宗の騎馬像です。

5番目の写真は城跡から見下ろした現在の中心街の風景です。昭和20年の大空襲で一面の焼け野原になった町がこのような風景になったのです。夢を見ている心地でした。

6番目の写真は広瀬川の評定河原橋付近から見た風景です。写真の左の小高い山に伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿があります。
それで評定河原橋を渡った地域を「霊屋(おたまや)下」とい地名になっています。
この霊屋下には友人達が幾人か住んでいたのでしょっちゅう遊びに行った場所でした。今回も霊屋下を車で回りましたが家々がすっかり変わってしまって友人達も消えてしまいました。茫々あれから70年もたっているのです。

7番目の写真は伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿のある経京ヶ峰の広瀬川に面した断崖の風景です。この写真の右手に家内が若い時に少しの間住んでいた公務員住宅があります。父親が東北大学で働いていたので一緒に少しの間住んでいました。この時見合いをして結婚した思い出の場所です。妻は鎌倉生まれ東京育ちですが偶然にもこの場所に住んでいたの結婚したのです。運命とは不思議なものです。

以上が今回の故郷の仙台への小さな旅でした。

皆様の故郷はどこでしょうか?遠方にある故郷は懐かしいものですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

花々が咲いて季節がめぐる(3)芍薬、ニワトコ、カキツバタが咲き梅雨になる

2017年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム
時の流れは早いものですね。つい先ほど新年を迎えたと思ったら、もう5ケ月も過ぎさったのです。
そんな季節の移り代わりを振り返るために時の流れに従って折々の花の写真をお送りいたします。
ロウバイの花から始まった新しい年も5月になるとボタン、シャクヤクやジャーマンアイリスが咲きだします。
ニワトコやカキツバタやケシの花々が咲き出します。春の花の季節も終り、やがて梅雨を迎える季節になります。
花菖蒲や潮来のアヤメも咲きます。そしてアジサイが咲き出すと本当に梅雨になります。
こうして季節はめぐり梅雨の季節になるのです。
今日の連載は梅雨の前の花々です。
お送りしたい花は沢山ありますが、シャクヤクの花の2種、アメリカニワトコの花とカキツバタと有毒のケシの花の写真をお送りいたします。写真はすべて都立薬草植物園で撮りました。

皆様はこの季節にはどんな花々をお楽しみになられたでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)