後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

帆船カティサーク、帆船日本丸、そして私の帆舟、そのニ

2018年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム
インターネットに記事を書く時は、まず面白い写真を出します。それを見た方が写真についてもっと知りたいと思ったら私は幸せになります。その写真を撮ったときの楽しい思い出を書くことが出来るからです。
そんな訳で今日はまず横浜に係留されている帆船日本丸の写真を示します。

1番目の写真は29枚の帆の全てを上げた日本丸を後ろから見た写真です。丁度10年前の2008年の4月27日に撮りました。

2番目の写真は数多くの帆の形が分るように撮った写真です。右側の三角形の帆は船が風上に上るための帆です。

3番目の写真は総帆展帆した日本丸を前から撮った写真です。

さて皆様と一緒にこの帆船で太平洋を横断する航海に出てみましょう。
案内してくれるのは船長の大西典一船長ともと大型船の船長をしていた大河原明徳さんです。

4番目の写真は2008年当時、帆船日本丸の船長をしていた大西典一船長です。以下に書くことは全て彼から直接聞いたことです。

5番目の写真は昔このような帆船で訓練を受け、日本郵船KKの大型船の船長や水先案内人をしていた大河原明徳さんです。

さて、これから皆様は訓練生になったつもりで太平洋の航海に出てみましょう。紙上のバーチャル航海ですから危険はありません。
横浜港をある年の5月1日に出港します。はじめはエンジンで航海します。東京湾を池貝鉄工所製、600馬力2基4サイクルジーゼルエンジンで機走します。
三浦半島を右手に見て、東京湾を出ます。その先には帆走にとって邪魔な伊豆諸島があります。これをかわして、広い外洋に出てから帆走を始めるのです。

6番目の写真は日本丸の左舷の甲板の様子です。

7番目の写真は大西船長が握る舵輪です。舵輪の後ろ側に立って帆を見上げながら操船します。舵輪の前には大きな羅針盤があり、それを見ながら船の方向を決めます。

4本のマストにはそれぞれ航海士を1人ずつ配置し、訓練生を20人ずつ配置します。
航海中はジガーマスト天辺の風向・風速計を見上げ風向きと風速を確かめるのです。
外洋なので大波がうねっていますが、5月の風はしっかりと安定した西南の風が普通です。
「全員、マストへ登り、セイルを解け!」、号令が士官から士官、そして訓練生へと伝達されると、訓練生が揺れる帆柱へましらのようにのぼりヤードに縛り付けてあった全ての帆を解きます。
「全員、マストから降りろ!」、船長の号令で全員甲板へ戻る。船長はヤレヤレ一番危険な仕事が無事終わったと思います。
「アウター・ジブとスパンカーを上げろ!」、号令が気持ち良く訓練生へ届き、日ごろの訓練通り帆が上がる。あとは船の姿勢を調整しながら太平洋を航海するのです。

航路の北太平洋は荒天が続くので、3本のマストの先端のセールのロイヤル・セールは上げないでシアトルまで帆走するのが普通だそうです。
ヤードの向きを調整し、追い風一杯で、快調に帆走を始まる頃は銚子沖東100km位に来ています。
うるさいジーゼルエンジンを止め、帆走に入ります。大波で船が心地よく上下します。
東北へのぼり、荒天域に入ります。これでシアトルまで40日間の帆走が始まるのです。
何日かすると訓練生が、「船長殿、質問があります。何故、こう毎日雨なのですか? 晴天域は走らないのですか?」と不満そうに聞くそうです。
船長が答える、「低気圧のそばへ船をもって行って、何時も強い追い風を捉えて走るのが大型帆船の正しい走り方なのだ。帰りは南太平洋を渡りハワイへ寄るからそれまで辛抱しなけらばいけない!」
「成程分かりました!船長殿」
大型帆船の旅とはこういうものなのです。

帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ発注された。
ラメージ&ファーガソン社は設計と鋼材の切り出しと部品の調達を行い、全て日本へ輸送し、組み立ては 神戸川崎造船所で行った。昭和5年3月31日に竣工・引渡しが完了した。
すべての部品は鋼材に至るまで英国製であり、初めの帆走や操舵技術は英国人教官の直接指導によったと言われています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

離婚はしたほうが良いか、しないほうが良いか?

2018年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の読売新聞にフランシスコ法王が離婚者をどのように考えるかという記事が出ていました。
そこで今日は離婚はした方が良いか、否かという問題を書いてみます。そして離婚した場合に子供をどのようにして守るかという問題も書いてみたいと思います。
はじめに論点を明確にするために、離婚の是非を考える人を3つに分類しておきます。
(1)運よく幸な夫婦で離婚の経験が無い人。
(2)離婚したあとで再婚し幸せな夫婦生活を送っている人。
(3)離婚し不幸な独身生活をしている人。
以上の3つのケースは全く簡略した場合です。実際の離婚はもっと複雑な現象で、とても上記の3つに分類されないのです。
しかし話を明快にするためにこの3つの分類を使ってみましょう。
まず(1)の分類の人々は経験が無いので離婚で起きる弊害の実態が理解し難いのです。
ですから離婚をしたほうが良いか、悪いかの明快な意見が言えないのです。
(2)の分類の人々は離婚はしたほうが良いと主張します。結婚してみて夫婦生活が幸せでなければサッサと離婚しなさいと言います。そしてその経験を生かして今度は間違わないで良い伴侶を選びなさいと言います。
(3)の分類の人々は離婚は出来ることならしない方が良いいと言います。
この分類には子供のある場合と無い場合には不幸も様相が大きく変わってきます。例えばシングルマザーとして楽しそうに子育てをしている人の心境は複雑です。

私は上記の(1)の分類に入る人間です。しかしカトリック信者なので教義上離婚は禁止なので、時々この問題を真剣に考えています。私の立場は離婚はした方が良い場合としない方が良い場合があり簡単に一般的な結論を出すべきでないと信じています。
私はむしろ離婚で取り残された子供達の幸せを守ることに強い関心があります。
子供の幸福を守るための法律や規制や社会風習がアメリカ社会ほど発達している国は無いと思います。
例えば離婚しても子供は父母と公平に会えるように法律が出来ています。子供の養育と教育に必要な費用を離婚した父母が支払う義務があると決まっています。
どちらの親が子供を引き取ったら子供が幸せになるか裁判で客観的に決めます。
もっと重要な社会的習慣があるのです。それは離婚した夫婦は一生、仲の良い友人として振るまわなければいけないとという習慣があるのです。これは見かけだけのことですが、残された子供を悲しませないという配慮なのです。
私は公的なパーティで離婚した昔の夫婦が友人のように仲良く近況など話し合っている場面を何度か見ました。パーティの場面が終わるとお互いに顔も見ないで帰っていきます。

それはさておき、離婚を禁止したマタイによる福音書の19・3~12を詳しく見てみましょう。
いつもは歯切れの良いイエスさまが曖昧な言い方をしている様子をご覧下さい。

マタイによる福音書、19・3~12
さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。

イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。
彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。
イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。
そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。

弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。
するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。
というのは、母の胎内から独身者に生れついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」。

皆様がご覧になって「キリスト教は離婚を禁止している」という理解が正しいとお思いでしょうか?
そんな訳で、私の立場は離婚はした方が良いとか、悪いとか一般的な結論を出すべきでないと信じています。

今日の挿し絵代わりの写真は一昨日、甲斐駒岳の山麓の山里で撮って来たいろいろな花々の写真です。空気が綺麗な場所なので花の色が鮮やかに見えました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










愚かな私は桃源郷を見た、写真に撮って来た!

2018年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年写真を撮りに行く桃畑があります。雪をいただいた南アルプスの山稜が見える所に桃畑が一面に咲いているのです。桃の木の足元には菜の花も咲いています。
愚かな私はその風景を「私の桃源郷」と信じていました。しかしそれは間違いでした。
昨日はその桃畑で一心に仕事をしているおじさんに会ったのです。
高い梯子の上で、咲いている余分な花を摘み取って、残した花に桃の実が甘く大きくなるように作業をしているのです。
そのおじさんは私を見ると梯子から下りてきて花が沢山ついている枝を上げると言うのです。家内が近づくと桃の花を何本も新聞紙に巻いてくれて持たせてくれたのです。
この寛大な心はどこから湧いてくるのでしょう?
愚かな私はやっと気が付きました。
桃源郷とは残雪の山稜の下で桃の花とともに生きてるおじさんの心の中にあると気が付いたのです。それを確信したのです。私の見ていた桃源郷は単なる風景に過ぎなかったのです。
桃源郷は人間の心の中にしか存在しないのです。
1600年前に桃源郷の物語を書いた陶淵明もそれを言いたかったのかも知れません。
まず昨日撮って来た桃畑の写真をお送りいたします。











写真の場所は韮崎市の七里が岩の上の三井農園の桃畑です。

話はいきなり飛びますが、現在の中国には桃源郷という村があるそうです。
湖南省の常徳市の数十Kmの所に桃源県に「桃花源」という農村があるそうです。この他にも桃源郷と称する村が幾つかあるそうです。陶淵明の書いた桃源郷のモデルとして観光地になって賑わっているそうです。
私のように愚かな人々が桃源郷があると信じて見に行くのでしょう。桃畑もありますすが、商売っ気たっぷりの土産物屋もあります。そこにはピンクの桃の花の造花もあるでしょう。愚かな人々はそこで初めて桃源郷は人の心の世界の中にしか存在しないことにやっと気が付くのです。

それでは魏晋南北朝時代の陶淵明の書いた物語をもう一度読んでみましょう。
「桃花源記」(https://igasanjin.muragon.com/entry/65.html )
 晋の太元年間に、武陵の地で川魚を獲ることを生業とするある漁師がいました。ある日、川を遡っているうち桃の花の咲き誇る林を見つけたのです。そして更にその奥の水源で船を降ります。するとその岸辺には洞門があります。その中を潜って山に入って行くと、夢のように美しい農村が広がっていたのです。桃畑が一面に広がり色とりどりの花が咲いています。
その村で、数日間、酒食のもてなしを受けた後に、また自分の船に乗って武陵の町に戻ってきたのです。
郡の太守に報告してから、もう一度その村を探しに行ったのですが、二度とその桃源郷を見つけることは出来ません。
南陽の劉子驥という高名な隠者がその話を聞いて、喜び勇んでその村に行こうとしたが、実現しないうちに、病気にかかって死んでしまいます。
それ以降、漁師が見つけた桃花の咲く水源の桃源郷を探そうという人はいなくったのです。(終り)

一般に陶淵明は「田園詩人」と称され、彼自身桃源郷を追い求めていたと考える人も多くいます。
しかし桃花源の物語で主張したかったことは、桃源郷を遠方の地に探し求めることは、無駄であるということなのです。
 陶淵明は、理想郷は自分の魂の奥底に存在するので、遠方に桃源郷を探し求めても絶対に存在しないという考えでした。
西洋ににある「青い鳥」と同じです。

ついでだから書きますが、中国文学で一番重要な花は桃の花だったのです。紀元前500年の頃の「詩経」の時代から桃の花だったのです。その中から一つの有名な詩をご紹介します。
桃の花の夭夭たる美しさを讃えた詩です。 「桃夭」、『詩経』、周南です。
   桃之夭夭 灼灼其華
   之子于帰 宜其室家

   桃之夭夭 有賁其実
   之子于帰 宜其家室

   桃之夭夭 其葉蓁蓁
   之子于帰 宜其家人

  桃の夭夭[えうえう]たる
  灼灼[しやくしやく]たる其[そ]の華
  之の子于[ここ]に帰[とつ]ぐ
  其の室家[しつか]に宜[よろ]しからん

  桃の夭夭たる
  賁[ふん]たる其の実[み]有[あ]り
  之の子于[ここ]に帰[とつ]ぐ
  其の家室[かしつ]に宜[よろ]しからん

  桃の夭夭たる
  其の葉蓁蓁[しんしん]たり
  之の子于[ここ]に帰[とつ]ぐ
  其の家人[かじん]に宜[よろ]しからん

  この「桃夭」は若い娘の結婚に歌われた詩です。三段の詩にそれぞれ詠まれる桃の花、桃の実、桃の茂りは、美しく、健康で、子孫を残し、婚家に長い繁栄をもたらす理想的な花嫁を象徴しています。
中国や日本では結婚式の席上で時々歌われるます。

され昨日の話に戻ります。
桃源郷とは残雪の山稜の下で桃の花ととも生涯を過ごすおじさんの心の中にあったのです。私はそれを確信したのです。
ところが家内もそれを感じていたようなのです。
おじさんに桃の枝を新聞紙に包んで貰い帰ってきた家内が再びおじさんの所へ走り返ったのです。奥の山里で買って来た一箱の草餅をお礼に届けたそうです。帰りの車の中でおじさんの心の中の美しさを話していました。

そうです桃源郷はこれを読んでいる貴方の心の中にあるのです。その風景を想い浮かべながら今日も楽しく過ごしましょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「日本人と欧米人の違い、心に思う光景の違い」、続き

2018年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム
「日本人と欧米人の違い、心に思う光景の違い」という記事を2018年03月27日に掲載しました。
欧米人は幼少の頃から聖書の物語を聞いたり読んだりしています。そんな文化の中に生まれ育つのです。
ですから新訳聖書の非常に重要な場面は、印象深い演劇の場面のように欧米人の心に焼き付いています。
キリスト教を信じない欧米人でも幼少の頃からさんざん見聞きした場面です。
その重要な光景は、クリスマスの楽しい光景の他に、復活祭にまつわる3つの宗教的光景です。
 次の3つです。
(1)棕櫚の葉を振った多くの人々に歓迎されて、イエスがエルサレムに入城する場面。
(2)人々の歓迎にもかかわらず、イエスは捕まってローマ総督のピラトの裁判にかけられ、十字架上で死ぬ場面。
(3)墓に葬られたイエスが生き返って、弟子達の前に現れ話をする場面。
この(1)と(2)の場面は03月27日に掲載しら記事でご説明しました。
昨日、4月1日は復活祭なので墓の中からイエスが生き返って何処かへ行ってしまった場面の聖書を朗読します。
亜麻布でイエスの遺体を包んで洞窟の中に葬っていたのです。弟子達が墓を見に行ったらその亜麻布だけが残っていてイエスの遺体は消えていたという場面です。彼は生き返って復活したのです。
昨日の復活祭のミサでは以下のような場面の聖書を朗読しました。
ヨハネによる福音書(20・1~9)
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。
しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

上の記述は大変具体的で次のように要約されます。
1、墓の洞窟の入り口をふさいでいた大石が取り外してあった。
2、それを見たマグダラのマリアは走ってシモン・ペトロともう一人の弟子へ遺体が消えたことを告げた。
3、シモン・ペトロともう一人の弟子が墓の中に入った。
4、そこで見たものは遺体を包んでいた亜麻布だけだった。イエスの頭を包んでいた覆いは、離れた所に丸めてあった。
5、イエスは死者の中から復活するという聖書の言葉を、二人はまだ初めて理解し信じた。

昨日のミサでは「復活の続唱」を歌います。(典礼聖歌 #351)
(先唱)
キリストを信じるすべての者よ
(会衆)
主の過越をたたえよう
こひつじは ひつじをあがない
罪のないキリストは 罪の世に 神のゆるしをもたらされた
死といのちとの たたかいで 死を身に受けたいのちの主は
いまや生きて治められる
マリアよ わたしたちに告げよ あなたが道で見た事を
開かれたキリストの墓 よみがえられた主の栄光
あかしする神の使いと 残された主の衣服を
私の希望 キリストは復活し ガリレアに行き待っておられる
ともにたたえ告げ知らせよう 主キリストは復活された
勝利の王キリストよ いつくしみをわたしたちに
アーメン アレルヤ

カトリック六甲教会の歌声をお送りします。https://www.youtube.com/watch?v=4522qXdqQNU でお聞き下さい。

このように西洋人が一生心に焼き付いている宗教的光景は日本人とは非常に異なります。まずこの違いを明確に理解することが大切だと思います。そしてお互いを尊敬し、愛し合えば平和な世界になります。

添付した写真はカトリック小金井教会の昨日の復活祭のミサの光景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









陽賜里工房の恒例の春の観桜会のご案内

2018年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム
山梨県、北杜市の甲斐駒の麓にある陽賜里工房ガーデンの春の公開と花見が例年通り開催されます。桜が満開になる頃です。庭で「たい焼き」を食べ、お茶をゆっくり飲んで寛ごうという企画です。ホストは原田聖也さんという男性とその母上です。

日時:4月13日(金)、14日(土)、15日(日)の、朝10:00時~午後4:00時ころまで、
ところ:山梨県北杜市武川町山高 3567-556の陽賜里工房ガーデンです。

連絡先:原田聖也さん、携帯電話:090-4170-0370 E-Mail:t-taraku@t-net.ne.jp

このオープンガーデンには私も家内と一緒に以前に参加したことがあります。
以下はその時の記事です。
======花の園の中の喫茶店・・・陽賜里工房というコーヒー店===
これは不思議な喫茶店です。陽賜里工房という名前で、春と秋の2回しか開店しません。
春の花々、秋の花々に囲まれたコーヒー店です。店主は原田聖也さんという男性で、コーヒーの修業を重ね、特別のコーヒー豆焙煎工場のものを仕入れて使っています。食品衛生法を勉強をし、飲食店開業の資格も取りました。
この喫茶店は北杜市の真原桜並木のはずれにある花の園です。庭全体がなだらかな南向きの斜面になっていて満開の桜の木が数本、ピンクのユキヤナギ、水仙、ヒトリシズカ、イカリソウなどに囲まれて店主手造りの店があります。
花園の一番高い所にはロマンチックなデザインの木造の家があり店主が寝泊まりする場所になっています。お客は勝手に花の園を歩きまわり、花々を鑑賞します。そして花疲れしたら洒落た店に入って香り高いコーヒーを頂きます。
コーヒーを飲む場所には女主人が居て、つれづれの話し相手になってくれます。店の主人のお母さんです。上品な日本語を使う方です。花の園の作り方などのよもやま話です。私がカトリックの話をしましたら、ご自分の信仰のバプテスト教会の話を静かにして下さいました。亡くなったご主人はその教会の牧師さんで、ご自分も宣教活動をしながら幼稚園の園長さんもしていたそうです。兎に角、折り目正しい一生を過ごした方なのでお話をしていてもスッキリとした印象です。
下にこの花の園の中の喫茶店の写真をお送り致します。





今日の復活祭に咲くいろいろな春の花

2018年04月01日 | 写真
今年の復活祭は今日の4月1日です。
死んで墓に葬られたイエス様が生き返って出て来たのです。そして弟子たちに話をします。
キリスト教ではこのイエス様の復活を一番重要なこととして信じています。
このイエス様の生き返りを祝うのが今日の復活祭なのです。
このおめでたい日の為に春のいろいろな花の写真をお送りします。昨日東京都立薬草園で撮りました。

1番目の写真の花はミツマタです。

2番目の写真の花は桃の花です。

3番目の写真の花はミツバツツジです。

4番目の写真の花はニリンソウです。

5番目の写真の花はイカリソウです。

6番目の写真の花はクレマチスアルマノです。

7番目の写真の花はユスラウメです。

8番目の写真の花はボケの花です。

9番目の写真の花はアミガサユリです。

ここ数日は春爛漫の日和です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)