写真はインターンットからお借りしました。



後期高齢者になると人生のあれこれを思い出して楽しんでいます。この頃は私の人生で出来た不思議な人間の絆を思い出し考えています。そして忘れ得ぬ人々の顔や姿を懐かしく思い浮かべています。
今日はそんな不思議な人間の絆と忘れ得ぬ人々のことを書いてみようと思います。人間は此の世に生きていると人々といろいろな絆が出来ます。その絆は考えてみると不思議です。あるものは神秘的で不可思議です。これらの絆の5つの例を考えてみたいと思います。
(1)ヨットのご縁で出来た忘れ得ぬ人との絆
ヨットの趣味を50歳頃から75歳まで25年間していました。約25年間にわたり、多くの方々にお世話になり、助けられ、なんとか海に落ちることも無くヨットの趣味を卒業することが出来たのです。ヨットを通して多くの友人が出来ました。皆忘れられない友人です。しかし一番深い印象があるのはHootaさんという方です。彼はブログやメールを通してヨットの帆走技術や修理方法を私にいろいろ教えてくれていました。その縁で、2009年の春に千葉県に係留してある彼の艇を訪問し、一晩ビールを一緒に飲んだのです。それから数週間して駿河湾で素晴らしい帆走に招待してくれた方です。Hootaさんは、北欧風の長さ43フィートの大型艇、Bambino号で東京湾や伊豆七島周辺を帆走していました。千葉県の保田港を母港にしていました。Hootaさんとの絆は私の心の貴重な財産になりました。
(2)結婚という不可思議な人間の絆
人間の絆は運命のようなものです。その絆で一番不可思議なものは結婚によって出来る男女の絆です。大した必然性も無く偶然会った男女が何故か愛し合うようになり結婚します。それには確固とした理由が無い場合もあります。そして子供や孫も出来ます。人間の親子は人にもよりますが大体20年間くらいしか一緒に暮らしていません。それなのに夫婦は40年、50年それ以上一緒に暮らします。育ちも趣味もまったく違う夫と妻が何事も無いように一緒に暮らしているのです。結婚するまでは全く赤の他人だったのです。ですから私は結婚ほど不可思議な人間の絆は無いと考えています。結婚して一緒に暮らし始めてから好きになって愛し合う夫婦もいます。結婚が愛し合う原因になっているのです。このように書くと未婚の若者が、それは嘘だ、愛し合ったから結婚するのだと反対します。そのような理解があっても良いのです。しかし40年、50年と一緒に暮らしてみると結婚が愛し合う原因になっているように思えるのです。子供や孫が出来るとそれがまた夫婦愛を一層強めてくれます。私も幸運にも良い伴侶を得て結婚という不可思議な人間の絆に毎日感謝しています。実に不思議な絆です。
(3)親子関係の絆の強さと不思議さ
親子関係ほど強い絆は無いと思います。親子関係を父と息子の関係と母と息子の関係だけに限定して描くと明快に整理出来そうです。一般に父と息子の関係は悪い場合があります。しかしその問題も孫が出来てから次第に解消してきます。母と息子の関係を見ると始めから完璧に仲が良いのです。この世で母子の関係ほど強い絆は無いと思います。外出すると幼児を連れた若い母親によく会います。幼児が可愛いので笑顔で見とれていると母親が挨拶をします。「どうです。素晴らしい子でしょう!」という自慢が笑顔に見え隠れします。女性にとって一番幸せな時期なのです。親子関係の絆はこれ以上書く必要がありません。
(4)あるモンゴル人と日本人の絆
数年前に旧友の竹内義信さんから一冊の本が送られてきました。「ソヨルジャブ・バクシを囲んで」という題の本で、内容は亡くなったあるモンゴル人と日本人の絆を書いたものです。モンゴル人のソヨルジャブさんの追悼文をまとめて本にしたものです。日本人によって書かれた追悼文です。この本を手にとって何故か私は深い感動を覚えたのです。数日間考えていました。そしてある結論に到達しました。ソヨルジャブさんは終生、日本人との絆を一番大切にして、その人間同士の関係の美しさを我々に教えてくれたのです。その絆には国境も思想も宗教も一切介在しない純粋に人間同士の深い信頼によって築かれたものです。日本人をこれほど大切にし愛してくれたモンゴル人はそんなに多くはありません。当然日本人も彼を慕い愛して、その結果として追悼文集が自然に出来たのです。ソヨルジャブさんは満州国の国立ハルピン学院を卒業し、満州国のモンゴル地区の官吏になりました。敗戦後は日本へ協力したとして収容所に入れられ34年間も過酷な運命に甘んじたのです。日本人と付き合ったために悲惨な収容所生活を送ったのです。しかし彼の日本人へ対する信頼と尊敬は微動だにしなかったのです。ソヨルジャブさんの一生は阿部重夫さんによっても書かれています。(http://facta.co.jp/blog/archives/20070703000459.html)
(5)インターネットで出来た人間の絆
彼は「ひかるのさん」と言います。インターネットを通して知り合いました。彼はしみじみとした人生を静かに歩み、そして孤独のなかに50歳代で旅立って行きました。瀬戸内海のある島の出身だったようですが、故郷にはなにか深い事情があり生涯一度も帰りませんした。インド、タイ、ブータンなどの南アジアに25年も住みながら、各地の伝統的な染色布や柄織りの布の美しい写真を自分のブログに紹介していました。「インド ブータン アジアの布 染織美術館」というブログで、URLは、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ です。このブログは今でも生きています。このブログを発見し、その内容に感動したのは2008年8月のことでした。染織の写真が美しいだけではありません。「ひかるの」さんが種々の民族を尊敬し何かを学ぼうとしているのです。読んでいて心豊かにさせるのです。こうして彼とはネットの上で知り合い、その後何度かお会いしました。物静かな人柄でした。その「ひかるの」さんが肺ガンで亡くなる直前にもお見舞いに行きました。亡くなってもう10年以上になります。忘れ得ぬ人でした。彼は独身でしたが息子が一人いました。バンコックでストリートチルドレンだった少年を引き取り、育て上げたのです。大人になってバンコックで働いています。息子は病身の「ひかるの」さんの最後の世話をあれこれしてくれました。このタイの息子は「ひかるの」さんにとっては唯一人の家族です。しかし最後はその息子とも別れ、東京へ帰って来ました。そして肺ガンで2010年の5月に亡くなったのです。正確な享年は分かりませんがまだ50歳代のように見えました。しみじみとした人生を送り、静かにこの世から退席して行ったのです。「ひかるの」さんのブログ、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ から彼の撮った写真を5枚を転載します。
1番目の写真はバンコックにある精霊の樹木です。ヒンズー教の影響を受けた庶民の信仰です。近代的なバンコックにもこんな信仰もあるのです。日本でもよく見られる樹木信仰の風景です。
2番目と3番目の写真はこれはブータンの衣装のキラです。野蚕の絹を手織りにし、草木染にした布です。見ていると暖かい気持ちになるから不思議です。
4番目と5番目の写真もひかるのさんが撮った写真です。この2枚は肺ガンがちょっと良い時に病院を抜け出して近所の公園を散歩した時の風景です。
今日は不思議な人間の絆と忘れ得ぬ5人の人々のことを書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
今日は大規模で贅沢なリゾートホテルの北海道のキロロのホテル・ピアノをご紹介いたします。
日本が高度成長していた頃に設計され建設された驚異的な施設です。
2010年の6月に行き、感動しましたので、何度かキロロのホテル・ピアノに泊りました。
キロロはアイヌ語で「心」を意味するそうです。小樽から毛無山峠を越して、深い山に入った北海道余市郡赤井川村にあります。
ホテルの部屋も広く、インテリアも落ち着いています。食事も美味しかったです。ホテルから続くレストラン街も良い雰囲気でした。そんな風景を下に写真で示します。
まず2010年の6月の新緑の頃に撮った2枚の写真を示し、その下に晩秋の風景写真を2枚示します。季節によって風景が変化している様子をお楽しみ下さい。アクセスや宿泊料など詳しくは、http://www.kiroro.co.jp/ をご覧下さい。
上が6月の新緑の頃で、下が10月の晩秋の頃の写真です。最初の白樺林の写真と下の最後の落葉してしまった白樺林の写真は同じ所を撮ったものです。