現在走っている所は国道39号線、石北峠から網走に向う北見近辺である。
現在は立派に舗装されているが当時は大変な密林であった。
札幌と網走を結ぶ「北海道中央道路」の掘削工事は大雪山を堺に旭川側を樺戸、空知修治館、北見側の釧路修治館がが請負、明治24年12月に完工する。
工事は15m幅に樹木を伐り払いそこに5mの道路をつけるもので、北見側の約160㎞には罪囚約1200人を投入、他に大工、現地の人を傭用し、夜をも使い突貫工事が行われた。
罪囚には連鎖や鉄丸が装着されたがそれでも1日1人の逃亡者があったと言われ、見つかった逃亡者の処刑や病気で工事終了後、北見側だけで186名の死者を出した。
山の中を自分達が道を切り開きながら網走の囚人は一度釧路に送られてくる。正面の人形は2人1組みで鎖に繋がれ、逃亡を防いでいる。
明治時代であるから熊や狼の出没が多く寒さに絶え忍びながら目的地を目指し仕事がきついために看守の目を盗んで逃走した者もいたが、逃走仕切れた者は殆ど居なく、見つかってはその場で切り殺されると言われている。病気や殺されたものはその場に埋めて道路工事を続け、逃亡者には見せしめとして囚人を埋めた穴の上に木を立て、鎖をまいた。死んでからも鎖から逃げきれないとした死後の世界も厳しかった。
戦後になって地元の人達が沿道を調査し多数の遺体が発見されたが、遺体を上がった所に鎖が発見され"鎖" と言って供養している。
最初は3年かかると言われた道路工事を半年で終わっており如何に過酷なものであった。
立派な幹線路もこうした過酷な歴史から生まれていることを学んだ。
能取湖、網走監獄北の旅でようやく纏めた
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます