明治29年(1896)に完成した三菱創設者・ 岩崎家本邸
幕末から明治期の未だ日本が近代文明に門を開くころの上層階級の西洋式木造建築物既に110年を経過するのに、その豪華絢爛する姿を今尚、残しているのが凄い。
玄関から靴を脱ぎ、上がっていくと、鹿鳴館時代の文化をそのまま彷彿されるホールは要人を迎えるに相応しい吹き抜けと、豪華な彫刻で加工された柱、階段の手すり、壁が見事に装填されている。
年に1回の岩崎家の集まりや外国人の賓客を招いてのパーテイ等に利用された言うが、その雰囲気がそのまま残され、びしっと正装で身を包んだ紳士と艶やかなドレスまとう淑女の姿が階上の階段からふっと現れる様な雰囲気が残される。
そっくりそのまま、洋画ドラマの名シーンを生み出す様な絵になる場所である。
その持ち主であった岩崎弥太郎は土佐藩の行っていた海運事業を引き継ぎ、明治7年(1847)三菱を名乗り、今日の三菱グループの基礎を築いていった。
明治維新以降、日本の近代化と共に財をなした三菱もそのルーツは土佐藩であったが土佐藩と言えば直ぐ浮かぶのが坂本竜馬、海に向けた強い眼差しがそのまま、土佐の風土として引き継がれて居るのではなかろうか。
ともかく海運業で財をなし、三菱の地位を固め、広い分野に進出していった。
その勝利者としての証がこの贅を尽くした建物と広大な庭にあるのではと思われる。
戦後、GHQに接収され返還後、最高裁判所司法研修所などに使用され、現在は重要文化財として東京都の管理にある。
この洋館と併せ隣の和館もともかく、その豪華絢爛な作りと、明治の文化がそっくりそのまま残している。
この建物に隣接する、三菱資料館は余り知られる事もなく、訪れる人も少ない。
時間かけて、じっくり三菱発祥の生い立ちも見ることができる。
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