◇鉄チャンあこがれ交通博物館
先日、法事で都心に向かい、電車に乗ったが、GWで凄い人ごみであった。
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JR中央線から山手線へ新宿駅で乗り換え、発車間際の乗車客が渦巻く中に飛び込み、押し込まれる流れの中で身を任せていたら、自然と運転席の背後になってしまった。
「発車進行」なんて、発車合図が聞こえそうな運転席に乗り合わせてしまったが、目の前のパノラマショーに自然と目が入った。
普段の乗車席の車窓から見る世界と目の前の鉄路を走り抜ける運転席の世界と全然違う事が改めて認識した。
運転手の背後にいるため、「発車、加速、減速、停止」の運転操作が目の前で判るので操作と目の前の景色の変化が連動してダイナミックに伝わってくるので恰も自分が運転している錯覚に入って行ける。
ゲームソフトで市販されている「電車でGO」なんてソフトが結構オジサン達を夢中にさせている人気のソフトである。
電車の側面からイメージする景色と運転席からの景色と全然違うので、その眺望の世界に取りつかれると、思わず降車駅を見逃しそうなぐらいに夢中になってしまう。呉々も乗り過ごさないように(^0^*
はてさて、そんな鉄チャン姿に埋没してしまったが、折しも今月半ばに鉄道フアンに親しまれ一大、偉業をなし遂げた交通博物館が惜しまれつつ遂に幕引きを迎える。
親に連れられて、或いは子供仲間で一緒に此処にやってきて、目の前のその不思議な世界に直接手に触れ、夢中にさしてくれた。
弁慶号初め、御陵列車など時代を越えた歴史的な記念車両などその姿に感動を覚え、懐かしさもあって年を取っても、少年の様な輝きを持って接する事が出来た。しかし、その役割は遂に終え、この14日で幕引きとなる。
新たな鉄道博物館が、都心から離れ大宮に出来るが、随分遠くなってしまうが、更に交通博物館から鉄道に特化されるため鉄道以外の貴重な姿が、これで最後になってしまう可能性もある。
「未だ間に合う、鉄道フアンで有らずともこの歴史的な展示物に悔いを残さないためにも最後の別れをしておこう。」
◇万世橋のミステリゾーン
既に本日記でも載せた、馴染みの万世橋
かっては中央線のターミナル駅として栄華を極め、長距離の旅の駅舎として旅客の待合に1、2、3各等級単位の部屋を持ち、2階には食堂を備え、乗客ばかりか見送る客も大勢集まったようだ。
駅舎が建つ明治45年には日本が近代化を目指す、日露戦争華やかな時期でもあり、駅前に当時の軍部が軍神として崇める目的で巨大な広瀬武夫海軍中佐と、杉野孫七兵曹長の群像銅像をたてられた。
広瀬武夫中佐と言う人物は、日露戦争において自分の命をかえりみず、旅順港閉塞作戦に従事し、退却時にボート上で砲弾の直撃を受け戦死する、享年36。
その銅像も終戦後昭和22年にGHQの指示で撤去される。
その豪華な駅舎は震災で炎上し、再建されたが、東京駅が出来てからターミナル駅としての役割はなくなり、単なる中間駅として縮小化され、昭和18年遂に廃駅の運命となる。
そんな時代を活きた万世橋駅の遺構が未だ残されている。
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普段何気なく乗っている、中央線の神田、お茶の水間に僅かにそのプラットホームが生い繁った雑草の中かに埋もれながら残っている。
そのプラットホームに通じる階段初め、栄華を誇った駅舎の一部が深い眠りの中から目を覚ました。
高架線脇を流れる、神田川と高架橋下を激しく行き交う車世界の要路、都会の動脈として東西を結ぶ電車網の要、JR中央線そんな都会の一角に、未だ深く眠っていたミステリゾーンがあるなんてとても不思議な世界であった。
以下で紹介する
幻の万世橋を追って
先日、法事で都心に向かい、電車に乗ったが、GWで凄い人ごみであった。
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JR中央線から山手線へ新宿駅で乗り換え、発車間際の乗車客が渦巻く中に飛び込み、押し込まれる流れの中で身を任せていたら、自然と運転席の背後になってしまった。
「発車進行」なんて、発車合図が聞こえそうな運転席に乗り合わせてしまったが、目の前のパノラマショーに自然と目が入った。
普段の乗車席の車窓から見る世界と目の前の鉄路を走り抜ける運転席の世界と全然違う事が改めて認識した。
運転手の背後にいるため、「発車、加速、減速、停止」の運転操作が目の前で判るので操作と目の前の景色の変化が連動してダイナミックに伝わってくるので恰も自分が運転している錯覚に入って行ける。
ゲームソフトで市販されている「電車でGO」なんてソフトが結構オジサン達を夢中にさせている人気のソフトである。
電車の側面からイメージする景色と運転席からの景色と全然違うので、その眺望の世界に取りつかれると、思わず降車駅を見逃しそうなぐらいに夢中になってしまう。呉々も乗り過ごさないように(^0^*
はてさて、そんな鉄チャン姿に埋没してしまったが、折しも今月半ばに鉄道フアンに親しまれ一大、偉業をなし遂げた交通博物館が惜しまれつつ遂に幕引きを迎える。
親に連れられて、或いは子供仲間で一緒に此処にやってきて、目の前のその不思議な世界に直接手に触れ、夢中にさしてくれた。
弁慶号初め、御陵列車など時代を越えた歴史的な記念車両などその姿に感動を覚え、懐かしさもあって年を取っても、少年の様な輝きを持って接する事が出来た。しかし、その役割は遂に終え、この14日で幕引きとなる。
新たな鉄道博物館が、都心から離れ大宮に出来るが、随分遠くなってしまうが、更に交通博物館から鉄道に特化されるため鉄道以外の貴重な姿が、これで最後になってしまう可能性もある。
「未だ間に合う、鉄道フアンで有らずともこの歴史的な展示物に悔いを残さないためにも最後の別れをしておこう。」
◇万世橋のミステリゾーン
既に本日記でも載せた、馴染みの万世橋
かっては中央線のターミナル駅として栄華を極め、長距離の旅の駅舎として旅客の待合に1、2、3各等級単位の部屋を持ち、2階には食堂を備え、乗客ばかりか見送る客も大勢集まったようだ。
駅舎が建つ明治45年には日本が近代化を目指す、日露戦争華やかな時期でもあり、駅前に当時の軍部が軍神として崇める目的で巨大な広瀬武夫海軍中佐と、杉野孫七兵曹長の群像銅像をたてられた。
広瀬武夫中佐と言う人物は、日露戦争において自分の命をかえりみず、旅順港閉塞作戦に従事し、退却時にボート上で砲弾の直撃を受け戦死する、享年36。
その銅像も終戦後昭和22年にGHQの指示で撤去される。
その豪華な駅舎は震災で炎上し、再建されたが、東京駅が出来てからターミナル駅としての役割はなくなり、単なる中間駅として縮小化され、昭和18年遂に廃駅の運命となる。
そんな時代を活きた万世橋駅の遺構が未だ残されている。
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普段何気なく乗っている、中央線の神田、お茶の水間に僅かにそのプラットホームが生い繁った雑草の中かに埋もれながら残っている。
そのプラットホームに通じる階段初め、栄華を誇った駅舎の一部が深い眠りの中から目を覚ました。
高架線脇を流れる、神田川と高架橋下を激しく行き交う車世界の要路、都会の動脈として東西を結ぶ電車網の要、JR中央線そんな都会の一角に、未だ深く眠っていたミステリゾーンがあるなんてとても不思議な世界であった。
以下で紹介する
幻の万世橋を追って
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