信越本線が無くなった今、昔を懐かしむように廃線跡にアプト道が出来、トロッコ列車か、並走する遊歩道で新たな旅達を楽しむことが出来る。
昭和38年(1963)、アプト式廃止とともに廃線となり、約70年間で、役割を閉じ、新線側にバトンタッチした。現在アプトの道として横川から第6号のトンネルまでの碓氷線の専用軌道を遊歩道として蘇り、4.8㎞を歩くこと出来る。
行きはこのトロッコ列車に乗り、当時の国鉄の最大傾斜66.7パーミルを体感する。添乗の車掌さんの案内で傾斜区間の通過を知らされ、その標識に目を凝らし、今こそ難所の勾配を越えたのだと牛歩の如くゆっくりと、走る車上からじっくり確かめる。
横川駅から僅か二つ目の駅が終着駅「峠の湯」駅で降車する。専用軌道は此処までで、此処から路線跡に出来た遊歩道で碓氷峠に向かって行く。ゆっくりした勾配であるが、登りにつけ、廻りの風景が徐々に山深くなる。幾つかのトンネルを越え碓氷線の18ある橋梁で最大の橋梁である「めがね橋」に到着する。
こんな深い山間に目の前の美しいレンガ橋に感動する。
長さ91m、高さ31mのレンガアーチ橋で国内最大である。明治25年(1892)に約7カ月で造ってしまった。使用されたレンガは200万個で川口、深谷で運ばれてきた。2年後、地震で一部崩れ、補修し支柱は太く、橋梁も厚みを加え現在に至っている。
その美しい姿に橋上から、或いは急な崖を降りて、国道から見上げる様に、様々な角度からアングルを変えて写真を撮りまくるがそれぞれその姿が絵になる。
遊歩道は将来、この先の熊の平まで延長される予定である。「めがね橋」は国指定重要文化財・日本近代化遺産第1号と登録されているが、更に世界遺産登録を目指している。
日清、日露など戦争を背景に東京と日本海に抜ける輸送路が国策として必要であり、どうしてもこの険しい碓氷峠越えが必要であった。そんな背景から、今日の機械動力のない時代に大量な犠牲者を生みながら人海戦術で作ってしまった。そんな先人達の残してくれた遺産をじっくり確かめながら深い山間のアプトの道を楽しんだ。
碓氷線、アプト道を行く
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