江戸へ繋がる要路として立ち憚るのは箱根の山は天下の剣があれば碓氷峠もまけずに並ぶ山岳路である。
横川から軽井沢へ行く手を急峻な碓氷峠が立ち憚る所に鉄道を造ってしまった。この厳しい山岳路をどう克服したので
あろうか?明治26年(1893)スイス人の発明により歯車を使ったアブト式鉄道で急さかを克服した。
折しも日清戦争・日露戦争で兵器と兵員を運ぶ、首都圏と日本海を結ぶ鉄道は軍備輸送面から急務で難工事に関わらず戦時下の背景もあって1年半で鉄道は完成した。軍備輸送から始まった鉄路はJR信越線の輸送路として、輸送量の増大、高速化に進化する長野新幹線に置き換わり、100年余りの使命を終え、遂に廃止となった。
しかし、1世紀の余りのこの遺産を闇に葬るのは忍びなく横川から軽井沢寄りの4.8㎞は軌道を外し整備し、トンネル・鉄橋をそのまま残し「アブトの道」として蘇った。鉄道施設の整備工場、変電所、多数のトンネルの現風景をそのまま留め、「碓井峠鉄道文化村」として鉄道施設を直に触れられる謂わば鉄チャン、鉄子さんの鉄道のメッカが此処に生れた。乗って、歩いて、触って、見て鉄道の原点を確かめ、感動を呼んだ。
「文化村駅」から「まるやま駅」を通り「とうげの湯駅」まで2.6㎞の道を、途中の「まるやま駅」での休みを除き、約20分でトロッコ列車はのんびり走る。運航期間は3月~11月まで、土・日・祝日運転している。先頭車両はオープンデッキ型展望スペースで訪れた4月は碓井峠の山間の風が吹き抜け、大変爽やかな乗り心地であった。
廃線となり今年(2010年)で早12年を経過した 。廃線後の線路を使い2005年よりドラフト列車が運行始めた。昨年だけでも全国から10万人が乗車し、2.6㎞の区間でありながら景色を楽しんでいる。
そんな素敵な場所である。以下でご案内
碓氷線、アプト道を行く
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