575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

一茶の頬杖ありました。           愚足

2009年05月01日 | Weblog
 この前のブログで、信州旅行のついでに、昔確かに見た覚えのある「一茶の頬杖」に再会したいと書きました。
 昔友達に馬鹿にされた「頬杖」の存在を二十年ぶりに確かめるためです。

 昔見た一茶のふるさと長野県信濃町柏原、にある「一茶記念館」への再訪問。
 記念館はすっかり立派になっていて、ガラス窓をふんだんに使った洒落た二階建ての建物。資料もすっかり整備されて、展示も見やすく豊富になっていました。
続いた敷地の公園には俳諧寺や一茶の墓地もあり、丁寧に見れば半日はかかりそうでした。
 ところで、「頬杖」はありました。真新しくみえるほど艶やかで、長さ50~60㎝例えはよくないが昔のお巡りさんの警棒を細身にしたような、幼児のバットのような感じで紐が通してありました。
 これはこの前のブログの肖像では手に握られていますが、バットでいえば握りのほうに顎を乗せていたのでしょう。
 また指図の棒に使ったりして宗匠の風格をあらわす演出の小道具だったのかもしれません。
 説明には「脇杖」とも呼ばれていたようで、一茶亡きあと長沼在住の門人の家に継承されていたとありました。
 一茶は罹災あとも土蔵の中でこの頬杖をついて句作に耽ったことでしょう。
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モンゴリナラはフモトミズナラに   草女

2009年05月01日 | Weblog
愛知万博の会場の土地で揉めていた頃、サクラバハンノキ、モンゴリナラの貴重
性が問題にされていた。決め手はオオタカで海上の森は保全されるこになった。 このモンゴリナラは中国大陸の奥地からロシアに、そして朝鮮半島、海上の森にあると言われていた。私は、古代人が朝鮮半島からやってきたとき、食糧として、モンゴリナララを持参し、食べ残した団栗が海上の森もモンゴリナラの祖先ではないかと真剣に考え、多くの図鑑がモンゴリナラを載せていないことに腹をたてていた。
 名古屋大学の市民講座を受講したとき、海上の森のモンゴリナラは、大陸のそれではない可能性が強く、今後のDNAの調査を待つ必要があるといわれ、へぇーと思っていた。一つの種を定め、標準和名を決定する間には、血で血を洗う争いがあると言っても過言ではない。長年揉めていたモンゴリナラがフモトナラに落ち着いたのは、東大の大場秀章という植物の権威が命名したからだ。モンゴリナラと名づけた学者は悔しい思いをしたことだろう。
 フモトミズナラの葉はミズナラに似ている。だからカシワにもにている。ドングリの様子、特にお椀(殻斗)はコナラににている。そこでフモトミズナラはミズナラの亜種という説やコナラの亜種という説があり、こっちは決着がついていない。

 名前がどうであっても、この木の新緑は本当に美しい。瑞々しい葉が太陽光線を透かしているのを見るとき、巡り会えた幸せを感じる。

  どんぐりの樹下ちちははのかくれんぼ   三橋鷹女
  わが行けばどんぐり光り触れ合えり    金子兜太
  どんぐりの無数に落ちし平和な日     恒藤滋生
  花町はどこかいっぱいどんぐりため    阿部完市





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