この春、諏訪湖に面した上諏訪の駅周辺を散策しました。
駅から歩いて10分ほど、寺町に出ます。
正願寺という寺に、芭蕉とともに奥の細道を旅した河合曽良
と新田次郎の墓がありました。
新田次郎は諏訪出身と知っていましたが、
河合曽良も諏訪生まれだったのです。
大きな自然石に曽良の句
ゑりわりて古き住家の月見かな
これが句碑には
古き住家の
ゑりわりて
月見かな
と書いてあるので、全く読めませんでしたが、
お庫裏さんと思われる人が読んで下さいました。
意味は、ひさしぶりに故郷に帰った。
襟をわって、ゆったりした気分での月見だ、ということ。
本堂の裏に墓地があり、小さなお墓には、辞世の句
春にわれ乞食やめても筑紫かな
とありました。どういう意味なんでしょうね?
没年が宝永5年5月22日。ちょうど今年が没後300年。
境内には新しく銅像が建てられていました。
この5月に法要が行われて公開されるそうです。
新田次郎のお墓は自然石でした。
春風や次郎の夢のまだつづく
という句が刻んでありました。
この墓地にも温泉が湧いていて、
「お墓を温泉で洗ってあげて下さい」とのこと。
死んだら、こんなところで眠るのも良いな。
駅から歩いて10分ほど、寺町に出ます。
正願寺という寺に、芭蕉とともに奥の細道を旅した河合曽良
と新田次郎の墓がありました。
新田次郎は諏訪出身と知っていましたが、
河合曽良も諏訪生まれだったのです。
大きな自然石に曽良の句
ゑりわりて古き住家の月見かな
これが句碑には
古き住家の
ゑりわりて
月見かな
と書いてあるので、全く読めませんでしたが、
お庫裏さんと思われる人が読んで下さいました。
意味は、ひさしぶりに故郷に帰った。
襟をわって、ゆったりした気分での月見だ、ということ。
本堂の裏に墓地があり、小さなお墓には、辞世の句
春にわれ乞食やめても筑紫かな
とありました。どういう意味なんでしょうね?
没年が宝永5年5月22日。ちょうど今年が没後300年。
境内には新しく銅像が建てられていました。
この5月に法要が行われて公開されるそうです。
新田次郎のお墓は自然石でした。
春風や次郎の夢のまだつづく
という句が刻んでありました。
この墓地にも温泉が湧いていて、
「お墓を温泉で洗ってあげて下さい」とのこと。
死んだら、こんなところで眠るのも良いな。