山頭火は、知多半島から渥美半島に渡り、芭蕉の句碑や杜国の墓を訪ねています。
そして「砲声、爆音がたえない」と日記に書いています。
当時、渥美半島には、大砲の試射をする陸軍の射場用地があったためです。
「時勢を感じる。非常時日本である。」とも記しています。
そして豊橋の鈴木折嶺宅に宿泊、句会を開いています。
折嶺は、明治43年、愛知県の田原渥美町生れ。
山頭火が訪ねてきた時は、豊橋市の小学校に勤めていました。
この時、鈴木家では、赤ん坊が生れたばかり。
ほんに生れた来たばかりの眼をあけて 山頭火
鈴木折嶺は、やはり荻原井泉水に師事、戦後は池原魚眠洞とともに
「視界」を舞台に活躍しています。
冒頭の句。
星のよく見える夜。家で妻が豌豆の筋を取っているところでしょうか。
制作年代は分かりませんが、青いにほい、という表現から
まだ若い頃の句かと想像しました。愛妻家だったのでしょうね。
こんな月の句があります。
月夜の向うを人が通る花どきの馬鈴薯畑
月が胸をわづらってゐる様な青いかげ葉におく
夏もすっかりおとろへた月がしわよせてゐる河口
月があかるく茶の花、くらく茶の花
月を詠みながら、花鳥諷詠を脱した、新しい句への挑戦を感じます。
遅足
そして「砲声、爆音がたえない」と日記に書いています。
当時、渥美半島には、大砲の試射をする陸軍の射場用地があったためです。
「時勢を感じる。非常時日本である。」とも記しています。
そして豊橋の鈴木折嶺宅に宿泊、句会を開いています。
折嶺は、明治43年、愛知県の田原渥美町生れ。
山頭火が訪ねてきた時は、豊橋市の小学校に勤めていました。
この時、鈴木家では、赤ん坊が生れたばかり。
ほんに生れた来たばかりの眼をあけて 山頭火
鈴木折嶺は、やはり荻原井泉水に師事、戦後は池原魚眠洞とともに
「視界」を舞台に活躍しています。
冒頭の句。
星のよく見える夜。家で妻が豌豆の筋を取っているところでしょうか。
制作年代は分かりませんが、青いにほい、という表現から
まだ若い頃の句かと想像しました。愛妻家だったのでしょうね。
こんな月の句があります。
月夜の向うを人が通る花どきの馬鈴薯畑
月が胸をわづらってゐる様な青いかげ葉におく
夏もすっかりおとろへた月がしわよせてゐる河口
月があかるく茶の花、くらく茶の花
月を詠みながら、花鳥諷詠を脱した、新しい句への挑戦を感じます。
遅足