山頭火が愛知県の刈谷を訪れた時に訪ねたのが池原魚眠洞。
魚眠洞は明治26年、鳥取県の生れ。
東京高等師範を卒業後、愛知県の教育界へ。
山頭火がやってきた時は刈谷中学の校長でした。
横町へ夏の雨あがってゐるポスト
高射砲がずっと仰角をとってきて夏雲
いずれも季語のある句です。
高射砲の句は戦争を身近に感じさせます。
魚眠洞の師・荻原井泉水は、子規の俳句革新運動を引継いだ人。
改革をさらに進め、575の定型・季題を否定。
感動のリズムにしたがって詠む「自由律」を提唱しました。
自由律俳句、一時は隆盛を極めましたが、やがて行き詰まります。
そこで、魚眠洞は、昭和43年新しく「視界」を創刊。
新しい詩法として「現代詩としての一行詩」を、理念に掲げます。
月の明るさは音のない海が動いている
にぎりめしの新聞にある記事のにぎりめし
この「視界」も昭和60年に終刊。魚眠洞は、翌々年に亡くなっています。
この他に私が好きな句。
昼を過ぎると風呂の暖簾が出て秋風の蝶々
海が噛みつくように狂う音の二階へ急な階段
いちにちうちにいて冬の日が部屋の中移ってゆく
笑つてわらつて涙が出るほど笑つたあとの、みかん
髪から手拭をはずし嫁にきている
最後の句は、奥さんのことなのか?息子のお嫁さんなのか?
ちょっとした仕種を掬いとった良い句だと思います。
魚眠洞は明治26年、鳥取県の生れ。
東京高等師範を卒業後、愛知県の教育界へ。
山頭火がやってきた時は刈谷中学の校長でした。
横町へ夏の雨あがってゐるポスト
高射砲がずっと仰角をとってきて夏雲
いずれも季語のある句です。
高射砲の句は戦争を身近に感じさせます。
魚眠洞の師・荻原井泉水は、子規の俳句革新運動を引継いだ人。
改革をさらに進め、575の定型・季題を否定。
感動のリズムにしたがって詠む「自由律」を提唱しました。
自由律俳句、一時は隆盛を極めましたが、やがて行き詰まります。
そこで、魚眠洞は、昭和43年新しく「視界」を創刊。
新しい詩法として「現代詩としての一行詩」を、理念に掲げます。
月の明るさは音のない海が動いている
にぎりめしの新聞にある記事のにぎりめし
この「視界」も昭和60年に終刊。魚眠洞は、翌々年に亡くなっています。
この他に私が好きな句。
昼を過ぎると風呂の暖簾が出て秋風の蝶々
海が噛みつくように狂う音の二階へ急な階段
いちにちうちにいて冬の日が部屋の中移ってゆく
笑つてわらつて涙が出るほど笑つたあとの、みかん
髪から手拭をはずし嫁にきている
最後の句は、奥さんのことなのか?息子のお嫁さんなのか?
ちょっとした仕種を掬いとった良い句だと思います。