575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

栴檀ちがい   鳥野

2013年07月28日 | Weblog
平安朝の高貴な女性は我慢強かったのか、
その頃の気候が穏やかだったのか。酷暑
に喘ぎながら、「十二単」の図鑑を眺め
ていました。

と、夏の項に「楝の襲」というのが。
色目の決まりは、表の淡紫に裏が青。こ
の上に透ける薄絹を重ねたら、どんなに
か涼し気であったことか。

楝は栴檀の古名、せんだん科の落葉高木
で、夏に白と紫の対比ゆかしい花を付け
ます。
その一方、「栴檀は双葉より芳し」のせ
んだんは白檀科の常緑高木で、2つは全
くの異種。

万葉集や枕草子に登場し、心ある人に愛
された「せんだん」と、その芳香が珍重
される「せんだん」は大違いと言う。
ややこしい話であることよ。 

 ・ 闇に散る楝伝いに帰りけり  

              鳥野
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕焼けに今日一日を許されて   麗子

2013年07月28日 | Weblog
一日の終わりが描かれてて良いと思います、と結宇さん。

多忙な一日の終わりに、ふっと、こころに隙間が出来ます。
その時、なにか人間より大きなモノを感ずることがあります。
その大きなものに包まれている感覚。
「今、ここにあることの不思議さ」を感ずる瞬間でしょうか。

現代人の私たちは、自分の力で生きていると思い込んでいます。
しかし人間より大きなものの存在を感じた時、
生かされているという気持ちになり、
それを存在を許されている、と表現したと読みました。

ところで俳句では「も」には要注意とよく言われます。

この句、

  夕焼けに今日一日も許されて

としたら、確かに良くないと思います。
何故良くないのでしょうか?        遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする