俳句の読者は誰か?
句会で没になった句も、一年は保存して読みなおしてほしい。
飯田龍太さんの持論です。
俳句の作者は同時に選者であるということだそうです。
句を読みなおした時、自然の風物、自分の身辺の考えが、
まざまざと甦ってくる時、その句は、その人の作品である、と。
俳句は、みずからが自らの先生。みごとな例は芭蕉。
そして自らの先生になるには歳月が必要。俳句以外の要素も必要。
栄養を持った別の自分の眼。これこそ自分を高めるもの。
生涯勉強ですね。
写真は庭に咲いた茄子の花。
今年はちょっと栄養不足気味・・・ 遅足
句会で没になった句も、一年は保存して読みなおしてほしい。
飯田龍太さんの持論です。
俳句の作者は同時に選者であるということだそうです。
句を読みなおした時、自然の風物、自分の身辺の考えが、
まざまざと甦ってくる時、その句は、その人の作品である、と。
俳句は、みずからが自らの先生。みごとな例は芭蕉。
そして自らの先生になるには歳月が必要。俳句以外の要素も必要。
栄養を持った別の自分の眼。これこそ自分を高めるもの。
生涯勉強ですね。
写真は庭に咲いた茄子の花。
今年はちょっと栄養不足気味・・・ 遅足