この句は芭蕉が長良川の鵜飼を見物して詠んだもの。
一緒だった弟子の落梧と荷兮も句を詠んでいます。
鵜の頬に篝こぼれてあはれなり 荷兮
篝火に見おぼえのある鵜匠かな 落梧
芭蕉の句は、見物人の立場で詠んだものと思っていました。
しかし、謡曲の「鵜飼」を習って少し読み方を変えなくてはと。
「鵜飼」の舞台は、甲斐の国・石和の里。
例によって旅の僧が登場。非業の死を遂げた鵜使いの亡霊に出会います。
そして僧の願いに応じて、鵜を使って鮎を捕える様子が謡われます。
以下は、鵜飼の様子を謡う地謡の大意です。
篝火に驚く鮎を鵜が追い回す面白さよ・・・
やがて月が出ると、鵜飼も終りである。悲しいことよ。
鵜舟の篝火が消えて、私は、また闇路に帰らねばならない。
「おもしろうて」「かなしき」「鵜舟」というキーワードが
3つとも出てきています。
芭蕉を始め弟子たちは能を熟知していました。
弟子たちも、この句に「鵜飼」を重ねあわせて読んだはずです。
鵜飼が果てて、シテは再び闇路へ帰らなくてはと歎きます。
楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
生あるものは皆、死の闇路へ帰っていく。
そんなメッセージが裏に込められた句でもあったのでは?
(遅足)
一緒だった弟子の落梧と荷兮も句を詠んでいます。
鵜の頬に篝こぼれてあはれなり 荷兮
篝火に見おぼえのある鵜匠かな 落梧
芭蕉の句は、見物人の立場で詠んだものと思っていました。
しかし、謡曲の「鵜飼」を習って少し読み方を変えなくてはと。
「鵜飼」の舞台は、甲斐の国・石和の里。
例によって旅の僧が登場。非業の死を遂げた鵜使いの亡霊に出会います。
そして僧の願いに応じて、鵜を使って鮎を捕える様子が謡われます。
以下は、鵜飼の様子を謡う地謡の大意です。
篝火に驚く鮎を鵜が追い回す面白さよ・・・
やがて月が出ると、鵜飼も終りである。悲しいことよ。
鵜舟の篝火が消えて、私は、また闇路に帰らねばならない。
「おもしろうて」「かなしき」「鵜舟」というキーワードが
3つとも出てきています。
芭蕉を始め弟子たちは能を熟知していました。
弟子たちも、この句に「鵜飼」を重ねあわせて読んだはずです。
鵜飼が果てて、シテは再び闇路へ帰らなくてはと歎きます。
楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
生あるものは皆、死の闇路へ帰っていく。
そんなメッセージが裏に込められた句でもあったのでは?
(遅足)