575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

熱田神宮の「花の撓(とう)今昔 ⑵  竹中敬一

2017年06月02日 | Weblog
知多半島の東部、愛知県半田市の成岩(ならわ) 地区にある「とりで観音」。
お堂の一角に熱田神宮の「花の撓」を参考にして、飾り物が所狭しと並べ
られていました。
神官、農民、着飾った村娘などの人形が約30体。米俵や米蔵、農作業の道具、
鶏、 野菜など…。
これらの飾り物はそう古いものではなく、人形の衣装は時々、新しいものに
着せ替えているとのこと。人形のシンは藁を切って束ねたものでした。
熱田神宮では、田所(たどころ)、畑所(はたけどころ) の場面が分かれて
いますが、ここではその区分がはっきりとしていません。
飾り物の並べ方については、毎年、殆ど変わっていないが、熱田神宮の絵図
にある3体の神官人形の並べ方を参考に、ここだけは毎年、入れ替えている
とのこと。
「とりで観音」の案内書によると、ご本尊十一面観音は霊験あらたかで、
「元禄の頃、大旱魃(かんばつ)があって、成岩輪中 (ならわ わじゅう) より
雨乞いをして大いに功あり。」と出ています。
この地区はかって輪中地帯だったわけで、昭和36年に愛知用水が完成するまでは、
知多半島一帯は水不足に悩まされており、日照りなど農作物の豊凶を占う
「花の撓」は、「頼みの綱」だったのでしょう。

昭和57年から翌年にかけて鬼頭秀明氏 (民俗芸能研究家) が熱田神宮の「花の撓」
を 模して愛知県下で行われている同様の神事について調べた結果を月刊誌「あつた」
に発表しています。
それによりますと、主に知多半島と豊田市周辺に「花の撓」を行っている所が集中
しており、16カ所が確認できたということです。
この調査結果をもとに、現在、どの位「花の撓」 が各地に残っているか、現地へ
行ったり、関係者に電話で問い合わせてみたところ、8カ所でまだ存続させている
ことがわかりました。

その中のひとつ、愛知県阿久比町(あぐいちょう) の宮津地区に鎮座する熱田社に
伝わる「花の撓」神事について、調べてみました。
宮津地区には、約500世帯が暮らしていますが、専業農家は数える程しかありません。
それでも、地区を32班に分けて各班で交代して、「花の撓」神事を守っています。
その年の当番に当たる班の代表2人が熱田神宮の「花の撓」を見に行く一方、境内
では、氏子の人たちが「おためし小屋」を開けて、人形などの飾り付けの準備を
します。
あとは、半田市の「とりで観音」の場合と同様、代表が熱田神宮から持ち帰った
絵図をもとに飾り物を午前中に飾り終えます。
「阿久比町誌」によりますと、宮津地区は中世の頃、熱田神宮の神領として栄えた
ということで、昔から熱田神宮との関係が深かったことも、「花の撓 」の伝統を
守ってきていることに繋がっているのでしょう。

ここまで、熱田神宮の「花の撓」を模した各地の例を見てきましたが、愛知県津島市
の津島神社のように独自で「花の撓」を行っているところも僅かですが、見受けられます。
いずれにせよ、どの地区でも、「花の撓」で展示される人形などの飾り物は明治時代
以降に造られた素朴なものばかりですが、どことなくユーモラスで、豊作を願う人たち
の思いが込められていて、愛着を感じます。

しかし、今はこの種の占いごとへの関心も薄れてきている上、宅地化、専業農家の減少、
地域の人たちの連帯感の希薄化などが重なって、各地に伝わる「花の撓」が消滅の
一途を辿っていることは残念なことです。


写真は、愛知県半田市有楽町の「とりで観音」で。
「花の撓」は、神社だけでなく、お寺でも釈迦の降誕を祝う灌仏会に合わせて、
行なわれていたようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする