575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

弥陀仏と乗り合わせたり薄暑光   遅足

2017年06月13日 | Weblog
京都から奈良に向かう電車。反対側の座席に中年の女性。
平安美女というか、ふっくらとして切れ長の目。
ペルシャ風の顔立ち・・・ひょとして阿弥陀仏のお顔?!
鎌倉時代の仏師・快慶の展覧会を見に行く車中でした。

快慶・運慶は武士の時代を代表する仏師と習いました。
東大寺の南大門の仁王様は、この二人の作。
快慶は人物像が得意なようです。
東大寺を再建した重源上人の像は生き写しかと思われるほど。
また数多くの阿弥陀仏像を制作しています。戦乱の続く末世。
人々を救うとされる阿弥陀仏の像も、新しいものが求められていました。
こうした要望に応えたひとりのが快慶。
その仏像には優しさと強さが感じられます。

  合歓の花死後に瞼が開くように   高野ムツオ

阿弥陀さまのお顔を見て思い出した句です。
仏像彫刻のなかで一番、仏らしいところはお顔。
なかでも目です。この世のものともあの世のものとも思われぬ半眼。
阿弥陀仏は、無限の宇宙。仏像は、その救済の心を表すもの。
目の奥には永遠の世界。薄く見開かれた目が私をみています。

電車で出会ったのは、阿弥陀仏だったんでしょうか・・・
この句、薄暑光という季語は生きているのでしょうか?


コメント
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