575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

熱田神宮の昔を知ろう ⑵  竹中敬一

2017年06月23日 | Weblog
熱田神宮に伝わる「尾張国熱田太神宮縁起」に、稲種(いなだね)の公(きみ) が
ヤマトタケルに「この郡(こおり)の氷上(ひかみ)の里は私の故郷でございます。」
と云ったその場所は、今の名古屋市緑区大高町。稲種の公の妹ミヤスヒメを祀る
氷上姉子(ひかみあねご)神社が鎮座しています。

縁起の最後のところに「海部氏(あまし)を以って神主とするが、海部氏は尾張氏
の別性である。」という記述があります。尾張氏は海を生活の場とした氏族で、
伊勢湾に面した濃尾平野一帯を支配していたようです。

インターネットで「尾張古地図」を検索すると、様々の地図が出てきます。どの地図も
今より海が陸地に食い込んでいるということです。専門家によると、「海進現象」と
いって、古代には時々、このような現象があったようです。

縁起には、ヤマトタケルが伊吹山で荒ぶる神に敗れ、重い病を抱えてたまま「伊勢に
移り、尾津(おづ) の浜にお着きになった。」とあります。尾津は今の三重県桑名市
多度町戸津(たどちょうとず)。近くには、上げ馬神事で知られる多度大社がありますが、
多度山の近くまで海岸線が迫っていたことになります。

熱田神宮は熱田台地の南端に位置しています。熱田の地の東側は入り江になっていて、
対岸に氷上の里(大高町)があります。この入り江は「あゆち潟」といって、愛知県の
地名になったと云われています。熱田の地は伊勢湾と濃尾平野を治める要としては
最適の場所だったと云えるでしょう。

熱田神宮の近くには、断夫山(だんぶやま)古墳 があります。6世紀初頭とされる東海地方
最大の前方後円墳で、ミヤスヒメの墓とも伝えられています。
また、愛知県春日井市、庄内川近くには、ほぼ同じ頃、同じ前方後円墳の二子山古墳が
あります。春日井市発行のパンフレットには「尾張氏は二子山古墳をはじめとする味美
(あじよし)古墳群の勢力と連携し、実質的に尾張地域の統合を達成した」と出ています。
また「尾張連草香(おわりのむらじ くさか)の娘 目子媛(めのこひめ)が継体天皇の妃に」
とあり、二子山古墳は目子媛の墓ではないか、という説もあります。

古代史のある時期に、この尾張地方が重要な役割を果たしたことがうかがえます。
興味のある方は考古学者森浩一の蔵書を集めた「森浩一文庫」へ行かれてみては。
謎解きの楽しさが味わえるはずです。

写真は氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町)。
鎮守の杜の背後は高速道路、周囲には住宅街が迫っています。


コメント
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