旧暦6月14日の宵とその翌朝 ( 現在は7月第4土曜日とその翌日 )に行われる
津島天王祭 。その模様を描いた江戸時代前期の屏風絵を取り上げています 。
〇 屏風絵の左隻 ( 対になっいるものの左 )ー 朝祭り
「 津島祭礼図屏風 」( 大英博物館蔵 )
「 綴プロジェクト 」高精細複製品より
左隻 「 朝祭り 」の一場面 、向かって右側 屋台の上には能人形が
置かれています 。
前夜の装いを変えた山車( だし ) 船 五艘の先頭に市江の山車船一艘が加わっています。
五艘は津島五ヶ村 ( 今市場、筏場、下構 ( しもがまえ )、堤下( とうげ )、米之座 ) の
山車船 。
もう一艘は市江 ( 愛西市佐屋地区 )の山車船です。
屋台を二段に高く組んでその上に能人形を置いた船 。
更に、木組みの櫓を三層重ねた船が見えます。
これを大山と云いますが、明治5年に廃止になっています。
「津島祭礼図屏風 」大英博物館蔵
「綴プロジェクト 」高精細複製品より
左隻 「 朝祭り 」の一場面 観覧船の中でケンカが始まった 。
前夜と同じように天王川には20艘余りの船が浮かび、中には屋根を付けた船で見物する
人々の姿もみられます。山車船とその伴船とに綱を渡しての曲芸や見物人を乗せた船の中
でケンカするシーンなども描かれています、
川の手前では、昨夜の同じ食べ物を売る店で昨夜にないウドンを作って売る場面や
前夜よりやや多い群衆の姿が見られます。
また、津島名物の菓子 「 あかだ 」を歩きながら売る ( 立ち売り ) 姿なども見えます 。
宵祭り、朝祭りに描かれている群衆を数えてみたところ凡そ1000人余りでした。
貴賎様々 、それぞれの身なり、表情まで細かく丁寧に描かれていて、思わず
引きこまれます 。
次回は朝祭りで先頭をいく市江の山車船についてお伝えします。
眼を凝らして見ないとわからないような場面を出来るだけ多くクローズアップして
後ににお伝えします。