575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 津島祭礼図屏風 」 ⑦ 〜 うどん 〜 竹中敬一

2019年05月25日 | Weblog


「 綴プロジェクト 」高精細複製品より

津島祭礼図屏風の宵祭りの場面 。天王川の手間、津島五ヶ村側には食べ物を売る出店が

多く見られるます。ウドンを作っている店、その隣では みたらし団子や味噌田楽を焼いて

います 。



「 綴プロジェクト 」高精細複製品より

天王川の上手、津島神社の鎮座する側 で路上に敷いたムシロに瓜をいっぱい並べて

売っています 。

その隣は、携帯用の茶道具で湯を沸かし茶を提供しています 。

煎茶は江戸時代になって庶民にも広がったということですが、ここではよく見ると茶せん

を使っています 。抹茶でしょうか 。社家や武家屋敷が並ぶ地区、やはり抹茶のようです。

江戸後期、天保元年 ( 1830 ) に津島の様子を詠んだ十日亭厚丸 ( 詳細不明 )の川柳の中に

その頃の芸者の唄が載っています 。

「 つしま祭の面白や 舟 分け 山上げ 段飾り

宵に信楽 朝祭 山を下して うどん食い

十日の間は芸居 見る 」

大意は

" 津島天王祭が近ずくと誰もがワクワクする 。

まず、宵祭りを前にして、多くの舟が天王川を我先にと進む 。

津島五ヶ村の楽車舟 ( だんじりぶね ) の五艘が仕立てられ、飾り付けられる 。

宵祭りは試楽 ( しらく ) ともいう 。

そして、翌日 、五艘に市江 ( 現 ・愛西市 )の楽車舟が加わって朝祭り 。

やがて、それぞれの山車 ( だし )を解体して、やっと祭りが終わる 。

その後、うどんを食べて芝居を見るのがその頃の町人の楽しみだった 。"

屏風絵を見ていると、唄や三味線、笛 、太鼓など さんざめく音までが聞こえて

くるようです 。十日亭厚丸の川柳 に


うどん 並 ( ナミ ) かねの水うる店がある


堀田喜慶氏 ( 昭和 50年代 津島市文化財専門委員 、故人 )の註釈によりますと、川祭り

の時、遠方からの参拝 見物に来る人に、うどんは少なく、汁ばかり多くして、普段と

同じ値段で売る狡猾なうどん屋を詠んだ句で こういう売り方を「 津島の見かけ取り 」

といったそうです。

「 昔 津島の商店は七草と祭りで一年の食いぶちの大半をもうけたものだ 。」と書いて

います。   つづく


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