今月の題詠「小鳥来る」
の句作りの真っ最中です。
私の経験として
何かの瞬間
ストンと五七五ができることもあれば、
ああでもない、こうでもないと
語順入れ替え、助詞を変え、
整合性を得るために辞書をひき
独自性を!などと少々の野心も入れると
なかなかの思いあがった句が完成します。
私はこの状態を、迷宮入りと呼んでいます。
句会で票を集めるのは
前のケースです。ストンのほう。
宗匠・遅足さんに
「ポエムが舞い降りる」と教えていただきました。
さすればストンはポエムが降りてきたこと
ただ
その状況や句意を上手く言い表せたかといえば
また別の話になります。
(夏井先生の添削には脱帽です。プレバト)
俳句は「詠み手」と「読み手」の共同作業と言われます。
「読み手」の数だけ句意が存在します。
句意を広げ、深める鑑賞力があって
一句がますます味わいのあるものに育っていきます。
作者の手を離れたら読者のものなのですね。
遅足さんはあまりご自分の句意をおっしゃいません。
むしろ、読み手の鑑賞力をいつも楽しんでおられます。
俳句って 奥が深いですね。
小鳥来るポエムとともに舞い降りる
※今月からは、投句・選句とも麗子さんと郁子にお願いします。