575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「月ひとり」

2020年10月25日 | Weblog



荻原井泉水<おぎわらせいせんすい> 都内港
区浜松町 1884年の生まれ。麻布中の頃より
俳句を作り始め帝大の文学部を卒業します。
やがて新興俳句の中核となる「層雲」を発刊。
自然のリズムを基調とした無季俳句や破調を
提唱し志向の近似した尾崎放哉や種田山頭火
と親交を深めていきます。

「月光ほろほろと 風鈴に 戯れ」<井泉水>

妻と母の死去により京都の禅寺「東福寺」で
出家を目指しますが断念。やがて、鎌倉に居
を移し再婚します。昭和のプロリタリア運動
にも賛同。主宰する層雲から小林一茶の研究
で知られる「栗林一石路」<くりばやしいっ
せきろ> 「橋本夢道」<はしもとむどう>らの
優れた俳人を育て世に送り出します。

「しずかに破れ 腕に倒れしは 我が母にして」<井泉水>

昭和となり大政翼賛会の発足に合わせ「日本
俳句作家協会」が設立。井泉水は初代理事長
に就任することになります。しかし、軍事色
政権による文学界への介入により「日本文学
報告会」になったことを機に井泉水は俳壇か
ら去っています。日本の文学界には、戦争に
賛同しプロパガンダ的な役割を果たした著名
人がいます。井泉水も世情に流され左派から
右派へ転身しています。井泉水が俳壇を去っ
たのは、自らの政権への迎合に嫌気がさした
のかもしれません。

戦後、井泉水は「自由のない文学は無意味で
ある」と講義で断言しています。昨今の政権
によるアカデミーへの介入。角川文庫の巻末
の辞。角川源義の思いを読み返す時が訪れた
ようです。

話を戻します。井泉水は日本の自由律俳壇の
確立に孤軍奮闘。日本芸術院会員となり昭和
女子大教授。カナモジカイの評議員など務め
るなど、晩年に至るまで日本文学界に尽力し
ます。辞世の句がないため、ふさわしい句を
記し終章とします。

「空をあゆむ 朗々と 月ひとり」<井泉水>

荻原井泉水 新興俳句の先駆者。鎌倉の自宅に
て死去。享年92歳。


写真と文<殿>
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