575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「犬論争」

2020年10月18日 | Weblog



中村草田男 <なかむらくさたお> 1901年 中
国福建省で領事していた中村修の長男として
生まれます。帰国後、青南小学校に入学。四
国松山に転居したことで松山中学に入学しま
す。松山中学で後に、映画監督となる伊丹万
作<いたみまんさく>と出会い同人誌「楽天」
を発表。1925年 東京帝国大学に入学。東大
俳句会に入会し水原秋桜子<みずはらしゅう
おうし>より俳句を学び、高浜虚子の「ホト
トギス」への投句を始めます。

大学卒業後、成蹊学園の教師となりホトトギ
スの同人となります。この頃、石田波郷<い
しだはきょう>や加藤楸邨<かとうしゅうそん
>と親交を深め人間探求派といわれる句を詠む
ようになります。終戦後、「萬緑」<ばんりょ
く>を創刊し主宰者となります。

やがて、成蹊大学の政経学部の教授となり、
現代俳句協会の幹事長となりますが、協会内
の意見対立により協会を辞め、新たに「俳人
協会」を設立します。成蹊大学の名誉教授と
なってから紫綬褒章、勲三等瑞宝などを受賞。
ちなみに、御茶ノ水大学教授の「中村弓子」
<なかむらゆみこ>は草田男の三女です。

草田男は、難解で大胆な破調句を試みていま
す。そのため、ホトトギスの保守派の俳人た
ちより痛烈な批判を受けています。また、俳
壇での論争も多く「草田男の犬論争」という
異名までつけられています。

「金魚手向けん 肉屋の鉤に 彼奴(きゃつ)を吊り」<草田男>

下記の句は先回の原石鼎の文末で引用。草田
男は私の母校である青南小学校卒。狭い校庭
の片隅に句碑が建てられています。

「降る雪や 明治は遠く なりにけり」<草田男>

中村草田男。享年85歳。洗礼名「ヨハネ・マ
リア・ヴィアンネ・中村清一郎」

写真と文<殿>

コメント
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