松本たかし 1906年 明治39年 千代田区猿楽町の生ま
れ。父は江戸時代から続く宝生流の能楽師「松本長」
<まつもとながし>幼児より漢学や国文学を学び能の
修行に専念します。しかし、14歳で結核を発病。静岡
での転地療養を余儀なくされ、見舞いの父が残してい
った総合文芸誌「ホトトギス」を読み俳句に興味を持
ちます。やがて、能仲間の句会「七宝会」に投句。高
浜虚子の目に留まり、虚子より俳句を学ぶ機会に恵ま
れます。
療養先の鎌倉から「ホトトギス」に投句。多くの句が
入選し認められたことで能役者から、俳諧師としての
道を歩むことになります。23歳でホトトギスの同人と
なり、高野素十<たかのすじゅう>や川端茅舎<かわば
たぼうしゃ>との親交が始まります。ちなみに、「泉
鏡花」は松本たかしの従兄弟。
戦中は岩手県に疎開。戦後は井の頭線の久我山に定住。
俳誌「笛」を創刊して主宰者となります。たかしは能
の師であった宝生九郎の伝記小説「初神鳴」を執筆し
笛に掲載。のちに映画化されています。第四句集「石
塊」で読売文学賞を受賞しますが、突然の病いに倒れ
言語を喪失。句作は途絶してしまいます。松本たかし
が最後に詠んだ句。
「避けがたき 寒さに座り つづけおり」<たかし>
ところで、川端茅舎は画家を目指し岸田劉生に師事。
しかし、結核により画家の道を諦めています。松本
たかしと川端茅舎は同じような境遇で親交が厚いこ
とから、俳壇では「句兄弟」といわれました。しか
し、茅舎曰く「松本たかしは、能の視点から句を詠
む美学の貴公子である。私の及ぶところではない」
と絶賛しています。能の視点から眺める俳句。どの
ような情景なのでしょうか。
「夢に舞ふ 能美しや 冬籠」<たかし>
「金剛の 露ひとつぶや 石の上」<茅舎>
松本たかし。能を舞う俳諧師。享年50歳。
写真と文<殿>