私が小鳥を意識したのは母の生家。
生家は奥三河。
家は山に接し、背戸には小さな流れがありました。
ここには枝折戸が一つ。
初冬の朝などは、小鳥の声が聞こえてきたり・・・
朝ごはんの支度をする母から鳥の名を教えてもらったところです。
5、6歳だったでしょうか?
ちょうどその頃、生家の大黒柱が亡くなりました。
昭和20年代のお葬式は戦前そのまま。
今の棺のようでなく、桶に遺体を納め親族で火葬場まで運びました。
私はその中の一人でした。
テレビでこの母のふる里がドラマの舞台に取り上げられました。
高速道路が出来るという噂で村中が騒然とする内容でした。
結局、高速道路は夢に終わりました。
2020年。生家のお墓には戦死した母の弟も加わり静かに村を眺めています。
母が生家を出て80年余り。
父の母に対する評価は◎でした。