久保より江<くぼよりえ>1884年 愛媛県松山の生まれ。
1899年に上京し東京府立第二高等学校を卒業。九州帝
国大学医学博士の久保猪之吉と結婚します。
ところで、大正時代の三美人といわれた柳原白蓮は歌人。
白蓮の父は柳原前光伯爵で、大正天皇の従姉妹に当たり
ます。しかし、白蓮は不幸な結婚や離婚を繰り返します。
現世の辛さから逃れたかったのか。白蓮は短歌に没頭し
ます。そして、竹久夢二に挿絵を依頼した歌集「踏絵」
を出版。ちなみに、白蓮の別荘を訪れた菊池寛が出版し
た「真珠夫人」は白蓮がモデルといわれています。
「開かぬやう 神の作りし謎の鍵 さびにしままに 終へむ吾が世か」<白蓮>
話を戻します。書籍から眺めると白蓮は幸せな結婚生活
を営むより江に憧れた印象があり、二人の交流が始まり
ます。やがて、より江は白蓮の短歌に惹かれ、高浜虚子
が主宰する「ホトトギス」の同人となります。
「たんぽゝを 折ればうつろの ひゞきかな」<より江>
より江は、愛猫家として知られ句文集「より江文集」で
は猫を詠んだ句が散見されます。ところで、猫といえば
夏目漱石。実は、夏目漱石が下宿していた「愚陀仏庵」
はより江の祖父が家主。当時12歳のより江は漱石にとて
も可愛がられたといわれています。漱石の「吾輩は猫で
ある」に登場する女学生「雪江」はより江がモデルとい
う説はきわめて自然でしょう。さらに「愚陀仏庵」には
正岡子規も下宿しています。子規の弟子である高浜虚子
が、より江を躊躇なく同人としたのも当然のなりゆきに
思えます。
「猫の子の もらはれて行く 袂かな」<より江>
少女時代のより江を描いた書籍に出久根達郎著「漱石セ
ンセと私」があります。この拙文を記すため、2021年の
元朝に青山墓地を訪れました。墓石には「ヨリエ」とカ
タカナで表記。久保より江。享年58歳。
「ねこの眼に 海の色ある 小春かな」<より江>
写真と文<殿>