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575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「小沢昭一的こころ」

2021年01月31日 | Weblog

小沢昭一<おざわしょういち>1929年都内杉並区の生まれ。父は長野県出身で写真館を始めるために上京。昭一が4歳の時に松竹の撮影所のあった蒲田で写真館を開きます。麻布中学ではフランキー堺、加藤武、なだいなだ、仲谷昇らと同級。やがて、彼らと演劇部を立ち上げますが終戦により退校。早稲田大学の文学部仏文科に入学し、加藤武、北村和夫今村昌平らと演劇活動に熱中します。早稲田在学中に俳優座の二期生となり、卒業後はテレビ、ラジオ、舞台など幅広い分野で精力的に活躍します。

「無愛想に 道を答えし ちゃんちゃんこ」<変哲>

昭一は、幼少期より落語に興味があり、大学時代に落語研究で知られる正岡容の弟子となり、桂米朝とは兄弟弟子の関係になります。後年、落語をはじめ日本の庶民芸能をまとめた「私は・考」を出版しています。

「祭の甘い闇に 不良少年少女」<変哲>

1969年に新宿の鮨屋「銀八」で結成された「東京やなぎ句会」に参加。メンバーは永六輔<俳号 並木橋>柳家小三治<俳号 土茶>桂米朝<俳号 八十八>江國滋<俳号 滋酔郎>など錚々たる顔ぶれが並びます。現在は、柳家小三治が中心となり、女優の小林聡美、角野卓造夫人で俳優の倉野章子、歌舞伎俳優の中村梅花らにより句会は続けられています。

「身の丈の 二つほど跳ね 雨蛙」<小林聡美>

ところで、東京やなぎ句会は、欠席する場合、未婚の女性を代わりに出席させるなど面白いルールがあります。ちなみに、岩波書店刊「友ありてこそ」などにより句会を窺い知ることができます。

「夜店へ向いて 百円玉の まっしぐら」<変哲>

昭一の俳号は「小沢変哲」春風亭や柳家などの派生する入船亭扇橋が宗主。人気ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」では「死んでから、人生で一番幸せだった日を一日だけ味わわせてやろうと神様から言われたら、トンボや小鮒でも捕りますか。いや句会で仲間と喋りたい。……となると、せめて三日は頂きたい」と語っています。

「雨の日は どこに宿るのか てふてふ」<変哲>

小沢昭一。葬祭の式場は自らが決めていた新宿の千日谷会堂。2012年12月10日没。享年83歳。

「寒月の 俺亡きあとも 照りやがる」<小沢変哲>

実は「小沢昭一の小津昭一的こころ」拙文を記すためYoutubeで初めて聴きました。落語のような軽妙な語り口。人気を得たのも当然でしょう。TBSラジオ制作。2010年6月19日放送分。下記サイトよりコピー&ペーストでお楽しみいただけます。https://www.youtube.com/watch?v=aLeN4KZCYow&fbclid=IwAR2RYyXBjhqlgfQgvoHoQmG7Rwdwol7q_MBcACgyhrD6G69JUuxZ5XvIsQE

今週よりパソコン用からスマホ用に文字組みを変えてみました。会員諸氏の使われている機器が不明。読みにくい場合はご連絡願います。jcoltrane30@gmail.com <殿>

写真と文<殿>
コメント (1)
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