575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

金沢の旅④ 野田山   遅足

2011年11月14日 | Weblog
金沢のお城から犀川を越えて南に野田山があります。
麓には大乗寺という禅寺があり、山頂からは市の中心が一望できます。

この野田山は一面のお墓・・・・
加賀藩の初代藩主・前田利家が兄の利久を葬ったのが
始まりとされています。
以後、頂上付近には、前田家一族の墓が、
下には、家臣たちの墓が次々と造られました。
銭屋五兵衛など町人の墓も並び、
現在では5万余りともいわれる墓石。
室生犀星のお墓もありました。

ちょっと変わっているのは、藩主たちの墓。
墓石はなく土を盛った塚で、鳥居が立っていました。

麓に降りてきたら、こんな句碑を見つけました。

  めぐり逢ひとはこのやうな霧の夜   青魚

作者は今村青魚、ホトトギスの俳人です。
良い句ですね・・・
写真は野田山で出会った猫です。
呼び止めたらポーズをとってくれました。

金沢は一年の半分は雨か曇りだそうです。
今回の旅は、立冬ながらお日様が顔をだしてくれました。

  立冬の百万石という遊び   遅足


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多米日の出志ん生と飲む冬の酒    朱露

2011年11月14日 | Weblog
   この年の十一月十四日快晴無風の七時半。
   朝っぱらから志ん生の C D を聴いている。
   志ん生と酒を飲んだ積 りほろ酔いの積り。
   昭和三十五年鈴本演芸場へ行く私二十六。

              



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金沢の旅③ 海月寺     遅足

2011年11月13日 | Weblog
銭屋五兵衛の屋敷に女中として住み込んでいた娘、
お鉄が銭屋没落の後、仏門に入り、一族の菩提を弔ったお寺。
このお寺には、室生犀星が若い頃、下宿をしていたことがあり、
その部屋が残っているそうです。
残念ながら見学は出来ませんでした。

犀星は、詩集・抒情小曲集の覚書のなかで、
この頃のことを次のように書いています。

  ここは二千戸を数へ人心すべて質純なり。
  釈迦堂といへる僧院あり。
  静かなる寺院にて有名なる銭屋五兵衛の墓碑あり。
  此処のとある一室に一年有余、転地療養せしことあり。
  世にも静かにして、優しく、美しき尼僧らによりて
  病気の予は毎日新しき野菜と、親切にして充分なる静養を
  与えられたり。

そして、この地で「かもめ」などの詩を得たと記しています。
境内の一角に犀星の句碑がありました。

  寒菊を束ねる人もない冬の日

「悼 鉄悟大尼」と前書きがありますから、
世話になったお鉄さんの死を悼んで詠んだものです。
犀星が下宿していた頃は、海が近かったと思いますが、
今はカモメも潮騒もありませんでした。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌麿の女の裾に冬朝日    朱露

2011年11月13日 | Weblog
   枕元のキャビネの額に歌麿の女。
   私の方を見ていないのが腹立つ。
   七時半冬至近い太陽が顔を出す。
   さあ今日もどれだけサボろうか。

            


      
    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林檎買うなかの一つは眠り姫   遅足

2011年11月12日 | Weblog
船団・えなみドクターの診断です。

「ほんとは怖いグリム童話」という本があります。
ほとんど覚えてないのですが、
元々の話は性的倒錯や死体愛好趣味なども混じり、
ちっともかわいい話ではない。
その代わりに、とても怖かったり、面白かったりします。
毒林檎と言えば、白雪姫。
眠り姫は、眠れる森の美女で別の話なんですが、
グリム童話の世界を生き生きと表現していて素晴らしい。

ありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金沢の旅・余聞  俳人・千賀女   遅足

2011年11月12日 | Weblog
千賀(ちか)女は、銭屋五兵衛の孫娘。
五兵衛の長男・喜太郎の次女。
銭屋騒動の際、罪を問われた父の身代わりに入牢(にゅうろう)を
奉行所へ訴え続けた孝女です。

五兵衛の血を継いで俳句の才に恵まれました。
山中温泉に湯治にでかけた時の句。

  見ぬさきに滝の音ある茂り哉

しかし病弱もあって、二十六歳で亡くなりました。
辞世の歌。

  五月雨のふりすさびても照る月の光は西の空にこそあれ

             

金石は港町。ちょうどズワイガニ漁が解禁となった日。
「福寿し」というお店で昼食。
金沢の街から遠いために観光客より
地元のお客さんが多いようです。
一番お安いランチ・メニュー。2100円。
蟹のお味噌汁がついてきました。

こちらでは、雌のズワイガニのことを「香箱」と呼ぶそうです。
香箱ガニは、小ぶりですが、小さな分だけ味わいは
濃厚で旨味もたっぷり、地元での人気も高いのだとか。
美味しいランチでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬日輪多米山越しに我が眼射る    朱露

2011年11月12日 | Weblog
    南向きの窓から左つまり東の山を見る。
    黒々とした多米山脈の一点が突然輝く。
    正視に耐えないもの、即ち太陽が昇る。
    見ちゃいられないので日常生活に戻る。

               



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金沢の旅② 本龍寺   遅足  

2011年11月11日 | Weblog
銭屋五兵衛のお墓のある本龍寺。
ここに芭蕉の句碑がありました。
写真はその石碑です。
よく読めませんが、お隣の立て札には、

  小鯛さす柳すずしや海士が軒

と記されていました。
芭蕉が金沢の俳人雲口らと金石を訪れて詠んだ発句とされています。
この句、下五がいろいろあるようです。
曾良の日記では、

  七月二十三日 快晴
  雲口(小野氏)を主として人々に誘われ、宮の越(金石)に遊ぶ。

  小鯛さす柳すずしや海士がつま

と、書き残されています。

漁師の妻が、新鮮な小鯛を柳の枝に挿して、
軒先に吊るしている景を詠んだものでしょうね。

           

このお寺には、もう一つ句碑がありました。
十三世の住職さんの句。

 梅白し雪は日に日に汚れゆく  角丈

なかなか良い句です。俳句の盛んなところなんだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金沢の旅① 銭屋五兵衛     遅足

2011年11月10日 | Weblog
先日、金沢に行ってきました。
海に近い金石(かないわ)町を訪ねてみました。
昔は宮腰と呼ばれた港町。
観光客の姿もなく、ひっそりとした佇まい。
銭屋五兵衛記念館があり、覘いてみました。

銭屋五兵衛は、宮腰生れ、幕末に廻船問屋として大活躍した人。
代々、両替商を営んできたことから屋号は銭屋。
北前船を使って、海に乗り出したのは、人生の後半、
質流れになった船を手に入れたことからでした。
この仕事、儲けは大きいが、経験や運がないと成功しないことから
地元では、銭屋さんは大丈夫か?と危ぶむ声も聞かれたそうです。
しかし持ち前の才覚と発揮、ついに大海運業者となった人物。

  ふる雨をふもとに見るや夕紅葉  亀巣

当時の豪商は文化人でもあり、亀巣という俳号を持って
俳諧も楽しんでいたそうです。
財政難に苦しんでいた加賀藩にも、たびたび御用金を調達、
藩の上層部と結びついた政商でもあります・・・

  這ひのぼる齢たのしや古希清水  亀巣

古希に苔をかけた言葉遊びの一句にも心意気が読み取れませんか。

しかし晩年に取り組んだ河北潟干拓事業で躓きます。
魚を食べた漁民が死んだ事件をきっかけに罪を問われて入獄。
親密な関係にあった藩の上層部が失脚したことも背景にあり、
獄中で80歳の生涯を終えました。

(写真は銭屋五兵衛のお墓。本龍寺にあります。)

遅足の蛇足です。
この地に生まれ、第二の銭屋五兵衛を目指した
人物に安宅弥吉がいます。あの安宅産業の創始者。
安宅産業も倒産して、すでに存在しません。
弥吉のお墓は、銭屋五兵衛の隣にあり、
静かに冬の日を浴びて並んでいました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が友は冬の辛夷と缶ビール    朱露

2011年11月10日 | Weblog
    
   モクレン科の落葉樹で目の前に聳える。
   どうすればこれをコブシと読めるのか。
   二階の南窓の前に居る一番近い生き物。
   缶ビールは単なる枕言葉に過ぎません。

              


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「神無月」句会近づく    遅足

2011年11月09日 | Weblog
今回の題詠は「神無月」です。
「神の旅」「神の留守」などもOKです。
普段はほとんど神仏を意識することはありません。
困った時以外は。
しかし、ちょっと周囲を見回すと・・・

  街中に神仏おわす初詣   小泉仁信

塔句会の句集に載っていた句。
こう言われると、いろいろな所に
神様や仏様がいらっしゃることに気付かされます。
名古屋市内の四間道という古い町並みでは、
住宅事情のせいで、屋根に神様が祀られています。

こうした神様たちは、旧暦11月、出雲へ出張なさるそうです。
年一回の会議だどうですが、おかげで、出雲を除いて
日本中「神の留守」となります。
(留守番をする神様もいるそうですが)。

みなさんが、神無月をどう詠むのか?楽しみです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬に入る蜘蛛電線に糸掛ける   朱露

2011年11月09日 | Weblog
    「フユニイル」と読んでいただきます。
    目の前の辛夷から蜘蛛が電電を狙った。
    五米はあるので一筋縄で行く筈はない。
    着いた所で先の展望があるわけはなし。

               



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬麒麟」ピシッと開けて多米の山    朱露

2011年11月09日 | Weblog
   トウキリンと読むのかフユキリンなのか。
   製造者は飲んでくれればどっちでもいい。
   飲む方も安くてうまければどうでもいい。
   七時半多米の山から陽が出て顔に当たる。

              



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蔦絡む美術館  鳥野

2011年11月08日 | Weblog
朝の連続ドラマに誘われたかの喧騒も一段落。
安曇野には美しい秋が訪れていました。
思い立って「碌山美術館」へ。30余年ぶりの再訪です。

佇まいは思い出のまま。蔦の絡む本館のほかに、付属の展示館が増えたようです。

碌山の作品を集めた碌山館は、静謐な小部屋。多くはない見学者はみんな無言、真剣な眼差しです。
中でも、その前が離れられないのは「デスペア」。
絶望し苦悶する女体の像と見受けました。

彼の芸術の庇護者として、暖かな手を差し伸べ続けた相馬黒光への愛。
黒光は新宿中村屋の創始者、愛蔵の妻でした。

「愛は芸術・相克は美」と苦しみ抜いた挙句の碌山の死。30歳5ヶ月の若さでした。

 ・ 絡みつく憧憬のごと蔦紅く碌山美術館の壁映ゆ

                     鳥野
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

譲り合う車にそっと芒かな  荒川戦一

2011年11月07日 | Weblog
塔句会の句集「塔」が、ひさしぶりに出来ました。
11人が句を寄せています。

田舎の道でしょうか?あるいは高原の道かな?
舗装のない土の道が思い浮かびます。
すれ違うのがちょっと難しい道。
お互いにゆっくりと道端に寄っていきます。
そんな車に薄の穂がそっと触れる・・・

なにげない風景を掬いあげています。
俳句にしたことによって、作者の人柄までしのばれます。

                  遅足


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする