575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

冬朝日確かに暖を届けたり    朱露

2011年11月07日 | Weblog
     七時直前快晴無風の中光が飛んだ。
     多米山系を見ていたので直撃食う。
     顔は暖かいが眼が眩んで倒れ伏す。
     眼と同じ高さの太陽には要注意だ。

               



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昭和史のページの厚み梨を剥く   亜子

2011年11月06日 | Weblog
☆朱露・昭和九年生まれはこういう句に弱いノダ!
☆麗子・戦争と繁栄の昭和史。その厚みとともに梨をむく。
    時間の流れが梨をむくという行為の中に凝縮されてうまいと思いました。
☆晴代・厚みという表現がうまい。
☆狗子・確かに昭和史は厚い。

作者・なぜ日本は戦争を選んだのか?
   加藤陽子さんと半藤さんの分厚い対談の本を読みました。
   それと「20世紀」という梨を一度、句に詠みたいと
   思っていたので生まれた句です。

遅足・昭和というコトバには、戦争の影があります。
   昭和9年生まれの朱露さんたちの世代にとって
   戦争は大きく深い影響を与えたと思います。
   ものごころの付いた頃に、戦争が終わっていた
   私たちの世代とは大きな違いがあるでしょう。
   戦争と言った時に、イメージされるものは
   私には、ある意味で抽象的です。

   世代によって、この句から何を読み取るのか?
   その違いが、また、この句の魅力でもあるのでしょう・・・

     晩秋の底に昭和の時刻む
              父の時計は時々眠る 
   
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冬そこに小缶ビール多米山脈    朱露

2011年11月06日 | Weblog
    十一月六日早朝七時曇天無風の日曜日。
    よくまあびっしりと家が建ったものだ、
    と呟くのは多米の山々と私だけだろう。
    今朝霧が立ち上がり山がお隠れになる。

             



              

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十月や留守番になり駄菓子買う  朱露

2011年11月05日 | Weblog
☆麗子・一人おいてきぼりをくった秋日和。
    なんだか悔しくて衝動買いした駄菓子。
    留守番と駄菓子の取り合わせが面白いと思いました。

遅足・外野席から留守番なのに駄菓子を買いに出るのは?
   という声もあり。でも、だから買いに行く気持ち・・・
   よく分かりません?
   ちょっとした自由とサミシサ。
   十月、という季語が呼び寄せるサミシサには
   駄菓子が似合うかな?


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東雲の多米低山は冬に入る    朱露

2011年11月05日 | Weblog
    シノノメノタメテイザンハフユニイル。
    「東雲」を何故「シノノメ」と読むか。
    シノノメノストライキサリトハツライネ
    こんな歌を子供が何故知っていたのか。

               



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十といふところに段のある如き錯覚持ちて九十一となる

2011年11月04日 | Weblog
岩波新書の『老いの歌』を読みました。
そのなかの一首。土屋文明の歌です。
文明は、百まで生きた長寿の歌人。老いを詠んだ歌も多いそうです。

たしかに老人になると、階段をガクンと降りるように能力が衰えます。
ある時は、ガクガクと数段も下へ。

  今朝の足は昨日の足にあらざるか立ちて一二歩すなはち転ぶ

これも同じ作者の歌。
大変なのに、どこか自分を突き放して見ていることから生まれる
ユーモアのにじみ出ている歌。

いまや日本は超高齢社会。
九十歳、百歳も珍しくない。
多くの人が土屋文明と同じ境遇に置かれる時代。
あの斉藤茂吉にも老いの歌が。

  税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりああ馬のかほ

なんじゃこれ?という歌です。
この歌の収められた歌集「つきかげ」は
茂吉の歌と認めたくないという歌人もあるそうです。
でも、ちょっと理屈の世界を離れた面白さが感じられます。

まったく新しい超高齢者社会・・・
「名歌とはならないが、これまで詠われたことのない
新しい歌の世界が広がっている」。
これが『老いの歌』の著者・小高賢さんの結論でした。

年をとれば枯淡の境地に達するというのは嘘で、
百人いれば百の老いがあるそうです。
私にはどんな老いが始まっているのか?
恐いような・・・面白いような・・・        遅足





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秋高し骨董市の銀クロス(十字架)   狗子

2011年11月04日 | Weblog
☆麗子・天気のよい一日。ふらり出かけた骨董市で
    思わず手にとった銀の十字架。
    それはいつごろ誰が手にしたものだったのでしょう。
    思わぬ出会いに、ほほえむ作者の様子が想像できました。
☆遅足・十という宿題に「クロス」というコトバを見つけたこと。
    お見事です。
    天高し、という季語と骨董市に並べられた銀色のくすんだ十字架。
    美しい景ですが、信者にしてみれば・・・

    
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冬曙団地も我が家も寝静まる    朱露

2011年11月04日 | Weblog
     七時多米の山の端に今日の太陽が出た。
     トイレの水洗の音が轟きテキは起きた。
     私は朝食をすませ古新聞を外へ出した。
     その勢いで血圧を計ったらやはり高い。

               



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新米の其一粒の光かな  虚子

2011年11月03日 | Weblog
先日のNHK俳句に出演していた言語学者の金田一秀穂さん。
俳句は一つの言葉をクリーニングしてぴかぴかにするもの、と話していました。
そして例にあげたのが、虚子のこの句。

  新米の其一粒の光かな  

虚子は、この句で「新米」という言葉を洗濯して光らせていると。

俳句はわずか17文字。そのなかの一つの言葉を光らせる。
なかなか難しいですね。
                  遅足




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十という数ならば何?シーベルト    郁子

2011年11月03日 | Weblog
☆静荷・まさに時事句。
☆狗子
作者・数字の十と格闘していたら、この句が生まれました。

遅足・「十」という宿題に真剣に取り組んだ句ですね。
   季語は、長い歴史のなかで独自の世界を作り上げてきましたが、
   数字の十は、どちらかというと実用的な文字。
   それだけに既成の概念を壊して、一句をつくりあげるのは
   難しかったと思います。

   またフクシマ原発で、核融合が起きたようですね。
   東電や政府の見通しが甘かったことを示しています。
   なかなか前途多難・・・

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起き抜けはプチ缶ビール文化の日     朱露

2011年11月03日 | Weblog
    多米の山も人家も寝静まっている。
    何回も言うが何故人が増えたのか。
    駅まで遠いし店屋もロクにないし。
    昔は日本人もブラジル人も居ない!

              

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俳句は飴玉。ちょっと舐めてみて・・・    遅足

2011年11月02日 | Weblog
  雁渡し自ら並ぶ試験管  高野ムツオ

雁が北から渡って来る頃に吹く風を、雁渡しというそうです。
それに試験管を取り合わせた句、一体、どう読んだら良いのでしょうか?
ちょっと気になる句なので、飴玉のように口に含んでみました。
最初は、一向に溶ける気配がありません。
一日置いて、また舐めてみました。

景は、大空の見える実験室でしょうか。
部屋の中に並んでいる試験管。
雁が渡ってくる風が吹く季節になると、
試験管もどこかへ飛んで行こうとしているのでしょうか?
自分から整列しているようだ。

少し溶けて甘くなった感じです。
もう少し舐めていたら、試験管の中身の味も分かるかも・・・

まったく口に入れて見ようと思わない句もありますが、
ちょっと気になる句は、メモしておきます。
そして、ちょっと舐めてみる・・・
それが、今の私の俳句の楽しみ方です。




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十月の空孤高なる宮大工   値遇

2011年11月02日 | Weblog
☆朱露
☆麗子・澄み切った十月の空を背に黙々と仕事をする宮大工。
    誇り高き職人の仕事ぶりが伺えます。
☆智恵・絵のようにイメージのはっきりした句。宮大工と孤高の関連が
    今ひとつ分かりませんが。
☆亜子・道を究めた職人(落合監督のような職人・句会では落合談義も)。
    十月の澄み切った空。孤高という形容がぴったりの感じ。
☆遅足・孤高という表現が良いと思いました。
    コンクリートと鉄で造られた現代建築。
    そんななかに、千年以上の伝統を伝える宮大工は
    今も健在です。木のことは木に聞く匠の伝統を守って。
    十月の澄み切った空に、独り高く働く姿がイメージされます。

    先日、名古屋城の本丸御殿の復元の様子を見ようと出かけました。  
    残念ながら現場はみることが出来ませんでしたが、
    宮大工のような職人さんがヘルメットをかぶって
    黙々と作業をしていました。
    建築現場全体が覆われているので、空も見えず、
    孤高なる宮大工、というイメージからは遠かったです・・・(遅)
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朝倉川桜並木の葉を流す    朱露

2011年11月02日 | Weblog
     両岸が桜並木だから何百本と並ぶ。
     秋は散歩のたびに川が明るくなる。
     明るくなりすぎても寂しいものだ。
     開き直り寒風をついて川岸を往復。

              


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王者の紅葉   鳥野

2011年11月01日 | Weblog
北アルプスの山裾の里から、晩秋の便りが。
「山は紅葉の真っ盛り。今が見ごろです」と。
一度寒気が訪れて、白馬山頂辺りは、薄っすら冠雪したとのこと。
本格的な冬は近いようです。

行かねば。山肌を飾る三段紅葉と有名な「七色大楓」。
聞かされるばかりで、まだ遭遇のチャンスに出会っていない。
なにしろ、絶頂機は瞬時なのです。

標高や樹種の違いで、色様々な紅葉を、中央線の車窓からも堪能して、いよいよ
「七色大楓」です。

それは本当にみごと。
北安曇郡池田町の高峰高原、カーブを幾曲がりして行き着いた草地にその一本は王者の
風格で立っていました。

信濃毎日の朝刊で、紹介された日とあってか、見物人は大勢。大方はカメラ自慢
のカメラマンです。

樹齢250年、周り15メートル、赤・黄・緑・その濃淡、七色どころか。
絶妙な配色。

高い梢の先の葉は早も霜に焼けていました。

 ・ 間なく来る雪迎えんと渾身の化粧を了し七色楓

                    鳥野

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