575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

秋声や大気吸い込み空に吹く    智恵

2012年09月10日 | Weblog
大気を吸い込むのは誰なのか?
作者と読めば、深呼吸をひとつした時、秋の声が聞こえた、
と読めます。
もう一つの読み方は、ちょっと無理はありますが、
主語に、様々なものを想定することも出来ます。
公園の木。ケヤキの大樹の深呼吸。可憐な花の深呼吸。
その息継ぎは秋の声。
あるいは生命のない小石なども・・・
身の回りのものすべてに命があり呼吸していると読んでも・・・

主語を、大地とすると、どうでしょう?
大地が空気を吸い込んで、空に吹き上げる。
大きな秋の声が聞こえませんか?

                      遅足

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廃線は去年(こぞ)と言ふらし秋の声    結宇

2012年09月09日 | Weblog
久しぶりにローカル線の駅を訪ねたのでしょうか?
そこも廃線になっていました。
岐阜県の旧神岡鉄道では、廃線を観光に再利用、
線路のうえをレールマウンテンバイクで走る遊びが
人気を呼んでいるそうです。

明治時代、汽笛一声、新橋を基点にスタートした日本の鉄道。
大正、昭和と躍進。とくに先の大戦を挟んだ昭和は鉄道の時代でした。
東京・大阪間を走る特急つばめは、憧れの的でした。
また絵本には旧満州を走る超特急の勇姿もありました。
東京オリンピックの年には、新幹線も開通しましたが、
いつの間にか自動車の時代に変っていきました。

赤字に転落した路線は、国鉄、私鉄ともに廃線に次ぐ廃線。
日本中で一体、どれだけの鉄道が廃線になったのでしょうか?
句の鉄道もついに廃線の運命を免れることは出来なかったようです。
廃線は去年というらし、という表現には、鉄道への愛着が感じられます。
錆び付いた鉄路を見ながら聞いた秋の声。
作者の耳に届いたのは、子供たちの声だったそうです。

                           遅足


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村暮れて一本道の秋の声     亜子

2012年09月08日 | Weblog
日暮れ時、辺りがぼんやりしてくる頃、村のなかを貫く一本の道。
東山魁夷の一本道を描いた絵を思い出しました。
その絵、当初は灯台が描いてあったのですが、
完成した時にはなくなっていたそうです。
削って削って、必要最小限のものを残した絵です。
この句も、日暮れの一本の道を詠んで、さまざまな声を連想させます。

読者が心に描く一本道を歩いてゆくと・・・
風の音。草木のそよぎ。小さな動物の声。
さらに遠くから夕餉の声も聞こえてきそうです。

夕暮れは、こころが振り返りモードに入ります。
この心は祈りにも通ずるものです。
同じ作者の自由題の句。

  白骨のまなこの渇き敗戦忌

今も南の島に白骨となったままで故郷に帰ることのない出征兵士たち。
生まれ故郷を恋しく思っている死者の声も聞こえてくるのかも知れません。

                          遅足
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缶ビールゆっくりあける秋の声     朱露

2012年09月07日 | Weblog
句会で最高点をとった句です。
毎日、缶ビールをたしなむ作者。
秋の入るとちょっと心にもゆとりが生まれます。
さあ一杯、と缶ビールを取り出し、おもむろに蓋を開ける。
その音を秋の声と聞いても良いですし、
その時、秋の声を聞いたと読んでも良いですね。

缶ビールは1935年、アメリカで発売されたのが最初。
日本のサッポロビールが缶ビールを発売したのは1959年。
スチール缶で、飲むときは、缶切りで二ヵ所に切り込みを入れるというもの。
現在のプルタブの缶ビールが登場したのは1965年。
自販機の普及もあって、缶ビールは急速に普及していきました。
(サッポロビールのHPより)

現代高度消費者社会の秋の声ですね。    遅足
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問わずとも風の色はや秋の声     静荷

2012年09月06日 | Weblog
もう秋かな?と尋ねる前に、風を御覧なさい。もう秋の色ですよ。
問うているのは、誰でしょうか?友人?
あるいは、自分で自分に問うているのでしょうか?

この句の背景にあるのは、古今和歌集、秋の歌。

  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

藤原敏行の歌です。
作者は、子供の頃から百人一首で遊んだそうです。
それも夏を除く一年間。百人一首の藤原敏行の歌は

  すみの江の岸による浪よるさへや夢のかよひぢ人目よくらむ

短歌の素養のあった方が、俳句を倍楽しめるかも知れませんね。
古今集にこんな歌もあります。

  吹く風の色のちぐさに見えつるは 秋のこのはの散ればなりけり

吹く風がいろんな色に見えたのは、さまざまな色の木の葉が散るからですね。
よみ人しらずの歌で、作者は不明です。

                         遅足
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目覚むれば庭に深まる秋の声      立雄

2012年09月05日 | Weblog
この目覚めは、昼寝から、と晴代さんは読まれました。
ちょっと寝過ごしたか・・・気が付いてみると夕方が近い。
眠る前とは違って、空気も肌にひんやり。
庭の風の音、草木の音も、秋めいてきたなあ・・・

作者は、最近では、ほとんど視力を失ってしまったそうです。
目覚めて、意識がはっきりしていくなか、
耳と肌で感じ取る「今」の秋の声。
来し方、行く末と、心は様々に揺れていたのかも・・・

                      遅足



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ゴキが鳴いたら   鳥野

2012年09月04日 | Weblog
「人間はなぜゴキブリが嫌いなの」 小学生の質問です。

どうしてなのか? 考えてしまいます。

平たいあの恰好、長いひげ、艶やかな色、人の生活圏への侵入、不衛生・・・。
取り上げてみれば、どれもたいしたことはない。

わが飼い猫は、大のゴキブリ好き。たまに発見すると、弟分を従えて
追い回していました。

このゴキブリは、生物の大先輩で、3億6千年前には、出現。
世界に4000種、日本に50種、そのうち家屋でみられるのは
1%にも満たないそうです。

矢島稔昆虫博士は「スズムシのように美しい声で鳴いたら
好かれるかも」と笑っておられました。

あなたは?と問われれば、やっぱりスリッパを振り上げる口かな。

 ・ ゴキブリの子を水葬にせし夜半 句点置くがに痛みの去らず

                      鳥野

 




  
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ロンドンの聖火は消えて秋の声     麗子

2012年09月03日 | Weblog
今、ロンドンではパラリンピックが開催中。
前のオリンピックのようにテレビも新聞も大騒ぎはしません。
あの時は、時差もあって、24時間、オリンピックに包まれました。
自由題の智恵さんの句。

  眼こすりて出陣我は金メダル

朝までオリンピックにお付き合い。
眼をこすって出勤です。そんな私に私が与える金メダル。
ユーモラスな自画像です。

聖火が消えると・・・お祭のあとのような静けさと寂しさ。
身辺に一度に秋の声が満ちてきました。
2012年の日本の秋の風景を詠んだ一句です。

                     遅足
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秋の声不意に優しさ連れてくる     えみ

2012年09月02日 | Weblog
立秋は、8月7日。暦のうえでは秋ですが、まだまだ暑い毎日。
そんな時に不意に秋の声が聞こえる。風でしょうか。
ホッとするとともに、ちょっとトゲトゲしていた心が優しくなっている。
それを、秋の声が優しさを連れて来た、と表現しました。

「不意に」というコトバが効果的です。
「不意を打つ」「不意を食らう」など、マイナスのニュアンスが強いコトバ。
それが、優しさを連れてくる、とプラスに転換されています。

俳句はモノに託して思いを伝える詩と言われます。
この句の場合は、モノではなく、思いに重きが置かれています。
短歌的なのかもしれませんね。

                      遅足
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七椙の大きな陰に昼寝かな    遅足

2012年09月01日 | Weblog
長野県松川町の七椙(ななすぎ)神社。
千年以上の杉が7本も。雷の落ちたことにない杉。
落ちないということで、試験の神様として信仰を集めているとか。

大きな杉の木陰に小型トラックが止まっていました。
後ろには茣蓙を引いたお年寄りが昼寝の真っ最中。
タバコの吸殻が落ちていたので、
一服したあとのお昼寝タイムとお見受けしました。

写真は境内にあった力石。
村の力自慢が競って持ち挙げたものです。
土台にこんな歌が刻まれています。

  若き日に競いて挙げし力石この七椙の森に安らぐ

もう持ち上げる若者がいなくなってしまったのでしょうか。
ちょっと哀しげな力石です。



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