575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

仙人掌の花     麗子

2017年06月15日 | Weblog
梅雨の中休み状態が続いています。さわやかなお天気なのに風邪をひいてしまい、どこにも行けず。雲ひとつない晴天なのに気分はどんより。

でも、ささやかな楽しみが。
10年くらい前に買ったサボテンの鉢に、にょきっと二本5㎝くらいのつぼみがついているのを発見しました。庭の片隅にほったらかしにしていたのに。

歳時記で調べたらちゃんと「仙人掌(サボテン)の花」という季語がありました。
もちろん夏の季語です。何色のどんな形の花が咲くのでしょうか?とても楽しみです。
サボテンは人の気持ちがわかると聞いたことがあります。
毎朝カーテンをあけてつぼみの様子を見て声をかけています。「早く咲いてね!」
双子のサボテンはどんな風に応えてくれるでしょうか?
これまでほとんど手をかけなかったのに突然つぼみをつけてくれたことに感謝しています。
仙人掌の時間は人間の時間の流れと少し違う感じがします。

          仙人掌の花咲く時間人知れず   麗子
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6月句会近づく。   遅足

2017年06月14日 | Weblog
梅雨に入ったとの気象庁の発表。すぐに空梅雨です。
今日も朝から晴天。暑くなりそうです。

今回の題詠は「妻または夫」。夏の季語で詠んで下さい。

俳人なかでも有名な愛妻家といえば中村草田男。

  妻二タ夜あらず二タ夜の天の川

  妻に謝す妻よりほかに女知らず

次は橋本夢道。戦前、治安維持法で獄につながれた俳人です。

  夜明けの逮捕僕に靴下も二枚重ねて妻乱れず

  われ獄のとき千日千夜妻の微笑が来て曇らず

もう一人。鷹羽狩行

  妻と寝て銀漢の尾に父母います
  
  水着まだ濡らさずにゐる人の妻

これに対して「夫」を詠んだ有名な句はないようです。
句会では、どんな「夫」が登場するのか、たのしみです。
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弥陀仏と乗り合わせたり薄暑光   遅足

2017年06月13日 | Weblog
京都から奈良に向かう電車。反対側の座席に中年の女性。
平安美女というか、ふっくらとして切れ長の目。
ペルシャ風の顔立ち・・・ひょとして阿弥陀仏のお顔?!
鎌倉時代の仏師・快慶の展覧会を見に行く車中でした。

快慶・運慶は武士の時代を代表する仏師と習いました。
東大寺の南大門の仁王様は、この二人の作。
快慶は人物像が得意なようです。
東大寺を再建した重源上人の像は生き写しかと思われるほど。
また数多くの阿弥陀仏像を制作しています。戦乱の続く末世。
人々を救うとされる阿弥陀仏の像も、新しいものが求められていました。
こうした要望に応えたひとりのが快慶。
その仏像には優しさと強さが感じられます。

  合歓の花死後に瞼が開くように   高野ムツオ

阿弥陀さまのお顔を見て思い出した句です。
仏像彫刻のなかで一番、仏らしいところはお顔。
なかでも目です。この世のものともあの世のものとも思われぬ半眼。
阿弥陀仏は、無限の宇宙。仏像は、その救済の心を表すもの。
目の奥には永遠の世界。薄く見開かれた目が私をみています。

電車で出会ったのは、阿弥陀仏だったんでしょうか・・・
この句、薄暑光という季語は生きているのでしょうか?


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若葉風少女のつくる力瘤   遅足

2017年06月12日 | Weblog
小中学生の女子が「おれ、ぼく」と男子の自称詞を使うことがあります。
「男子のように相応しくない」という批判もあるそうですが、
最近の現象ではなく、すでに明治時代からあったといいます。

これには、少女が少年とはちがう言葉の問題があるようです。
男性は、子どもの時は〇〇ちゃん、少年となると「ぼく・おれ」
大人になれば「わたし」と、自称詞が変わります。
一方、女の子は〇〇ちゃんから一気に「わたし」に。
少女期の自称詞を持っていません。
少年が自称詞である「ぼく・おれ」を持っているのとは対照的です。

少女の場合、子供からが一気に大人に。つまり性の対象とみなされることに。
この時期の少女には、子供とみなされることも、性の対象として見られることも
拒否する気持ちがあるようです。
そこで少年が使っている「ボク・オレ」を借用するということに。

  この人といるボクがすきヒヤシンス

自由題のこの句は、そんな少女を主人公として詠んだものです。
少女が力瘤をつくるのも、同じような気分を表現するものとして詠んでみました。
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若葉見て心離れる授業かな   すみ

2017年06月11日 | Weblog
授業中、窓際の席に座った子供がよそ見をしています。
中学生や高校生ではなく、小学生と読みました。
(作者は中学生を想定しているのかも知れません)

私は、豊橋の八町小学校に入学しました。
戦争中には、アメリカ軍の艦載機の銃撃をうけたようで、
コンクリートの校舎には銃弾の痕が残っていました。
學校の周囲には、まだ焼け跡がひろがっていました。

校庭のまんなかに楠の木が一本ありました。
若葉の季節には緑がまぶしいほど。
写生したことを思い出しました。
また、校庭に全校生徒がならび、古橋広之進氏の話を
聞いたこともありました。
戦後日本の水泳界に彗星のように現れた金メタリスト。
日本の飛び魚と呼ばれた人ですが・・・
話の内容はまったく覚えていません。

私もよく窓の外を眺めていました。
すぐに心は教室を離れて空想の世界に・・・
ノンちゃんのように雲に乗って。
「ノンちゃん雲にのる」って本がありました。
今も昔も子供はすっと空想の世界に入っていけるんです。
空想の中味は違うでしょうが。

                遅足

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若葉して口元ゆるむ阿吽像   亜子

2017年06月10日 | Weblog
阿吽(あうん)は、サンスクリット語のアルファベット。
その最初の文字が「阿」、最後が「吽」とのこと。
そこから、初めから終わりまで、を意味しています。
また「阿」は口を開いて発声し、「吽」は口を閉ることから、
吐く息と、吸う息を表しているそうです。

仏教では、この世に生まれて悟りを求め、
涅槃に至るまでの一生を「阿吽」というとか。

神社の狛犬のにも、寺院の仁王像にも
「阿形」と「吽形」があります。
この句は、神社でしょうか?それともお寺?
お寺なら、思わず仁王様の口元もゆるむ・・・
ユーモアも感じられる句です。

         

梅雨に入ったらしと気象庁。
でもお天気はきまぐれ。昨日、今日と晴。
気温も30度と暑さにぐったりです。
名古屋大学の学園祭で研究室が公開され、
放射性物質処理の研究を覗いてきました。
よく分からなかったですが、前途洋々というか
まだまだの段階らしいです。
                 遅足




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父と短歌誌「創作」    竹中敬一

2017年06月09日 | Weblog
歌人、若山牧水の門弟だった私の父、竹中皆二が生前に所有していた短歌誌
「創作」をこの度、宮崎県立図書館に寄贈することになり、郷里の福井県
小浜市へ行ってきました。
私の生家は昭和7年に建てられたままで、今にも崩れそうなですが、その中に
父が大切に保存していた「創作」が山のようにあり、以前から気になって
いました。
幸い、牧水研究の第一人者、伊藤一彦氏の斡旋により、寄贈がやっと決まり
ました。牧水生誕の地で今後、「創作」を活用して頂ければ父も本望だと
思います。

明治43年 (1910 ) に牧水が創刊した短歌誌「創作」は、初期に時々、休刊する
こともありましたが、昭和21年からは毎月一回 発行、父は昭和47年から22年間、
選者を務めました。
その後、「創作」は平成17年12月号で終刊となり、94年の歴史を閉じました。

父の書斎には、「創作」が年代別に収められていますが、今回、初めて発行
年月日を調べてみたところ、大正7年 (1918) 新年号からで、父はこの年、まだ
15歳。創刊号がないのも頷けます。
段ボール7個に詰めて、宮崎県立図書館へ送り出すことができ、ほっとしました。

父の書斎にはまだ、牧水に関する書籍がかなり残されていますが、牧水の高弟、
大悟法利雄・著「若山牧水伝」には、牧水と竹中皆二との出会いを次のように
書いています。
「 24日朝、洗面所で顔を洗っていると、その横の部屋から一人の痩せた青年が
出て来て、しばらく見ていたが不意に、牧水先生ではありませんか、と声をかけた。
まだ一度も会ったことはないが、社友の竹中皆二という八高生であった。竹中も
昨夜、仏法僧を聴きに泊まっていたのである。… 」。
大正15年(1926) 6月とあります。愛知県新城市の鳳来寺でコノハズク (仏法僧)
の声を聞くため、たまたま同じ旅館に宿泊していて、牧水と出会ったのが、
父の運命を変えました。

この後、父は八高(名古屋大学の前身)を中退し、浪々の日々を送ることになります。
父は生涯、短歌にすべてを託していたようです。しかし、歌の道だけで食べていける
わけがなく、その上、かなり裕福だった生家の破産にもあいます。
昭和7年、若狭湾に面した内外海(うちとみ) 半島の付け根で、今でいうコンビニを
営みながら、そちらの方は母に任せ、自身は村役場に一時、勤めた後、内外海半島
に点在する14ヶ村の産生(うぶすな) 神社の宮司として奉職。92歳で他界しました。

父は平成5年、亡くなる1年前、長年つとめてきた短歌誌「創作」の選者を辞めた
ことが大変ショックだったようです。
若山牧水のご長男、若山旅人(たびと)氏がわざわざ我が家まで来られ、父にそろそろ
選者を後進に譲っては、と遠まわしに持ちかけられました。
旅人氏は「創作」の竹中皆二追悼特集の中で、「別れのまなざし 」と題してこの
時の模様を「 思いなしか何となく淋しい印象だったのが お別れする時の心懸り
だったことが忘れられない。深い哀別のいろをたたえていた事が今でも心に残る
のである。」と記しておられます。
晩年、父の歌人としてのアイデンティティーをつなぐ唯一の道は「創作」の選者を
していたことだったと思っています。

尚、宮崎県立図書館へ「創作」を寄贈するに当たり、遅足さんご夫妻にご協力頂き
ました。御礼 申し上げます。

写真は、若山牧水が創刊した短歌誌「創作」の平成7年5月号 竹中皆二氏・追悼特集

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母の俳句    麗

2017年06月08日 | Weblog
東海地方は昨日、梅雨入りしました。同時に私の偏頭痛も勃発。恐るべし低気圧。6月はあまり体調よくありません。

さて、今月の句会の兼題は「妻・夫」を詠み込むというもの。
どんな夫婦像が見えてくるか、楽しみです。

大阪の実家では89歳の父が84歳の母の世話をしています。認知症からか一切の家事が出来なくなった母。それでも両親は家での二人の生活を望み、父もなんとかふんばって家事をこなしています。

両親はお見合い結婚で、九州に暮らしていた母が大阪に嫁ぐまで、たった一回しか会わなかったとのこと。お見合いの席でも母はただ父の指を見ていたと、そんな話も聞いたことがあります。

今、母が唯一やっていることは、私があげたノートに日記のような覚え書き書くことと一日一句を作ることです。
この間帰省したとき、そのノートを見たら珍しく父のことが書いてありました。

          我が夫は心やさしく強い人   


私が父に「お父さん!お母さんがお父さんのこと俳句にしてるよ!」とこの俳句を声に出して読んであげたら、はにかんだような嬉しそうな笑顔をみせてくれました。そして「お母さん、そんな風に思ってくれてるんやな」と言いました。
この俳句のおかげで父はまた介護をがんばることでしょう。でもあまり無理しないでと離れて住む娘はいつも思ってます。

          父の日に帰ると言えば無理すんな   麗
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街路樹の若葉かぐわし朝の風   立雄

2017年06月07日 | Weblog
朝の散歩が日課の作者、匂いに敏感。
若葉の頃には風がかぐわしい・・・と詠みました。

季節の移り変わりに美意識を磨いてきた日本人。
『若葉のかおり』という和菓子も。
楓の焼印を押した緑の道明寺饅頭。、
若葉の香りを含む初夏の風を表現したものだとか。

織田作之助『青春の逆説』には、こんな若葉の匂い。

 ゴールデン・ウィークが終わり、梅雨が来るまでの時季、
 夜になると若葉が香る。
 それは新緑という名の持つ爽やかさからは想像しづらい
 ムッと立ちこめた草木の匂いで、決してかぐわしい、
 という種類のものではない。
 けれども僕はこの匂いが好きで、ぼんやりと霧に曇った夜、
 四辺から立ち上る新緑の、思わず息を止めてしまいそうな
 生気の籠もった匂いを嗅ぐと、なぜだか無性に懐かしくなり、
 と同時に切なくやるせない気持ちに襲われてしまう・・・。

同じ若葉の匂いでも、朝と夜とでは違うモノですね。

          

九州は梅雨入り。名古屋も朝から雨が・・・
若葉の季節が終わり、梅雨が始まりますね。

                 遅足
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若葉風集団下校児頬の照り   静荷

2017年06月06日 | Weblog
午後になると、一年生が集団で下校してきます。
桜の咲く時に入学した一年生。
若葉の頃になると、学校にも慣れ、友達も出来る頃。
元気に帰っていく子供たちの頬を初夏の光が照らしています。
若葉風にのって笑い声が聞こえてくるようです。

アメリカやフランスやイギリスなどでは、
安全上の問題などで小学生は親が送り迎えするか
スクール・バスを利用することになっているそうです。
日本は安全な国なんですね。

          

私は集団登校をした記憶がありません。もちろん集団下校も。
小学生の集団登下校は、何時頃から始まったのでしょう?

                      遅足
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大仏の空埋めつくす若葉かな    佐保子

2017年06月05日 | Weblog
大仏といえば奈良・東大寺の廬舎那仏。
こちらは建物のなかに座っていらっしゃるから
季節の移り変わりは御存じないでしょうね。
鎌倉の大仏様は露座仏ですから、青空のもと、
気持ちよく若葉風に吹かれていらしゃることでしょう。

写真は、名古屋の桃巌寺。織田信長の父の菩提寺です。
ここに緑色の大仏さまが鎮座しています。
写真は秋に撮影したものですが、露座仏ですから、
初夏には周囲は若葉の染まります。
そのなかに緑の大仏さま。
ちょっとシュールな感じもします。

                  遅足


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熱田神宮の「花の撓(とう)今昔 ⑵  竹中敬一

2017年06月02日 | Weblog
知多半島の東部、愛知県半田市の成岩(ならわ) 地区にある「とりで観音」。
お堂の一角に熱田神宮の「花の撓」を参考にして、飾り物が所狭しと並べ
られていました。
神官、農民、着飾った村娘などの人形が約30体。米俵や米蔵、農作業の道具、
鶏、 野菜など…。
これらの飾り物はそう古いものではなく、人形の衣装は時々、新しいものに
着せ替えているとのこと。人形のシンは藁を切って束ねたものでした。
熱田神宮では、田所(たどころ)、畑所(はたけどころ) の場面が分かれて
いますが、ここではその区分がはっきりとしていません。
飾り物の並べ方については、毎年、殆ど変わっていないが、熱田神宮の絵図
にある3体の神官人形の並べ方を参考に、ここだけは毎年、入れ替えている
とのこと。
「とりで観音」の案内書によると、ご本尊十一面観音は霊験あらたかで、
「元禄の頃、大旱魃(かんばつ)があって、成岩輪中 (ならわ わじゅう) より
雨乞いをして大いに功あり。」と出ています。
この地区はかって輪中地帯だったわけで、昭和36年に愛知用水が完成するまでは、
知多半島一帯は水不足に悩まされており、日照りなど農作物の豊凶を占う
「花の撓」は、「頼みの綱」だったのでしょう。

昭和57年から翌年にかけて鬼頭秀明氏 (民俗芸能研究家) が熱田神宮の「花の撓」
を 模して愛知県下で行われている同様の神事について調べた結果を月刊誌「あつた」
に発表しています。
それによりますと、主に知多半島と豊田市周辺に「花の撓」を行っている所が集中
しており、16カ所が確認できたということです。
この調査結果をもとに、現在、どの位「花の撓」 が各地に残っているか、現地へ
行ったり、関係者に電話で問い合わせてみたところ、8カ所でまだ存続させている
ことがわかりました。

その中のひとつ、愛知県阿久比町(あぐいちょう) の宮津地区に鎮座する熱田社に
伝わる「花の撓」神事について、調べてみました。
宮津地区には、約500世帯が暮らしていますが、専業農家は数える程しかありません。
それでも、地区を32班に分けて各班で交代して、「花の撓」神事を守っています。
その年の当番に当たる班の代表2人が熱田神宮の「花の撓」を見に行く一方、境内
では、氏子の人たちが「おためし小屋」を開けて、人形などの飾り付けの準備を
します。
あとは、半田市の「とりで観音」の場合と同様、代表が熱田神宮から持ち帰った
絵図をもとに飾り物を午前中に飾り終えます。
「阿久比町誌」によりますと、宮津地区は中世の頃、熱田神宮の神領として栄えた
ということで、昔から熱田神宮との関係が深かったことも、「花の撓 」の伝統を
守ってきていることに繋がっているのでしょう。

ここまで、熱田神宮の「花の撓」を模した各地の例を見てきましたが、愛知県津島市
の津島神社のように独自で「花の撓」を行っているところも僅かですが、見受けられます。
いずれにせよ、どの地区でも、「花の撓」で展示される人形などの飾り物は明治時代
以降に造られた素朴なものばかりですが、どことなくユーモラスで、豊作を願う人たち
の思いが込められていて、愛着を感じます。

しかし、今はこの種の占いごとへの関心も薄れてきている上、宅地化、専業農家の減少、
地域の人たちの連帯感の希薄化などが重なって、各地に伝わる「花の撓」が消滅の
一途を辿っていることは残念なことです。


写真は、愛知県半田市有楽町の「とりで観音」で。
「花の撓」は、神社だけでなく、お寺でも釈迦の降誕を祝う灌仏会に合わせて、
行なわれていたようです。

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濤声      麗

2017年06月01日 | Weblog
今日から6月ですね。
スーパーの野菜売り場では青梅が出回り始めました。赤紫蘇も売っていたので、今日は紫蘇ジュースを作ろうと思っています。

さて、先日、初めて豊田市美術館に出かけました。地下鉄鶴舞線が名鉄に乗り入れており、豊田市駅で下車。見晴らしのいい高台にありました。建築家谷口吉生の設計で現代美術の作品を多く収蔵しています。二階の屋外には一面の水辺の空間が広がり、とてもおしゃれな外観の素敵な美術館でした。

その豊田市美術館で今開催されているのが、「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」です。
鑑真和上坐像を治める御影堂の障壁画は68面の襖からなります。全長80メートルを超える大作に挑戦した東山魁夷は1971年から10年、3回に分けて制作したそうです。

今回はそこから5つの襖絵が展示されています。中でも見事なのが「濤声」というエメラルドグリーンの海の波涛を描いた大作。白波が立つ様子、岩にぶつかる波の音まで聞こえてきそうな力作です。その繊細な波の様子と美しい色彩には眼を見張ります。

そして、視力を失い、二度と故郷揚州の風景を見ることができなかった鑑真さんに祖国の風景を描き捧げた東山魁夷の優しさに心動かされました。
できれば奈良の唐招提寺でその全ての襖絵をぐるっと見てみたいものですが、美術館でみる襖絵も圧倒的な存在感を放っていました。
丁寧なスケッチや下図、割下図なども展示されていますので、まだご覧になっていない方はぜひどうぞ。(結構、混んでいます)
6月11日まで開催されています。

           濤声が聞こえし夏の美術館  麗  
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