575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

575のブログを読んで   千香子

2020年05月17日 | Weblog
2005年の10月に始められた日からかなりななめ読み ですが、
20018年の7月まで読ませたいただきました。

興味を持ったのは 草女という方の文でした。
半端でない植物の好きな方で、ヒカサキという私の初めて聞く
植物についての解説(2008年2月28日) とか
探鳥会のこと(2008年2月22日)などなど、
どれもに誰かの俳句もつけて、楽しく読みました。
 
例えば 2008年3月21日の片栗の花につては

  片栗の一つの花の花盛り  高野素十

が、引用してありました。

私も花は好きです。庭にはいつも何らかの花は咲いています。
窓を開けた時から癒されて、時にはしばらく見ています、
それで今我が家に咲いている花について、
俳句ではどんなふうに詠まれているのか調べてみました。

   ブーゲンビリア無口となるも旅疲れ    鈴木真砂女
   アイリスを見ゆる一眼にて愛す      日野草城
   紫蘭咲き満つ毎年の今日のこと      高濱虚子
   岩ヶ根の立浪草に雨あられ        林紫楊桐
   明日の日の華やぐがごとガーベラ挿す   藤田湘子
   夕風や白薔薇の皆動く          正岡子規
   夕支度春菊摘んで胡麻摺って       草間時彦
   をだまきや老いゆく夫の齢を追ふ     岩城のり子
   オキザリス幸福といふ不幸あり      石寒太
   菜の花や夕映えの顔物を言ふ       中村草田男
   シンピジューム置きたる書斎リルケ読む  野地二見
   白日を降る雨細し松葉菊         岡本圭岳

咲いている花で例句を見つけられなかったのは
   アルストロメリア、アブチロン、立木ベゴニア、
   蚊嫌草、 ナルコユリ、 アマドコロ、 
   昼咲月見草、 大紫露草、 シラー、でした。
  
花の名前が長いと使いにくいようです。
 


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5月句会の句があつまりました。   遅足

2020年05月16日 | Weblog
券題は卯の花。さて、どの卯の花に人気があつまるのでしょうか。

兼題「卯の花」
1 卯の花や星降る里の野辺に咲き
2 卯の花の 降りくる香り また空へ
3 雨に濡れ卯の花白し庭の隅
4 卯の花や 尺八の音 垣根ごし
5 花空木亜炭の跡の竹林
6 卯の花に問えば垣あり陶火色(トウヒイロ)
7 花束の匂うがごとき卯木あり
8 卯の花やパン売る驢馬(ろば)の遠ざかる
9 生垣の卯の花やさしやはらかし
10 「卯の花の」と思わず唄う野の小道
11 卯の花の白の透けゆく獏の夢
12 卯の花や自粛開け待ちガーゼ干す
13 雅なる卯の花纏う数寄屋かな
14 卯の花の揺れて少女の髪揺らす
15 卯の花や嫁ぐ娘の晴れ姿
16 卯の花の歌懐かしく友の顔
17 花卯木かおりの中に志村けん

自由題
1 コロナの禍春は過ぎゆき人はどこ
2 風呂上りつるん白玉喉走る
3 口紅はマスクとる日にマザーズデー
4 ひなげしのしたたかに咲く車道かな
5 夏めくや白雲高く高くなり
6 竹の皮脱ぎ散らかせり今年竹
7 白牡丹はらりと落ちて母の逝く
8 桜散りしのちの区の花「花水木」
9 ここからはだれも来ぬ道花空木
10 捨てられしマスクの悲鳴街薄暑
11 藤の房土に積み上ぐ2020(ニセンニジュウ)
12 五斗米(ゴトベイ)を辞せば十年(トトセ)に夏落葉(オチバ)
13 払暁に 病葉<わくらば>散りて 心ゆれ
14 卯の花やガラシャ行きたる山の路
15 卯の花や ゆらぎ世代の 膳に添え
16 会へぬ夫へ届けるお菜庭の蕗
17 冷麦のつゆ店頭に勢揃い


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コロナウイルスの時代を詠む   遅足

2020年05月15日 | Weblog


新型コロナウイルスをテーマにすることも、
この時代を生きる一つのありようだと思うけど、
でも、何か、その真っ只中にいる私に語らせながら、
ダイレクトなテーマにはしないように、短歌を書きたいな。

荻原先生はこんな歌を詠んでいらっしゃします。

  誰も居なくはないけど静かな日曜のあをぞらに溺れてゐる辛夷   荻原裕幸

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「 詩歌に見る望郷、若狭 」⑴ 魦 イサザ   竹中敬一

2020年05月14日 | Weblog


北陸特有の暗い空、雨や雪が多く、町はいつも眠ったようで

この閉塞感から早く抜け出したい 。若い頃、そんな思いで

故郷を飛び出してから幾星霜、今はその故郷が懐かしく

思われます 。

私が生まれたところは福井県小浜市 。旧 遠敷 (おにゅう)郡

内外海村( うちとみ むら )。陸の孤島のようなところでした 。


私の母校、福井県立若狭高校で長年、国語の先生をしていた

同級生の友人 ( 今は故人 )が書いた 「 若狭余録 」の中に若狭

を詠んだ俳句や和歌がいつぱい載っていたのを思い出しました 。

この書物を参考にさせてもらいました 。


 水増して いさざ とれぬ日 続きけり 円嶺


阿万円嶺 ( あまん えんれい )は本名 正義 。宮崎県出身で、

大正13年 ( 1924 )から昭和21年 ( 1946 )まで旧制 小浜中学

の国語の先生をしていました 。

私も中学の時、阿万先生から習いました 。国語の成績が良くない

私に授業が終わった後、宮崎弁で “ タケーナカ君 ちょっと “

と呼びとめられるのがとても恥ずかしかったのを覚えています 。

歌人でもあった父と親しく、お互い文学書を貸し借りしていました。

この句は昭和9 年、高浜虚子が 「 俳句歳時記 」を出版した時、

春の季語「 いさざ 」に採用されたことで地元では知られています 。

イサザは別名シロウオ 。毎年、春先 雪解けの頃、市内を流れる

南川を遡上してくる小さな透きとおった魚を網で獲っている風景

を若い頃、よく見かけたものです 。

沸騰させた鍋に豆腐を入れ、この豆腐に生きたままのイサザを

さっとくぐらせ、ポン酢で食べます。この 「イサザのびっくり鍋 」

は「御食国 」( みけつくに )小浜の春の珍味 。

私は食したことはありませんが… 。

イサザ漁は私たち地元の者には見慣れた風景ですが、他郷から

赴任してきた阿万先生にとっは珍しい春の風物詩として心待ちに

していたのでしょう 。

*写真「若狭水晶浜>


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俳句と我がふるさと③    竹葉

2020年05月13日 | Weblog

清流・長良川

岐阜と言えば鵜飼、鵜飼と言えば長良川。現在は幾本も橋がかかっていますが、
金華山のふもとに近い橋、長良橋は長さ272mあります。
これは1954年末に架け替えられたもので、電車も橋から先が複線化、道路も周辺住宅も大きく姿を変え、
岐阜市を代表するシンボル的な橋となりました。
私は産湯こそ使っていませんが、5歳くらいから泳ぎに行きました。10代前半は早い流れの所、
「鉄管」と呼んでいた橋桁のとても深い所や、橋の上流のホテル街の前など、泳ぐというより
長良川にのって楽しんでいました。
水は冷たく唇がすぐに紫色になって、ガタガタ震えながら、河原の石で背中を温めたり、
タオルで、メダカやどんこを取ったりしていました。
水溜まりにはウナギの一杯いる「生けす」があり、飛び込み台として使って遊んだものでした。

我が実家は長良橋を渡った’うかいや’という電車の駅に近く、住所は長良ヶ丘でした。
鵜飼の夜には、鵜匠が鮎を取る鵜を励ますために船べりをトントンと櫂でたたく音が聞こえる近さでした。
川よりは丘というほどではないけれど高い所にありました、
家の後ろは高い堤防になっており、クローバー、チガヤ、ネジバナ、蓬、土筆などの草や木が生えていました。
その堤防が幼い日の遊び場で、摘み草や土手滑りなどをし、一番高い道は犬の散歩道で、
夕日が伊吹山に沈むのを眺めたりしていました。
また5分ほど下流に記念碑があり、その下が中学校。堤防の中腹がソフトボールなどを楽しんむ場所でした。
そのように川での遊び、堤防での遊びが子供時代を豊かにしてくれました。


                      清流・長良川。長良橋の上流

しかし、自然はいつも穏やかで人の味方というわけにはいきません。
昨年の投句で失礼しますが「樹雨(キサメ)さえ集めて反旗我が山河」です。
最近もあの辺りが浸水するとの情報がありましたが、長良川は何度も大きな洪水を起こし流れを変えて、
人々はどんどん堤防を高く築いて家や土地を守ってきました。

記念碑にはその歴史の一端が記されているのを数年前初めて知りました。
忘れることができないのが伊勢湾台風の時です。
平屋のわが家は床上1.2mまで浸水、かろうじて避難した屋根裏から、水に浮かぶゴミの線を見つめていました。
じわじわと上ってくる水。不安の一夜が明けました。
翌日の川は大きな木材を飲み込みながら濁流が膨れ上がっていました。
その時も佐保ちゃんは泥にまみれた台所やお茶碗を綺麗にしてくれていましたね。
その後、堤防は石で固められ、もう一つ住宅を守るお粗末な堤防が作られました。

水害や汚染、河口堰建設、思うに任せない自然、思う様にしたい人、争わずにはおれませんが、
それでも我が長良川を愛さずにはおれません。
幼い時期を豊かに育んでくれたふるさと。愛する人と自然に出会えたことは幸せです。

長い自己紹介になってしまい失礼しました。
一度長良橋から金華山と長良川をぼんやり眺めに行ってみようという気持ちになっていただけたら幸いです。  (竹葉)





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俳句と我がふるさと②    竹葉

2020年05月12日 | Weblog
黄金の山・金華山

私を俳句の世界にさそった3つ目はふるさと。
風光明媚な長良川と金華山。そのほとりに生まれ育ったことです。
この山河こそ私の素を作ってくれたものであり、俳句の源泉です。

「ちょっとだけいいかね、たいしたことあらへんけど岐阜自慢してもえーえ?
田舎やと思とったにコロナ、なんやら多いねー、きー付けなあかんよー」
「岐阜っていったってなんも自慢することあらへんよ。
問屋街ははさびれとるし鵜飼もだーれもこーへんやろ」

私と姉の会話ですが、岐阜弁は柔らかくていいですね。
今話題の大河ドラマの舞台でもある美濃、その中での山城は金華山の頂上にあります。
その金華山は、これから黄金色にそまります。
山にはツブラジイ(千葉市の木にもなっています)をはじめ、天然林が9割、江戸時代は天領、
明治時代は御料林、戦後は国有林として保護されてきたおかげです。
ツブラジイは6月花で山稜を黄金色に染め、そこから金華山の名がつけられました。





小学生の頃、写生で行った時に黒い小さな実を拾って中の白い実を食べたのですが、
香ばしくてもう一度食べたい食べたいと思っています。
しかし生で食べられるツブラジイには出会えていません。

山頂のお城は、私が小学生の頃までは石垣だけが残っていましたが、
コンクリートながら再建され、家からライトアップされたお城を誇らしい思いで見ていました。
また麓にある岐阜公園には小さな動物園があり、ペンギンや孔雀を見に行きました。
このほか図書館では受験勉強したり、父の謡や能を見に行ったりしました。

数年前に訪れた時、公園の周りは道路と駐車場が整備され、市の歴史博物館が出来、
「信長公居館跡」の看板と立派な門と共にかなり大規模な発掘場所があったことに驚きました。
この岐阜城と信長居館を含めて一帯が2012年、国の史跡に指定されています。



                                   信長公居館跡


金華山はわずか329mですが、30分では登れません。子どもの頃は1時間くらいかけて
細い山道を登りましたが、中高生の時は最短のコース、ロープウェイ下の谷間の大きな岩が
ゴロゴロしているところを四苦八苦して登りました。
ロープウェイで登ればお城まで山道を15分くらい行くと頂上のお城に着きます。
天守からは濃尾平野を一望、すぐ北側には長良川が東から西へと流れ、私の住んでいた長良橋の近くには、
城下町の名残の川原町と言う町屋が、その南には柳瀬などの繁華街の街並みが広がっています。
                                           つづく
      
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俳句と我がふるさと①   竹葉

2020年05月11日 | Weblog

                                       金華山と長良川

 故郷の山川友よ春永遠(トワ)に     竹葉

私は千葉からリモート参加でこの1年575の会に参加させていただいています。
遅足さんからブログへの投稿を依頼されて、自己紹介がてらふるさと岐阜と佐保子さんとのことなど書かせていただきます。
千葉の私と名古屋の佐保子さんとの出会いは岐阜での高校にあります。
頭が良くて笑顔の絶えない佐保子さんとは、もう一人の今は亡きさっちゃんと3人、
物理の時間、教室の隅の大机で「内職」をした仲間であり、学校帰りに佐保ちゃんちに寄り、
手乗りジュウシマツと戯れたり、お庭の柿の木に登りお腹いっぱい柿をもいで食べさせてもらった仲でありました。
卒業後はご主人となられた遅足さんとのデートに、なぜか加わって野の中で、彼が彼女の膝枕で寝そべっておられたのを覚えています。
佐保ちゃんは何回もあるデートの1回だったからか忘れた、とおっしゃっていましたが、私の方は覚えているのです。
その後私が理想に燃えて若気の至りで道をそれてた時期も結婚を祝いあったり音信は続いていましたが、
再び密な交流が出来たのは佐保ちゃんの退職後、しかもこの10数年かもしれません。
彼女が上京する度、一緒に美術館めぐりをしたり、私の帰省時に会ったり交流は深く続いています。

俳句の会に入ることになった最大の要因は佐保ちゃんです。(佐保子さんと言ったのでは本人像が出ませんので)
佐保ちゃんは自然の豊かな山歩きによく行かれ植物にも関心が深く、私は野草が好きでつたない写真を撮っていました。
佐保ちゃんが大病された時、その写真カレンダーを送ったのがきっかけで毎月初めには必ず1回、メールのやり取りをしています。
そこで俳句のお誘いを受けたのです。

2つ目は母です.母は50代になってから山口誓子の天狼の同人に加わり、季寄せにも何句も載っているほど後半生は作句に夢中でした。
でも私が独立した後なので、帰省中に川開きだ、精霊流しだというと、手帳を持って一人出かけたり、
黙々と自分の世界に入って鉛筆を走らせる姿を見ただけでした。
母の句は「葉牡丹の露一つずつむらさきに」(朝日出版社「季寄せ冬」「明日香人御陵の道に小豆干す」など。
句も母の残した 「天狼季寄せ、歳時記」 から探し出して見つけたものだけしか知らないのはとても残念に思っています。
                                                      続く



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卯の花

2020年05月10日 | Weblog


関東でおからは「卯の花」ウツギの白い花が
由来のようです。また、ウツギの花は白ウサ
ギが由来といわれています。

「声もなく 兎動きぬ 花卯木」<嵐雪>

関西でおからは「きらず」包丁を使わないの
が音の由来。しかし、文字表記は「雪花菜」
となり難読漢字のひとつ。中国語でのおか
ら「雪花」<シュエホワ>が起源といった感。

「立春の 夕べの湯気の 雪花菜汁<きらずじる>」<省二>

おからは大豆から豆乳を絞った残りかす。お
からの「から」は茶殻の「から」と同じ意味。
「絞りきったカス」から「からっぽ」に通じ
ることを室町時代の宮中の女房たちは忌み嫌
ったのでしょう。「お」をつけ丁寧語にした
といわれています。果実の梨を「なし」とせ
ず「有りの実」と呼ぶ。言葉には魂が宿ると
する言霊<ことだま>の国らしい慣習。

「卯の花を かざしに関の 晴着かな」 <會良>

おからは、近年、脳の記憶を活性化する物質
が含まれていることがわかり注目されていま
す。おからの「からっぽ」という意味。すで
に諧謔性すら感じられます。

「卯の花や 盆に奉捨を のせて出る」 <漱石>

構成と写真、殿
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対角線 切るや燕<ツバクロ> 胸白し <竹葉>

2020年05月09日 | Weblog


対角線 切るや燕<ツバクロ> 胸白し <竹葉>

ヒトの視界は横に長い楕円だそうです。
しかし絵を描くときは視界を四角形に
切り取ります。ツバメが構図を袈裟懸
けに断ち切ったのでしょうか。疾走感
が句に漲っている印象。下五の「胸白
し」。色彩の余韻も心地よいですね。
破調を避け詠んでみます。

「胸白き ツバメ一閃 対角線」<殿>

芭蕉は弟子の向井去来に「句調はずん
ば舌頭に千転せよ」と説いています。
つまり、俳句は文字ではなく音の響き
が大切。しかし、支考という弟子には
「文字で書く句の姿の映りを重視せよ」
と真逆の指南をしています。去来へは
聴覚。支考へは視覚。これは芭蕉の俳
句に対する変遷なのでしょうか。それ
とも弟子の排風に応じた指南なのでし
ょうか。芭蕉という俳聖への歩みより。
俳句の深淵を覗き見る感。
文と写真<殿>
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空と海 縫いあげてゆく 春驟雨  殿

2020年05月08日 | Weblog


空と海という平行線を布に置き換えた視点と
春驟雨という潔い表現に惹かれます、と紅さん。

昔、モンゴルの大草原を小型飛行機で飛びました。
振り返ると、黒い雲と大地の間に水のカーテンが。
夏の夕立だったのでしょうか。
天と地の相聞。雷の声も聞こえたように記憶しています。
大空を飛ぶ鳥たちはこんな大きな風景を見ているんですね。
鳥の目の一句です。
中七の「縫いあげてゆく」が秀逸。(遅足)
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蘇る古関メロディー  竹中敬一

2020年05月07日 | Weblog


古関裕而をモデルにしたNHKの朝ドラ「エール 」を楽しみに見ています。
今でも、ふとついて出る軍歌の殆どは、作曲 古関裕而のものでした 。
「 若鷲の歌 」「 暁に祈る 」(後者は、同郷の新聞記事 野村俊夫の作詞)
こんな軍歌をどこで覚えたのでしょうか 。
両親が歌っていたところを見たことはありません。
多分、村の若い衆から影響を受けたのでしょう 。
小学生の頃には、毎年 お盆を前に村の小学校のグランドの片隅で
「六斎」(カネ 、タイコ)の練習がありました。
夜間、一燈の裸電球の下に集まりした。
いつ召集令状がきてもおかしくない村の若い衆から教えてもらったのですが、
その際 、先輩達は練習そっちのけで軍歌を歌っていました。

この少年時代に知らず識らず覚えた古関メロディー。
今日に至るまで頭の片隅に残っていているようです 。
今のコロナ禍よりはるかに厳しい統制のもと、飢餓状態にあった
私達の世代を古関メロディーは潤してくれました。
私は、不思議に今でも織井茂子の「 君の名は 」を聞くと、
故郷の情景、昭和の雰囲気が蘇ってきます。
この「 君の名は 」の作曲も古関裕而でした。

少年時代に覚えた歌はいつまでも心に残っています。
軍歌ではありませんが、こんな歌も意味がわからないまま、
今日でもつい口ずさんでしまいます。

 天勾践を空しゅうすること莫かれ
 時に范蠡 無きにも非ず
 
南朝の児島高徳の詩句。
中国春秋時代、范蠡が呉に敗れた越の王 、勾践を助けた故事に
由来することをインターネットで知りました 。

最近、足腰の衰えは著しく、毎朝夕3000歩の日課。
狭い庭をまるで檻の中の動物のように歩いています。

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日本丸満船飾の風光る  狗子

2020年05月06日 | Weblog



’日本’を乗せた日本丸、みんなで沈没かと思いきや
満船飾に旗をはためかせ、世界に向かってウイルスとの戦いを
励ましている様子と思いました。
又「風光る」で明るい兆しを感じさせてくれていると思いました。
が、実際は平和な船の様子というのを詠んだのでしょうか。
と、竹葉さん。

満船飾とは、船が祝祭日や記念日、特別の行事などを祝うため
国旗や国際信号旗を掲揚するものです。軍艦以外の船です。(遅足)
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下五の表記  千香子

2020年05月05日 | Weblog


昨年の4月からちょっとしたグループの毎月出されている会報に投稿しています。
5月分として

  東には雪の御岳野蒜つみ

を出したら

  東には雪の御嶽野蒜(のびる)摘む

と添削されて掲載されました。
野蒜摘む となっていて、添削してくださったものと分かりましたが、
私は野蒜つみ で出しました。
どうして「摘み」にしたのか理由らしいものはありません。
摘む、の方が良い理由も分かりません。

もしかして野蒜摘みだと、名詞?になって
誰かが摘んでいるという風になるのかなー、
これは今書きながら思ったことです。
摘むだと自分のことになるから、その方がいいのかも。
これあたっていますでしょうか。

同じ会報に投稿している佐保子さんにお尋ねしました。
佐保子さんの返事です。
摘みだと名詞、または連用形で言いさしです。名詞止めだと絵の感じ。
言いさしよりは、いいきりのほうが、リアル感がある気がします。きっぱりしてるし、、、。

下五は摘みとすれば連用形、あるいは名詞。
摘む、は終止形。
名詞として使いたい場合は「野蒜摘」と表記することもあります。(遅足)

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風光る 煉瓦の母校 飛花の中 <等>

2020年05月03日 | Weblog


コロナ禍にて卒業式、入学式も中止。誰も
いない学び舎となれば感慨もより深いの
ではないでしょうか。飛びゆく花の中にい
る作者。きっと、心ふるえる至福の時。

ビルは空高くなったが
人の気は短くなり

高速道路は広くなったが
視野は狭くなり

お金を使ってはいるが
得る物は少なく

たくさん物を買っているが
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが家庭は小さくなり
より
便利になったが時間は前よりもない

たくさんの学位を持ってもセンスはなく

知識は増えたが決断することは少ない
専門家は大勢いるが問題は増えている


薬も増えたが健康状態は悪くなっている
飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し笑うことは少ない


猛スピードで運転しすぐ怒り
夜更かしをし
すぎて起きたときは疲れすぎている

読むことは稀でテレビは長く見るが祈るこ
とはとても稀である

持ち物は増えているが自分の価値は下が
っている
喋りすぎるが愛することは稀であるどころ
か憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが人生を学んで
はいない

長生きするようになったが長らく今を生き
ていない

月まで行き来できるのに
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが内世界はどうなのか
前より大きい規模のことはなしえたがより
良いことはなしえていない

空気を浄化し

魂を汚し

原子核を分裂させられるが偏見は取り去
ることができない

急ぐことは学んだが待つことは覚えず
計画は増えたが成し遂げられていない

たくさん書いているが学びはせず

情報を手に入れ多くのコンピューターを
用意しているのにコミュニケーションは
どんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きい
が人格は小さく
利益に没頭し人間関係は
軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに

家族の争いはたえず
レジャーは増えても楽しみは少なく
たく
さんの食べ物に恵まれ
栄養は少ない

夫婦でかせいでも離婚も増え

家は良くなったが家庭は壊れている

忘れないでほしい
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には
続かない

忘れないでほしい
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなた
が与えることができるこの唯一の宝物には
1円たりともかからない

忘れないでほしい

あなたのパートナーや愛する者に
「愛して
いる」と言うことを
あなたの心からのキス
と抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれな
い人の手を握りその時間を慈しむことを

愛し話しあなたの心の中にある
かけがえの
ない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし
続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

ジョージ・カーリン<George Carlin>

写真と構成、殿


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水鳥は 風と光を 蹴って発つ <遅足>

2020年05月03日 | Weblog


水鳥は水面を蹴って飛び発ちます。作者は
水面と記さず風と光としています。やさしい
光に包まれた名画のような情景。羽ばたき
の音まで聴こえてくる感。

水鳥の多くは渡り鳥。遠い国への旅で失う
個体も多く、渡りとは鳥にとって生命をか
けたターニングポイントかもしれません。

カオスに包まれた感のコロナ騒ぎ。私たち
は未来を決める渦中にいる気がします。

1600年代、黄金期のオランダでチューリ
ップバブルが起こります。しかし大暴落と
なりヨーロッパ経済は大混乱に陥ります。
このバブル崩壊の要因といわれているのが
ペストです。ペストもコロナウイルスと同
じ動物からの感染症。肺炎を引き起こし致
死率は6割。当時、約1億人が死亡したと伝
えられていますが、いまだワクチンはあり
ません。

新型ウイルスは地球環境の変化による必然
と提唱するグドール氏<霊長類学者>が話題
の人となっています。彼女は、微生物は繊
細なバランスの上に成り立っていると主張。
環境破壊による人類滅亡のシナリオを警告
してきました。しかし学会では荒唐無稽と
揶揄。その荒唐無稽が世界で現実となって
しまいました。

コロナ禍により経済活動は縮小。不可能と
いわれていたCO2の数値は激減しました。
しかし以前と変わらないカタチで経済活動
を再びスタートしようとしています。いま、
私たちはターニングポイントにいるよう
です。 <写真と文、殿>

「世の中は 地獄の上の 花見かな」<一茶>
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