舎利礼(しゃりらい)とは
「舎利礼」という経文は、仏舎利、つまりお釈迦様のご遺骨を礼拝するときに唱える偈文。葬式の時などに読まれるが、その意味は、私たちの骨身を転じて、仏身にしようという願いがある。
原文
一身頂礼 万?梔~滿 釈迦如來(いっしんちょうらい まんとくえんまん しゃかにょらい)
真身舎利 本地法身 法界塔婆 我等礼敬(しんじんしゃーりー ほんぢーほっしん ほうかいとうば がーとぅらいきょう)
爲我現身 入我我入(いーがーげんしん にゅーがーがーにゅー)
仏加持故 我証菩提 以仏?b力(ぶっかーじーこー がーしょうぼーだい いーぶつじんりき)
利?Y衆生 発菩提心 修菩薩行(りーやくしゅーじょう ほっぼーだいしん しゅうぼーさつぎょう)
円入円寂 平等大智 今将頂礼(どうにゅうえんじゃく びょうどうだいち こんしょうちょうらい)
読み下し文
我がために身を現じて入我我入したまえ、仏の加持の故に我は菩提を証し、仏の神力を以って衆生を利益(りやく)せん。
菩提の心を発(おこ)して菩薩の業を修し同じく円寂に入る。平等の大智を、今将に頂礼(ちょうらい)したてまつる。
現代語訳
仏様は私たちを救うため、いろいろ姿を変えて、私たちと一体となり、私たちを加護し、お悟りを開くようにと、神通力をもって私たちのために働きかけてくださっています。だから私たちは、悟りを開きたいと願う心を起こし、菩薩が行わねばならない修行をして、自他共に同じく仏さまになるようにと、仏さまの智慧に対して、いま私たちは礼拝致します。
「爲我現身」とは、仏さまが私たち衆生を救うため、いろいろと姿を変えて現れること。
「入我我入」とは、仏の身・口・意のはたらきが自己に入り、自己の身・口・意のはたらきが仏に入る。つまり、仏と自己が一体の境地になるということ。
「仏加持故」とは、仏が不可思議な力(加持)をもって衆生を護ってくださるがゆにということ。
「我証菩提」とは、私はお悟りを証しますということ。
「以仏?b力」とは、私の不可思議なはたらき、つまり神通力をもってということ。
「利?Y衆生」とは、世の人々のためになるようにするということ。
「発菩提心」とは、お悟りを得たいと願う心を起してということ。
「修菩薩行」とは、菩薩として行うべき行為を修行するということ。
「円入円寂」とは、自他共に同じく仏さまになるということ。円寂とは、涅槃に入ること、つまり仏さまになること。
「平等大智」とは、仏さまの智慧のこと。
「今将頂礼」とは、今将に最高の敬礼をし奉るということ。
「舎利礼」という経文は、仏舎利、つまりお釈迦様のご遺骨を礼拝するときに唱える偈文。葬式の時などに読まれるが、その意味は、私たちの骨身を転じて、仏身にしようという願いがある。
原文
一身頂礼 万?梔~滿 釈迦如來(いっしんちょうらい まんとくえんまん しゃかにょらい)
真身舎利 本地法身 法界塔婆 我等礼敬(しんじんしゃーりー ほんぢーほっしん ほうかいとうば がーとぅらいきょう)
爲我現身 入我我入(いーがーげんしん にゅーがーがーにゅー)
仏加持故 我証菩提 以仏?b力(ぶっかーじーこー がーしょうぼーだい いーぶつじんりき)
利?Y衆生 発菩提心 修菩薩行(りーやくしゅーじょう ほっぼーだいしん しゅうぼーさつぎょう)
円入円寂 平等大智 今将頂礼(どうにゅうえんじゃく びょうどうだいち こんしょうちょうらい)
読み下し文
我がために身を現じて入我我入したまえ、仏の加持の故に我は菩提を証し、仏の神力を以って衆生を利益(りやく)せん。
菩提の心を発(おこ)して菩薩の業を修し同じく円寂に入る。平等の大智を、今将に頂礼(ちょうらい)したてまつる。
現代語訳
仏様は私たちを救うため、いろいろ姿を変えて、私たちと一体となり、私たちを加護し、お悟りを開くようにと、神通力をもって私たちのために働きかけてくださっています。だから私たちは、悟りを開きたいと願う心を起こし、菩薩が行わねばならない修行をして、自他共に同じく仏さまになるようにと、仏さまの智慧に対して、いま私たちは礼拝致します。
「爲我現身」とは、仏さまが私たち衆生を救うため、いろいろと姿を変えて現れること。
「入我我入」とは、仏の身・口・意のはたらきが自己に入り、自己の身・口・意のはたらきが仏に入る。つまり、仏と自己が一体の境地になるということ。
「仏加持故」とは、仏が不可思議な力(加持)をもって衆生を護ってくださるがゆにということ。
「我証菩提」とは、私はお悟りを証しますということ。
「以仏?b力」とは、私の不可思議なはたらき、つまり神通力をもってということ。
「利?Y衆生」とは、世の人々のためになるようにするということ。
「発菩提心」とは、お悟りを得たいと願う心を起してということ。
「修菩薩行」とは、菩薩として行うべき行為を修行するということ。
「円入円寂」とは、自他共に同じく仏さまになるということ。円寂とは、涅槃に入ること、つまり仏さまになること。
「平等大智」とは、仏さまの智慧のこと。
「今将頂礼」とは、今将に最高の敬礼をし奉るということ。