【まくら】
この噺はもともと講談ネタ、後に講釈師のみならず噺家も演じるようになった。
初代三遊亭円右・五代目古今亭志ん生・五代目一龍斎貞丈そしてNHKの番組、お笑い三人組で有名になり、後元参議院議員になった一龍斎貞鳳などが十八番にした。
また『名人長二』『中村仲蔵』『抜け雀』『左甚五郎』などとともに、晩年の志ん生が好んで演じた“名人もの”のひとつ。
【あらすじ】
江戸は寛政年間、浜野矩康(のりやす)という腰元彫りの名人がいた。その名人が亡くなって奥様と一人息子の矩随が残された。先代の時は浜野家の前に道具屋が列をなしたと言うが、息子の代になって誰も相手にしなくなった。それは矩随の作がヘタで作品と言われる以前の問題であった。しかし、一人、芝神明の”若狭屋甚兵衛”だけは先代に世話になったからと息子の作品をどんなものでも1分(いちぶ)で買い上げた。
今朝も若駒を彫ってきたと言うが3本足であった。眠気が来て足1本を彫り落としてしまったという。その心魂に呆れ、若狭屋は言いたくない事ではあったが言った。「ミカン箱に13箱こんなゴミ作品ばかり溜まっている。河童狸は頭に皿を乗せているが、下は狸だ。小僧達はこれを見て笑っている。下手な作品を作るくらいなら死んだ方がイイ。これからは縁を切るから5両の金を渡す。これで以後ここの敷居を二度とまたぐんではないぞ。死に方が分からなければ表に出て左に行きな。吾妻橋から身を投げな。それが出来なければ、右に行くと芝増上寺に出る。そこの門前に枝振りの良い松がある。その松で首をくくんな。ぼんやりした顔をしてないで帰んな」。
家に帰り伊勢詣りに行くからと嘘をついたが、母はお見通しで、若狭屋さんの一件を聞き出した。母親は「死にたければ死んでも良いが、最期に私に形見を彫って欲しい」と観音様を所望した。
裏に出て井戸の水をあび、仕事場に入り仕事を始めた。隣では母親が神頼みの念仏を唱えていた。4日目の朝、出来た観音を母親に渡した。感心して見とれていたが、「もう一度若狭屋さんに行って30両びた一文まからないからと見せておいで。それでも、負けろと言ったら好きな所に行っても良いよ。お行き。」と息子に言い聞かせた。「その前に、お水を一杯ちょうだい。後の半分をお前もお飲み。では、行ってらっしゃい。」
言い過ぎた事を謝る若狭屋に観音像を見せた。おっかさんに町で会ったとき「一品ぐらいは残っていないのですかと聞いたら、『全て食べ物に変わってしまった』と下を向いてしまった。ゲスな事を聞いたと思ったが、やはり残っていたんだな。素晴らしい観音だがお前には分からないだろうな。で、いくらなんだ。」、「30両びた一文まからないんです。」、「30両の前を聞き逃してしまったが。何百30両なんだ。え!ただの30両か。言い換えるなよ。おっかぁ、30両早く出せ。ところで、お前はつまらない野郎だな、オヤジの30両ばかりの金で泣いていやがる」。「それは私がこさえました」、「馬鹿野郎!一番言ってはいけない事を今言ったんだぞ。根性も曲がってしまったんだな。・・・(裏の銘を見て)どうして、これが出来たんだ」。「あの日帰って、親に話すと形見を彫ってくれと言われたので彫った。少しでもマズかったら死んでも良いと言われ、心魂込めて彫ったのがこの観音様です」。「オヤジの作品だと思って話していたが、間違っていた事は謝る。必死になって彫ればオヤジと同じように魂の入ったものが出来るんだ。道具屋仲間にも自慢できるよ。おっかさんの目利きも凄いが、どうしている? え!?水を、半分ずつ飲んで出掛けてきた? 馬鹿野郎、それは水杯ではないか。すぐ帰れ」
とって返した自宅は内から戸が釘打ちされていた。中にはいると線香の煙の中で、九寸五分で手首を切って倒れていた。「おっかさん、本当は売れないと思っていたんでしょう。若狭屋さんはおとっつぁんのと間違えて買ってくれました。おっかさ~ん。おっかさぁ~~ん」。心が届いたものか、手当がよかったのか一命は取り留めた。
あるんですねぇ、ある時を境に上手くなる時が。
名人矩随が出た、との噂で浜野の家の前に道具屋の行列が出来たが、「私の作品は若狭屋さん以外納めませんから」との事で、若狭屋にお客が集中した。
お客の中には「どんな彫り損じでも良いから」とねだる者も出て、初期の作品の3本足の馬や河童狸もミカン箱から売れていった。
名人に二代無いと言われたが、浜野の二代は名人の称号を欲しいままにした。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
不明
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『怠らで行かば千里の果ても見ん、牛の歩みの仮令(よし)遅くとも』
【語句豆辞典】
【浜野矩隨】 江戸後期に始まり3代続いた彫金家。
【腰元彫り】「腰元」という言葉は身のまわり、特に腰の回りというような意味で、そこから身辺の世話をする侍女を”腰元”とよんだり、刀剣の付属品を意味するようになった。腰元彫りは刀剣装飾品を彫刻すること、刀剣の付属用品を製作することをいう。鉄・真鋳・銅などを加工するため、彫金術に長けていなければならなかった。
【根付け】煙草入れなどの紐の先に付ける抜け留めのアクセサリー。それが根付け。動物、人間、花等々有りとあらゆる物がある。現代流に言えば、携帯電話のストラップ。
【水盃・水杯(みずさかずき)】酒ではなく、水を互いに入れ合って飲む別れの杯。再会を予期できない時などにする。
【この噺を得意とした落語家】
・五代目三遊亭圓楽
・五代目古今亭志ん生
・三代目古今亭志ん朝
【落語豆知識】
【抜く】出番を欠席すること。
この噺はもともと講談ネタ、後に講釈師のみならず噺家も演じるようになった。
初代三遊亭円右・五代目古今亭志ん生・五代目一龍斎貞丈そしてNHKの番組、お笑い三人組で有名になり、後元参議院議員になった一龍斎貞鳳などが十八番にした。
また『名人長二』『中村仲蔵』『抜け雀』『左甚五郎』などとともに、晩年の志ん生が好んで演じた“名人もの”のひとつ。
【あらすじ】
江戸は寛政年間、浜野矩康(のりやす)という腰元彫りの名人がいた。その名人が亡くなって奥様と一人息子の矩随が残された。先代の時は浜野家の前に道具屋が列をなしたと言うが、息子の代になって誰も相手にしなくなった。それは矩随の作がヘタで作品と言われる以前の問題であった。しかし、一人、芝神明の”若狭屋甚兵衛”だけは先代に世話になったからと息子の作品をどんなものでも1分(いちぶ)で買い上げた。
今朝も若駒を彫ってきたと言うが3本足であった。眠気が来て足1本を彫り落としてしまったという。その心魂に呆れ、若狭屋は言いたくない事ではあったが言った。「ミカン箱に13箱こんなゴミ作品ばかり溜まっている。河童狸は頭に皿を乗せているが、下は狸だ。小僧達はこれを見て笑っている。下手な作品を作るくらいなら死んだ方がイイ。これからは縁を切るから5両の金を渡す。これで以後ここの敷居を二度とまたぐんではないぞ。死に方が分からなければ表に出て左に行きな。吾妻橋から身を投げな。それが出来なければ、右に行くと芝増上寺に出る。そこの門前に枝振りの良い松がある。その松で首をくくんな。ぼんやりした顔をしてないで帰んな」。
家に帰り伊勢詣りに行くからと嘘をついたが、母はお見通しで、若狭屋さんの一件を聞き出した。母親は「死にたければ死んでも良いが、最期に私に形見を彫って欲しい」と観音様を所望した。
裏に出て井戸の水をあび、仕事場に入り仕事を始めた。隣では母親が神頼みの念仏を唱えていた。4日目の朝、出来た観音を母親に渡した。感心して見とれていたが、「もう一度若狭屋さんに行って30両びた一文まからないからと見せておいで。それでも、負けろと言ったら好きな所に行っても良いよ。お行き。」と息子に言い聞かせた。「その前に、お水を一杯ちょうだい。後の半分をお前もお飲み。では、行ってらっしゃい。」
言い過ぎた事を謝る若狭屋に観音像を見せた。おっかさんに町で会ったとき「一品ぐらいは残っていないのですかと聞いたら、『全て食べ物に変わってしまった』と下を向いてしまった。ゲスな事を聞いたと思ったが、やはり残っていたんだな。素晴らしい観音だがお前には分からないだろうな。で、いくらなんだ。」、「30両びた一文まからないんです。」、「30両の前を聞き逃してしまったが。何百30両なんだ。え!ただの30両か。言い換えるなよ。おっかぁ、30両早く出せ。ところで、お前はつまらない野郎だな、オヤジの30両ばかりの金で泣いていやがる」。「それは私がこさえました」、「馬鹿野郎!一番言ってはいけない事を今言ったんだぞ。根性も曲がってしまったんだな。・・・(裏の銘を見て)どうして、これが出来たんだ」。「あの日帰って、親に話すと形見を彫ってくれと言われたので彫った。少しでもマズかったら死んでも良いと言われ、心魂込めて彫ったのがこの観音様です」。「オヤジの作品だと思って話していたが、間違っていた事は謝る。必死になって彫ればオヤジと同じように魂の入ったものが出来るんだ。道具屋仲間にも自慢できるよ。おっかさんの目利きも凄いが、どうしている? え!?水を、半分ずつ飲んで出掛けてきた? 馬鹿野郎、それは水杯ではないか。すぐ帰れ」
とって返した自宅は内から戸が釘打ちされていた。中にはいると線香の煙の中で、九寸五分で手首を切って倒れていた。「おっかさん、本当は売れないと思っていたんでしょう。若狭屋さんはおとっつぁんのと間違えて買ってくれました。おっかさ~ん。おっかさぁ~~ん」。心が届いたものか、手当がよかったのか一命は取り留めた。
あるんですねぇ、ある時を境に上手くなる時が。
名人矩随が出た、との噂で浜野の家の前に道具屋の行列が出来たが、「私の作品は若狭屋さん以外納めませんから」との事で、若狭屋にお客が集中した。
お客の中には「どんな彫り損じでも良いから」とねだる者も出て、初期の作品の3本足の馬や河童狸もミカン箱から売れていった。
名人に二代無いと言われたが、浜野の二代は名人の称号を欲しいままにした。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
不明
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『怠らで行かば千里の果ても見ん、牛の歩みの仮令(よし)遅くとも』
【語句豆辞典】
【浜野矩隨】 江戸後期に始まり3代続いた彫金家。
【腰元彫り】「腰元」という言葉は身のまわり、特に腰の回りというような意味で、そこから身辺の世話をする侍女を”腰元”とよんだり、刀剣の付属品を意味するようになった。腰元彫りは刀剣装飾品を彫刻すること、刀剣の付属用品を製作することをいう。鉄・真鋳・銅などを加工するため、彫金術に長けていなければならなかった。
【根付け】煙草入れなどの紐の先に付ける抜け留めのアクセサリー。それが根付け。動物、人間、花等々有りとあらゆる物がある。現代流に言えば、携帯電話のストラップ。
【水盃・水杯(みずさかずき)】酒ではなく、水を互いに入れ合って飲む別れの杯。再会を予期できない時などにする。
【この噺を得意とした落語家】
・五代目三遊亭圓楽
・五代目古今亭志ん生
・三代目古今亭志ん朝
【落語豆知識】
【抜く】出番を欠席すること。