追憶 [日本語訳付き] バーブラ・ストライサンド
・製作年 1973年
・製作国 アメリカ合衆国
・原題 The Way We Were
・監督 シドニー・ポラック
・脚本 アーサー・ローレンツ
・音楽 マーヴィン・ハムリッシュ
・撮影 ハリー・ストラドリング・ジュニア
・出演 バーブラ・ストライサンド、ロバート・レッドフォード、ロイス・チャイルズ
・ストーリー
1937年の春、ケイティー(バーブラ・ストライサンド)とハベル(ロバート・レッドフォード)の2人は、大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの生き方はまったく違っていた。
やがて、学生たちは卒業し、各方面に散っていった。
第2次世界大戦中のニューヨークで、ケイティーとハベルは偶然、再会した。
ハベルは海軍大尉だった。
2人は急速に親しくなり、アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが、ケイティーの政治への興味は尽きず、積極的な活動家として活躍し、ハベルはそんなことに興味を持たなかった。
除隊したハベルとケイティーは結婚した。
彼女はハベルに創作を促し、著作に多くの助言を与えた。
だが、ケイティーはハベルの大学時代の友人たち、キャロル・アン(ロイス・チャイルズ)、J.J(ブラッドフォード・ディルマン)夫婦を好きになれなかった。
ケイティーとハベルは40年代の終わりハリウッドに移った。
ようやくハベルの脚本が売れ出し、映画脚本家・小説家として有名になっていった。
そして、ハベルの小説をプロデューサーのJ.Jが映画化する。
収入も安定してきて、ケイティーが妊娠した。
生活は平和そのものだったが、それは永くは続かなかった。
ハリウッドにも共産主義者狩のマッカーシズムが荒れ狂い始めたのだ。
ケイティーは反マッカーシズム運動に力を入れたが、創作に自信を喪失したハベルはマッカーシズムの嵐から身を避けようと考えた。
そのためにはケイティーと離れ、元恋人のキャロルと近づくことが有利だった。
ケイティーはハベルとキャロルの関係を知って別れることを考え始めた。
別れることによって、ハベルがブラック・リストからはずされるかもしれない。
ケイティーは離婚を申し出た。
そして、2人は子供が生まれた後、離婚した。
50年代初め、ケイティーがニューヨークで“原爆禁止”の署名を集めているとき、ハベルに離婚以来初めて会った。
彼女はなつかしさのあまり、ハベルに近づいた。
だが、1度切れた絆はつながらない。
ケイティーは再婚していたし、ハベルは脚本家として一応の成功を収めていた。
2人は、お互いの元気な姿を確かめ、いたわるように抱き合った。
過ぎ去った愛の時が2人の胸に去来した。
・製作年 1973年
・製作国 アメリカ合衆国
・原題 The Way We Were
・監督 シドニー・ポラック
・脚本 アーサー・ローレンツ
・音楽 マーヴィン・ハムリッシュ
・撮影 ハリー・ストラドリング・ジュニア
・出演 バーブラ・ストライサンド、ロバート・レッドフォード、ロイス・チャイルズ
・ストーリー
1937年の春、ケイティー(バーブラ・ストライサンド)とハベル(ロバート・レッドフォード)の2人は、大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの生き方はまったく違っていた。
やがて、学生たちは卒業し、各方面に散っていった。
第2次世界大戦中のニューヨークで、ケイティーとハベルは偶然、再会した。
ハベルは海軍大尉だった。
2人は急速に親しくなり、アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが、ケイティーの政治への興味は尽きず、積極的な活動家として活躍し、ハベルはそんなことに興味を持たなかった。
除隊したハベルとケイティーは結婚した。
彼女はハベルに創作を促し、著作に多くの助言を与えた。
だが、ケイティーはハベルの大学時代の友人たち、キャロル・アン(ロイス・チャイルズ)、J.J(ブラッドフォード・ディルマン)夫婦を好きになれなかった。
ケイティーとハベルは40年代の終わりハリウッドに移った。
ようやくハベルの脚本が売れ出し、映画脚本家・小説家として有名になっていった。
そして、ハベルの小説をプロデューサーのJ.Jが映画化する。
収入も安定してきて、ケイティーが妊娠した。
生活は平和そのものだったが、それは永くは続かなかった。
ハリウッドにも共産主義者狩のマッカーシズムが荒れ狂い始めたのだ。
ケイティーは反マッカーシズム運動に力を入れたが、創作に自信を喪失したハベルはマッカーシズムの嵐から身を避けようと考えた。
そのためにはケイティーと離れ、元恋人のキャロルと近づくことが有利だった。
ケイティーはハベルとキャロルの関係を知って別れることを考え始めた。
別れることによって、ハベルがブラック・リストからはずされるかもしれない。
ケイティーは離婚を申し出た。
そして、2人は子供が生まれた後、離婚した。
50年代初め、ケイティーがニューヨークで“原爆禁止”の署名を集めているとき、ハベルに離婚以来初めて会った。
彼女はなつかしさのあまり、ハベルに近づいた。
だが、1度切れた絆はつながらない。
ケイティーは再婚していたし、ハベルは脚本家として一応の成功を収めていた。
2人は、お互いの元気な姿を確かめ、いたわるように抱き合った。
過ぎ去った愛の時が2人の胸に去来した。