日本男道記

ある日本男子の生き様

室津(ニ)1

2024年10月22日 | 土佐日記


【原文】 
十七日。
曇れる雲なくなりて、暁月夜、いとおもしろければ、船を出だして漕ぎ行く。
このあひだに、雲の上も、海の底も、同じごとくになむありける。むべも、昔の男は、「棹は穿つ波の上の月を、船は圧ふ海の中の空を」とはいひけむ。聞き戯れに聞けるなり。
また、ある人のよめる歌、
水底の月の上より漕ぐ船の棹にさはるは桂なるらし
これを聞きて、ある人のまたよめる、
かげ見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき

【現代語訳
十七日。
曇っていた雲もなくなり、夜明け前の月夜がとても美しいので、船を出して漕いで行く。
このときは、雲の上にも、海の底にも月が輝いて同じようであった。
なるほど、昔の男は、「棹は穿つ波の上の月を、船は圧う海の中の空を(船の棹は雲の上の月を突き、船は海に映った空を圧えつけている。)」とはよく言ったものだ。
女である私は漢詩がよくわからぬままにいい加減に聞いたのである。(だから間違っているかもしれない)
また、ある人が詠んだ歌は、
水底の月の上より…
(水底に映っている月の上を漕いで行く船の棹に触るのは月に生えているという桂なのだろう)
この歌を聞いて、また、ある人が詠んだ歌は、
かげ見れば…
(月の影を見ると、波の底にも空が広がっているみたいだ。その上を船を漕いで渡っていく自分はちっぽけでわびしいものであった)


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

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