【原文】
さて、十日あまりなれば、月おもしろし。船に乗り始めし日より、船には紅濃く、よく衣着ず。それは、海の神に怖ぢてといひて、何の葦蔭にことづけて、老海鼠のつまの貽鮨、鮨鮑をぞ、心にもあらぬ脛にあげて見せける。
十四日。暁より雨降れば、同じところに泊まれり。
船君、節忌す。精進物なければ、牛時より後に、梶取の昨日釣りたりし鯛)に、銭なければ、米をとりかけて、落ちられぬ。
かかること、なほありぬ。梶取、また鯛持て来たり。米、酒、しばしばくる。梶取、気色悪しからず。
十五日。今日、小豆粥煮ず。口惜しく、なお日の悪しければ、ゐざるほどにぞ、今日、二十日あまり経ぬる。いたづらに日を経れば、人々、海を眺めつつぞある。
女の童のいへる、
立てばたつゐればまたゐる吹く風と波とは思ふどちにやあるらむ
いふかひなき者のいへるには、いと似つかはし。
【現代語訳】
さて今夜は十日過ぎのことですから月が美しい。 船に乗り始めた日から、船中では、女たちは紅の濃い、いい着物を着ていない。 それは、海の神に魅入られるのを恐れてというわけだが、今はなに、かまうものかと頼りない葦の陰にかこつけて、ほやに取り合わせる貽貝(いがい)の鮨(すし)(男性器の象徴)や、鮨鮑(女性器の象徴)を、思いもかけぬ脛まで高々とまくりあげて海神に見せつけたのであった。 十四日。明け方から雨が降ったので同じところに停泊している。 船主が節忌(精進潔斎)をする。(とはいえ船の中なので)精進物が無いので午前中で取りやめにし、十二時より後に船頭が昨日釣った鯛を、お金が無いので、手持ちの米を代金の代わりに船頭に与えて、精進落ちをなさった。 このようなことが、何度かあった。船頭がまた鯛を持ってきた。その都度米や酒を与えた。それで船頭は機嫌がいいのだ。 十五日。今日は小豆粥を煮る日だったが小豆がないので取りやめにした。口惜しいうえに、天気が悪く、船が進まないでいるうちに、今日で、二十日ほど経過してしまった。 無為に日を過ごしているので、人々は、ただ、海を眺めて、思いに耽るばかりであった。 幼い女の子が次のように歌を詠った。 立てばたつ… (風が立てば波も立ち、風がおさまれば波もおさまる風と波とは仲良し友達なのかしら) 言うに足りない幼い者の言った歌としては、とても似つかわしい。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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