阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

まだ介護保険が始まる前の頃に93歳と88歳の親の介護をする話  佐江衆一著「黄落」を読んだ

2019年08月06日 | 乱読は楽しい
黄落とは木の葉や果実が黄色に色づいて落ちること。秋の季語。「黄落期」 秋》

 まだ介護保険が始まる前の時代に年老いた親の介護をする話。発行された1995年にも読んだので二度目の読み直しだったが新鮮だった。
間もなく還暦を迎える夫婦が老親二人の世話し、先に母親が亡くってまた父親の介護を続ける。当時のベストセラー小説だったそうだ。
 懸命に毎日毎日朝から晩まで義理の親を世話をする妻のなにげない言葉や動作が、じょじょに夫の心の中をかき混ぜていく。
 そしてついに苛立ちと怒りが溜りにたまり、ある日夫は妻に離婚話を切り出す。

またもや傷つく妻。三人の子供たちや夫の姉と妹、親族との介護のやりとりなども。

読んでいくと時に夫に、時に妻に感情移入していく。二人は感情を態度に表したり言葉にしてぶつけたりしながらも介護を続けていく。
母親のおむつを替える夫の心理、妻に対する感謝の数々・・。どうしてここまで精密に描けたのだろう。
 
言葉として言い表せないことを、小説家は豊かに正確に言葉として紡いでいく。

 なぜ母は死期を迎えた時、なんども父の首を絞めたのか。
母親の生涯の父への恨みかと思わせて、実はあとの面倒をみるしかなくなる夫婦への思いやりかと思わせる箇所では思わず本をいったん閉じた。

 余談ながら女優の沢村貞子さんは、自らの意志で日々の食べ物を摂る事をやめてしばらくして静かにこの世の舞台から姿を消した。

気になって沢村さんの亡くなった年を調べたらこの本が出版された翌年の1996年だった。
読書好きだった沢村さんは間違いなくこの小説「黄落」を読まれたなと思った。
  • 単行本: 283ページ
  • 出版社: 新潮社 (1995/05)

出版社のサイトから:還暦間近の夫婦に、92歳の父と87歳の母を介護する日がやってきた。母の介護は息子夫婦の苛立ちを募らせ、夫は妻に離婚を申し出るが、それは夫婦間の溝を深めるだけだった。やがて母は痴呆を発症し、父に対して殺意に近い攻撃性を見せつつも、絶食し自ら命を絶つ。そして、夫婦には父の介護が残された……。自らの体験から老親介護の実態を抉り出した、凄絶ながらも静謐な佐江文学の結実点。

佐江衆一 サエ・シュウイチ

1934年、東京生まれ。コピーライターを経て1960年、短篇「背」で作家としてデビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、ドゥマゴ文学賞を受賞した『黄落』は、著者自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーになった。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞を受賞。他の著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『士魂商才――五代友厚』『長きこの夜』『動かぬが勝』等。『エンディング・パラダイス』は、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』に続く、昭和戦争三部作の最後の作品となる。古武道杖術師範。

現在は文庫本で読めます。

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<つなぐ 戦後74年>核廃絶 日本が主導を 広島原爆の日 世界に軍縮促す 「平和への誓い」全文

2019年08月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

 ◆「平和への誓い」全文

 私たちは、広島の町が大好きです。

 ゆったりと流れる川、美しい自然、「おかえり」と声をかけてくれる地域の人、どんなときでも前を向いて生きる人々。広島には、私たちの大切なものがあふれています。

 昭和20年(1945年)8月6日。

 あの日から、血で染まった川、がれきの山、皮膚がはがれた人、たくさんの亡きがら、見たくなくても目に飛び込んでくる、地獄のような光景が広がったのです。

 大好きな町の「悲惨な過去」です。

 被爆者は語ります。「戦争は忘れることのできない特別なもの」だと。

 私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい。

 「悲惨な過去」を「悲惨な過去」のままで終わらせないために。

 二度と戦争をおこさない未来にするために。

 国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。

 みんなの「大切」を守りたい。

 「ありがとう」や「ごめんね」の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること。

 自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。

 大好きな広島に学ぶ私たちは、互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。

 意志をもって学び続けます。

 被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。

  令和元年(2019年)8月6日

 子ども代表

  広島市立落合小学校6年 金田秋佳(しゅうか)

  広島市立矢野小学校6年 石橋忠大(ただひろ)

(東京新聞)

 

 広島は六日、被爆から七十四年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では午前八時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長は平和宣言で、日本が参加していない核兵器禁止条約への署名・批准を政府に促し、戦争で核兵器を使用された経験がある唯一の国として核廃絶実現へ一層の指導力を発揮するよう求めた。

 

 松井市長は昨年の平和宣言では条約批准について踏み込まなかった。今年は「核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい」と表明。条約が発効に至っていないことを踏まえ、世界の為政者に核軍縮促進と発効に向け努力するよう呼び掛けた。

 

 この一年間に亡くなったり、死亡が確認されたりした五千六十八人の名前を加えた原爆死没者名簿が式典で原爆慰霊碑の石室に納められた。記帳された被爆死没者総数は三十一万九千百八十六人となった。被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は今年三月末時点で十四万五千八百四十四人。平均年齢は八二・六五歳と高齢化が進む。

 

 約五万人の参列者は「平和の鐘」が響き渡る中、原爆投下時刻の八時十五分に黙とうをささげた。広島市の小学生から選ばれた子ども代表で、いずれも六年生の金田秋佳(しゅうか)さん(11)と石橋忠大(ただひろ)君(11)が「平和への誓い」を宣言した。

 

 海外からは八十九カ国と欧州連合(EU)の代表が参列。核保有五大国は中国以外の米英仏ロが出席した。事実上の核保有国のパキスタンとイスラエルは出席。核拡散防止条約(NPT)不参加のインドは欠席した。

 

 国連の軍縮担当上級代表の中満泉事務次長がグテレス事務総長のメッセージを代読し「何十年にもわたり世界をより安全にしてきた軍縮や軍備管理制度を疑問視する声が聞こえ始めている」と警鐘を鳴らした。田上富久長崎市長も出席した。


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東京新聞:被爆から74年、広島で平和式典 核禁止条約、批准訴え

2019年08月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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