実作者が、なぜ、どうやって自分は小説を書いているのかを聴衆に話している。それをまとめた読み易い本だった。
創作された作品を読む人間は、そのように作られた書き物を読んでいるんだと頷きながら読み終わった。
そして「あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、悲しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、現実を物語にして自分のなかに積み重ねていく。そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。」という箇所に出会って、ああそうなんだそれでいいんだと、安心した。それがこの本を読んだ一番のキーだった。
彼女はまた言う⇒「物語というのはそこかしこにあるのです。人間すべての心の中にある。記憶のなかにある。誰でも生きている限り、かたわらに自ら作った物語を携えている」「作家の頭のなかの空想とか、妄想から生まれるのではなく、現実のなかに隠れている」「その物語は語られるのを待っていて、それを私が見つけただけなんです」「物語とはまさに、普通の意味では存在し得ないもの、人と人、人と物、場所と場所、時間と時間等々の間に隠れて、普段はあいまいに見過ごされているものを表出させる器ではないでしょうか」「あいまいであることを許し、むしろ尊び、そこにこそ真実を見出そうとする。それこそが物語です」
「ときどき自分は人類、人間たちのいちばん後方を歩いているなという感触を持つことがあります」「先を歩いている人たちが、人知れず落としていったもの、こぼれ落ちたもの、そんなものを拾い集めて、落とした本人さえ、そんなものを自分が持っていたと気づいていないような落とし物を拾い集めて、でもそれが確かにこの世に存在したんだという印を残すために小説という形にしている。そういう気がします」
たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。
数学者が、偉大な何者かが隠した世界の秘密、いろいろな数字のなかにこめられた、すでにある秘密を探そうとするのと同じように、作家も現実のなかにすでにあるけれども、言葉にされないために気づかれないでいる物語を見つけ出し、鉱石を掘り起こすようにスコップで一所懸命掘り出して、それに言葉を与えるのです。自分が考えついたわけではなく、実はすでにそこにあったのだ、というような謙虚な気持ちになったとき、本物の小説が書けるのではないかという気がしています。
構成
第1部 物語の役割(藤原正彦先生との出会い;『博士の愛した数式』が生まれるまで;誰もが物語を作り出している ほか)
第2部 物語が生まれる現場(私が学生だったころ;言葉は常に遅れてやってくる;テーマは最初から存在していない ほか)
第3部 物語と私(最初の読書の感触;物語が自分を救ってくれた;『ファーブル昆虫記』―世界を形作る大きな流れを知る ほか)
小川 洋子
オガワ ヨウコ
1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。その後も様々な作品を通じて、私たちを静謐な世界へと導いてくれている。著書に『冷めない紅茶』『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの日記』『偶然の祝福』『まぶた』『博士の愛した数式』『ブラフマンの埋葬』『世にも美しい数学入門』(藤原正彦氏との共著)『ミーナの行進』(谷崎潤一郎賞受賞)などがある。