阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

昭和50年代の海外あちこち記  その10 韓国篇         昭和53年 朴大統領が製鉄所の式典に出席した。

2023年01月29日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1978年(昭和53年)11月、韓国の浦頂に出張しました。

韓国出張は浦頂製鉄所の竣工式セレモニーに出席の役員に随行など、2泊3日の出張を含めれば、10回以上の回数になります。

 随行の仕事は、どうしても新米の貿易部員にまわってきます。

役員のお供で浦頂製鉄所の操業が始まって間もない頃の何かの現地式典に行きました。この式典に故 朴正煕大統領が出席することになりました。

 其の日の数日前から浦頂の町は警備の人間の方が多いと思えるくらいの厳戒体制に入りました。

ソウルの青瓦台にある大統領府を北朝鮮の潜入ゲリラが襲ったりした頃で、北のテロ、破壊活動を警戒して市民の夜間外出禁止令が継続されていた時代です。

 軽機関銃を入れたような箱を抱えた目付きの鋭い人間や、戦闘服をきた警護隊員が威圧的に徘徊していましたが、

外国人は指示有るまでホテルから出るなと言われていたので、そうっと窓から見ただけで詳しいことはわかりませんでした。

浦頂の町は無論、製鉄所の構内すべてに空気が凍ったような緊張感がみなぎり、不審者は誰何(すいか)なしに射殺されると言われ、

気楽なお供の出張やと思ってやってきた是一個的能天気日本会社員のボクとしては大いに焦りました。

 巷の噂では空からヘリ、海からフリゲート艦、陸から装甲車の、どのルートで現地入りするかは当日の朝少数の人にだけ知らされるということで、

どのルートで来ても警護出来るように3倍の体制が敷かれているということでした。いつもは随行者も式場に入場の許可が出るのですが、

この時は役員だけの参加許可だったので後で伺うと、時間寸前に会場に大統領を乗せた武装ヘリが降り立った、とのことでした。

不謹慎ながらゴルゴサーテイーンの劇画の中に身を置いたような気がしました。

  当時のこの国営製鉄所の経営幹部は殆ど前身が韓国軍の将官、士官で固められており、厳しい規律で建設、運営がなされていました。

北に対して太陽政策が取られる時代が来るなど誰も想像もせず、朴大統領のカリスマ性のもとで、ひたすら強国化のための重工業インフラ整備に邁進していた時代です。

 その後、これらの建設で国家からバックアップされ資本を蓄積した現代など8大財閥の興隆時代があり、大発展時代あり
バブル没落がありと

隣国の変化も日本にまけず、大変なスピードで移り変わっています。

 韓国料理が大好きだからという訳だけではなく、この見た目は同じでも、ここまで違うかと言うこの隣国には(あのタフな連中と少しくお付き合いをしただけに)、

関心をずっと持ち続けています。ただ中国、台湾の町であれば看板を見れば何の店かわかるのに、韓国では看板は全てハングルですから、わからないのが困ります。

   ( 2000年 記)

 画像はネットから引用。

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駒込の「六義園」と両国駅周辺                   10年前の今日 2013年1月29日の本ブログに掲載  

2023年01月29日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

名前は知っていましたが、『六義園』が駒込にあることは知りませんでした。

 『六義園』は幕府時代は側用人・柳沢吉保の屋敷でしたが、明治初年の混乱期に、三菱グループの創始者である岩崎弥太郎が手に入れた12万坪の広大な土地の一部が、

現在『六義園』になっています(いるそうです)。

大きなしだれ桜の木がありました。この日は大雪のあとの整備とかで歩ける範囲が制限されていました。


明治維新により、前政権時代の高官の個人所有物を、新政府に出入りする元土佐藩諜報担当の下士だった商人が入手する。

いま、その土地に立つと、確かに明治維新と言われる幕府崩壊は、勝ち組の下級武士たちにとっては、下剋上のある種の階層革命だったと実感します。


 六義園を出ても新年会の時間まで余裕が出来たので、先に今夜の宿である両国のホテルにチエックインすることにしました。

昼食がまだだったので、両国に来て時間があれば必ず寄る、立ち食い蕎麦の「文殊」でかき揚げ蕎麦を食べてから有楽町に向かいました。

東京神田で勤務した13年間、週に2,3回は食べていたからか、醤油味が濃い東京の立ち食い蕎麦の出汁に慣れて、

今回もおいしく食べました。この店はオーダーを受けてから客に出すまでのルーティンがしっかり守られていて、

旨さのレベルが高く維持されています。この店を目指してきたらしい隣席の中年山ガールも、リュックを下してじっくり味わって食べていました。

 御茶ノ水駅西口の『明神そば』もそうですが、店員の手際がいい店は手順が守られていておいしい蕎麦を出します。

両国駅のホームからもスカイツリーが見えました。

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世相川柳は狂歌の心意気を継ぐ!

2023年01月29日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 2010年10月09日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

檀家行く時には乗らぬ高級車             生駒 鹿せんべ

齢(とし)聞かれ「おまかせします」言った妻    中間  西幸子

くわしくはウェブでというふるい分け         竜ケ崎 とりうみ

     =いずれも毎日新聞web「万能川柳」から=

   狂歌(きょうか)とは、社会風刺皮肉滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌和歌)。Wikipedia。

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2023年01月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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