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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

新中川橋を渡って路傍の菜の花や水仙を見て銚子丸へ行きました。

2023年01月13日 | 食べる飲む

図書館に行った足で京葉道路を歩いて 亀戸10丁目の「銚子丸」で遅いランチにしました。

 途中、新中川橋の上からオオサギ・コサギやカヌーを見たり マンション前の花々を楽しみました。菜の花の鮮やかな黄色が印象的でした。

 

 

  

 

 

 

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神戸市東灘区の住吉川を河口まで歩く           14年前の今日 2009年1月13日の本ブログに掲載

2023年01月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

1960年代、神戸市が神戸株式会社と囃されていた頃のこと、神戸市は住吉川の上流に「渦が森団地」を造成しました。

造成の為大量に掘削された土砂の輸送方法がユニークでした。

海中に造成された「ポートアイランド」や「六甲アイランド」の埋め立て用土砂は、六甲山の西部から切りだされましたが、

土砂は須磨海岸まで長距離地下コンベヤー方式で輸送されました。市街地、国道2号線、JR、山陽電車が走る狭いゾーンを直角に横切る24時間稼動の道路を作るのは

物理的、社会的に不可能だったからです。須磨海岸でプッシャーバージに積み込まれた土砂は造成予定地に運ばれ、船底を開いて24時間土砂を海中に投下しました。

 「渦が森団地」の掘削された土砂はその方式を取らずダンプカーで運ばれました。地下トンネル建設のコストよりはるかに安価に土砂を輸送することが出来たそうです。

つまり住吉川の河川敷の両側にダンプ専用の道路を作り、片側は満載したダンプ、もう片側は空荷のダンプが走る。

信号も踏み切りもない一方通行の道路をダンプが疾走したもんです。そのダンプ専用道路が今は「ジョギングロード」として開放されています。

ジョギングをする人、散歩する人、犬の散歩を日課でする人で賑わっています・・ということに先日「白鶴美術館」へ20年ぶりくらいに行ったとき気が付きました。

そこで昨日初めてこの道を上流から歩いて見ました。
上の画像は下流方面。
こちらは上流方面。

この真下をJR神戸線が走っています。四日市の港中学で地理の時間に、豊田先生から習った「川には天井川という川があって、

鉄道線路の上を流れる川もある、この写真は神戸の住吉川やわさ」というその場所に自分が立っているのも面白いことです。

道は国道2号線の下も通っていきます。

川の中を良く見るとメダカなどの小魚が沢山泳いでいましたが、そのせいかこんな鳥もいました。

しばらく歩くと「六甲ライナー」の駅が右上に、正面には阪神魚崎駅が見える場所にきました。

車の心配もなく歩く人、走る人、水辺で遊ぶ人、沢山の人が楽しんでいました。

河口を望む。右の六甲ライナーは無人で運転されていて、JR住吉駅を起点に阪神電車魚崎駅と交わりここから六甲アイランドへ向かいます。正面の高架橋は「阪神高速湾岸線」



喉が渇いたのとトイレを探したかったので、通行中の同じ年恰好の男性に声をかけました。

近くに公衆トイレはないがここから500mほど東に歩けばホームセンターがありますよ、私はそこを時々借りてますとと教えてくれました。

住吉川の橋から左に歩きだすと酒蔵のような建物がありました。

「剣菱酒造」の蔵でした。

そこを通り過ぎると見た事があるホームセンターと、その向かい合わせに大きなスーパーがありました。

そういえばここにはかなり前に車で通りかかったことがある、と思い出しました。住吉川河口と位置関係がこんなに近いと初めて今回知りました。

前回車で通りかかった頃は、造り酒屋の蔵が阪神淡路大震災で軒並み崩れ落ち、周囲はまだ整地されていない場所もありましたが、

今見ると跡地に大規模なマンションがずらっと立ち並び、当時を思い起こす風景はどこにもありませんでした。

ペットボトルを買ったスーパーは買い物客で溢れるくらい賑わっていました。数え切れないほどのマンションが建って、相当な人口集積がすすんでいるようです。 

 それにしても元日に立てた「1日1万歩を歩く」という“ちかい”のお陰で自分として歩いたことがないルートを見つけました。この日1日の漫歩計の数字は12793歩でした。

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民主党代表選の結果           2010年09月15日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2023年01月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年09月15日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

 代表選で小沢さんが破れ、菅さんが代表になって日本のこれからがどうなるかは、今後の民主党のお働きにゆだねるしかありませんが、

小澤さんが負けてくれたお陰で田中真紀子議員や興石議員など品性を感じられない面々が、もう表舞台に出なくなるのはありがたい。

しかし、アメリカの軍・産複合体と、その傘下の日本の官・報(官僚と報道機関)複合体の幹部たちが、小澤をつぶして祝杯を上げていると思うと、

日本がアメリカからの真の独立と官僚支配からの脱却の、最大のチャンスを逃したような気もしてなかなか割り切れません。

 2時間、通しで見た公開討論会での二人の人間力は小沢さんの方が上だった。政策遂行・現実化の方策の提示も小沢さんの方が納得性、現実性があった。

しかし、小沢さんを取り巻く重臣、側近と言われるベテラン、中堅の方々が共通して醸し出す「小沢組の組員たち」というあの雰囲気はなんだろう。
 
 この人たちが小沢さんの手足になって、大隊長、中隊長、小隊長として前線で日本をリードして欲しくない・・と思った。

内田樹さんが神戸新聞の電話取材で話したように、

「小沢氏には、地方への権限委譲と資源の配分、対米強硬姿勢による外交面での期待感があった。

菅政権が、そうした施策をどの程度引き受けることが出来るか。うまく取り込めれば、政権の安定も図れるのではないか」

まこと菅さんにはこの言葉を真っ向から受けとめて欲しい。

 ちなみに金正日、小泉純一郎、小澤一郎はみな昭和17年(1942年)生まれです。そういう意味で、小沢さんが新たに立つタイミングとしては、

流れと言うか勢いというか、時代感覚というか、微妙なズレがあったのかも知れない。

 長年国政に携わり、影響力を持ってきた政治家としての矜持があるなら、小沢さんはこれから小沢個人と子分のためではなく、

この列島の住民のために引き続き知恵を出し、汗をかいてもらいたい。

そして官・報複合体の力を削いでもらいたい。

 また、官・報複合体は今回、「くにたみ」の情報操作が成功したと驕らないで欲しい。これまでの近現代史で世論に乗った国の動きの結果は全て最悪で、

この列島のくにたみを一回も幸せにしていない。
 
 そしてネットメディアのこれからのますますの普及で、官僚と大手マスコミの世論操作のピークは、平成22年の民主党の代表選だった、と後世言われるようになって欲しい。

 【政治家の生涯は、幸福な時期に不慮の形で幕を閉じない限り、最後は不幸な結末を迎える。政治とは、そして人生とは、そういうものである。

----エノック・パウエル(20世紀イギリスの政治家)

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01月12日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年01月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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