第一講 キャリアは他人のためのもの 第二講 マスメディアの嘘と演技 第三講 メディアと「クレイマー」 第四講 「正義」の暴走 第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」 第六講 読者はどこにいるのか 第七講 贈与経済と読書 第八講 わけのわからない未来へ
このブログでも時々紹介する内田樹さんの本。女子大生への教室での講義を元に作られている。
メデイア論に直接関係がない「第一講 キャリアは他人のためのもの」からしてもう引きこまれる。
「そもそも、最初から自分の適性や能力にあった仕事などはない」「自分探しをやっている暇があったら、仕事について、そこで自分は人に何を懇請されるかに気がついたらいい」などなど。
第2講から始まる本論のメディア論は、マスコミ業界人は読みたくない内容だと思う。
メディア衰退の原因はネットの普及やビジネスモデルではなく、情報を発信する側の“知的劣化”にあるというのは大いに頷ける。
これからも、情報操作マシーンの中で攪拌されながら生きていかなければならない自分としては、頭を整理して、身を整え、どんな戦闘モードを取ったらいいのかいいヒントをくれる本だ。
一部引用 『ネット上に反乱する口汚い罵倒の言葉はその典型です。僕はそういう剣呑なところにはできるだけ足を踏み入れないようにしているのですけれど、
たまに調べ物の関係で、不用意に入り込んでしまうことがあります。そこで行き交う言葉の特徴は、「個体識別できない」ということです。
「名無し」というのが、2ちゃんねるでよく用いられる名乗りですけれど、これは「固有名詞を持たない人間」という意味です。
ですから「名無し」が語っている言葉は「その発言に最終的に責任を取る個人がいない言葉」ということになる。
僕はそれはたいへん危険なことだと思います。攻撃的な言葉が標的にされた人を傷つけるからだけではなく、そのような言葉は、発信している人自身を損なうからです。
だって、その人は「私が存在しなくなって誰も困らない」ということを堂々と公言しているからです。
「私は個体識別できない人間であり、いくらでも代替者がいる人間である」というのは「だから、私は存在する必要のない人間である」という結論をコロラリーとして導いてしまう。』
○出版社/著者からの内容紹介
「街場」シリーズ第4弾、待望の新刊は「メディア論」!
おそらくあと数年のうちに、新聞やテレビという既成のメディアは深刻な危機に遭遇するでしょう。
この危機的状況を生き延びることのできる人と、できない人の間にいま境界線が引かれつつあります。
それはITリテラシーの有無とは本質的には関係ありません。コミュニケーションの本質について理解しているかどうか、それが分岐点になると僕は思っています。(本文より)
テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調----、未曽有の危機の原因はどこにあるのか?
「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、危機の本質を見極める。内田樹が贈る、マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン。
神戸女学院大学の人気講義を書籍化。
僕は自分の書くものを、沈黙交易の場に「ほい」と置かれた「なんだかよくわからないもの」に類すると思っています。
誰も来なければ、そのまま風雨にさらされて砕け散ったり、どこかに吹き飛ばされてしまう。
でも、誰かが気づいて「こりゃ、なんだろう」と不思議に思って手にとってくれたら、そこからコミュニケーションが始まるチャンスがある。
それがメッセージというものの本来的なありようではないかと僕は思うのです。(本文より抜粋)
○内容(「BOOK」データベースより) テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調―、未曾有の危機の原因はどこにあるのか?「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、
危機の本質を見極める。内田樹が贈る、マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン。神戸女学院大学の人気講義を書籍化。
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