文禄三年の文字がある石仏の上の方に歩き出すと大きな水車がありました。「灘目の水車」だそうです。江戸時代住吉川には最盛時88基もの水車があったそうです。
「JR住吉駅から、有馬道を北上すると山田会館裏に「山田太郎・次郎水車」が2基ある、この水車は水車産業が盛んだったころを再現し造られました。
六甲山地の南側を流れる住吉川は急流であるため古くから流域に水車業が発展し、明和7年(1770)油絞り株によって製油が幕府から認められると、
それまでの人力絞りを圧倒して水車産業は有力な産油地になりました。
『摂津名所図絵』には「名産灯油、葦屋、野寄、住吉、五毛、熊内の五村、山水を樋にして水碓を以てそれを製す」とあります。
少し前の登山地図には住吉川流域に四輌場・五輌場・八輌場などの地名が残っていました。」全文はこちら。
このまま上って行くと白鶴美術館がありますが、そろそろ疲れたという相方の声で道を左に取って歩いていくと、
この間も通りかかった旧武田邸、現在は武田薬品が所有者である「武田資料館」clickの前に出ました。
この近くにある「乾邸」clickはいまや貴重な戦前の洋風建築物ですが、相続税で神戸市に物納されたあと、取り壊されることになりました。
しかし民間有志の保存運動のおかげで何とか維持保存の方向にあるようです。
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