江戸川区の平井、小松川は荒川を隔てて江戸川区本体の飛び地のようになっている。 総武線の鉄橋の上はひっきりなしに電車が通る。
京葉道路まで堤を歩いた。
下町の平井には銭湯の煙突がいくつもある。保育園に行くまでにも立派な銭湯があった。
世相に「明るい兆し見える」 諏訪湖で御神渡り拝観式
02月06日(月)信濃毎日新聞
4季ぶりに出現した「御神渡り」を前に拝観式を執り行う八剣神社の関係者ら=6日午前8時50分、下諏訪町東赤砂
結氷した湖面がせり上がる「御神渡(おみわた)り」が4季ぶりに確認された諏訪湖で6日朝、氷の筋を最終決定する神事「拝観式」が行われた。御神渡りを記録する八剣神社(諏訪市小和田)は式の後、1683(天和3)年から伝わる「御渡(みわた)り帳」と今回の筋を照合。ことしの世相は「厳しい中だが明るい兆しが見える」、作柄は「中の上」と占った。
宮坂清宮司(61)をはじめ、しめ縄を肩から掛けた氏子総代ら約80人が午前7時40分すぎ、諏訪市渋崎の湖上で神事を始めた。この地点を、諏訪大社上社(諏訪市、茅野市)の男神が下社(諏訪郡下諏訪町)の女神の元へ通うために下りたとされる「下座(くだりまし)」と確認し、北の下諏訪町高浜に延びる筋を「一之(いちの)御渡り」と認定した。一連の様子を報道陣を含め約200人が見守った。
総代らはそこから西側の同市豊田まで湖上を約500メートル歩いて拝観。同市渋崎から岡谷市湊4の小坂観音近くを経由して同町東赤砂に至る筋を「二之御渡り」、さらに、下諏訪町との境に近い諏訪市湖岸通り1から南西に向かう筋を「佐久之御渡り」とした。
今冬の諏訪湖は最低気温が氷点下11度を続けて下回った1月末に全面結氷。立春の今月4日に御神渡り出現が判定された。同神社によると、2月の判定は1982(昭和57)年以来30年ぶり。
宮坂宮司は「氷上で拝観できてほっとした。社会、経済が良くなっていく兆しと受け止めたい」と話していた。
八釼神社 その1
八釼神社 その2(阿智胡地亭と神社との関わり)
○4年ぶり御神渡りの諏訪湖…今年の世相占う拝観式 2012年2月6日 09:00 スポニチ
湖面に張った氷がせり上がる「御神渡り」が4年ぶりに確認された長野県の諏訪湖で6日、氷の筋から今年の世相や農作物の出来、気象を占う「拝観式」が行われた。
神事をつかさどる地元の八剣神社の宮司や氏子らが、湖面で筋の位置を確認。おはらいして回った後、神社で過去の記録と照らし合わせ、今年の吉凶を占う習わしだ。
御神渡りは、湖面に張った氷が昼夜の寒暖の差で膨張と収縮を繰り返し、割れ目が盛り上がる自然現象で4日に確認された。諏訪湖南岸の諏訪大社上社の男神が、北岸にある下社の女神のもとへ通う道と伝えられる。
○4年間発生していないので、真正“御神渡り”かどうかの判定が甘くなっているきらいがあるのかも・・。
本来は20センチから1メーターにも達するのだが。
○画面の左に判定中の小和田地区の氏子と神官らしき人たちが。
3枚の画像の引用はこちらから。
こちら には経過を示す画像多数があります。
2012.01.29 ~ 2012.02.04
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串揚げを目指した「はん亭」は夜の部は5時開店で時間が早すぎて振られたので、アメ横のそのまた横丁で串揚げ屋を
探しました。なかなか見つけることが出来ず、最後の最後に「中国伝統串焼店」と言う看板の店が
目に入りました。Mさんも私も羊肉の串焼きに何の抵抗もありません、というかお互いに中国本土でも
その旨さを知っています。串揚げは別の機会にして店に入り串焼きを楽しみました。




しかも昨夜も紹興酒をたっぷり飲んだのに、またも紹興酒のボトルをオーダー。

歩きの先達は飲む食べるでも良きパートナーであります。店を出て上野駅まで歩き、上野駅で先達は高田馬場、
私は東京駅へと別れました。M先輩、一日たっぷりお付き合い頂きましてありがとうございました。

02月04日(土) 信濃毎日新聞
「御神渡り」の判定を前に、諏訪湖に張った氷の厚みを調べる八釼神社の関係者=4日午前7時7分、諏訪市豊田
諏訪湖の氷がせり上がる「御神渡(おみわた)り」の判定、記録を続ける八剣神社(諏訪市小和田)は4日朝、湖で亀裂による複数の氷の筋を確認し、「御神渡りができたと言える」と、4季ぶりに出現の判定をした。2月に入ってからの出現は1982(昭和57)年以来30年ぶり。
けさの諏訪の最低気温は氷点下9・1度。午前6時半ごろから同神社の総代ら関係者十数人が諏訪市、岡谷市、諏訪郡下諏訪町の湖周7カ所で氷の筋や厚さを見て回った。
筋は沖合で見えにくかったり所々途切れたりはしているものの、湖の南側、諏訪市豊田の舟渡川河口近くから、西側の岡谷市湊を経て北側の下諏訪町東赤砂に到達する筋など、数本のせり上がりを確認した。高さは10センチ前後。前回2008年の出現時の最高約20センチより低いが、今後の寒暖差などで大きくなる可能性もあるという。宮坂清宮司(61)は「出現の限界とみていた立春のきょう、ようやく確認できて本当にうれしい」と喜びを表した。
同神社は同日夜に緊急総代会を開き、筋の方向を最終決定する「拝観式」の日程を決める。式の後、過去の記録を記した「御渡(みわた)り帳」と照合し、農業の吉凶などを占う。
信濃毎日新聞から引用。
諏訪湖面に現れた氷のせり上がり。御神渡りへの成長が期待される=3日午前9時11分、岡谷市湊
氷点下13・9度と今季1番の冷え込みとなった諏訪湖で3日、湖面の氷がせり上がる「御神渡(おみわた)り」の兆候を、八剣神社(諏訪市小和田)の関係者が確認した。湖の西側、岡谷市湊の湖岸から弧を描くように同市長地権現町の横河川河口方向へ、最高で高さ約10センチの氷の筋が延びていた。同神社の宮坂清宮司(61)は「明日以降も筋が残って大きさを増せば、正式認定できるかもしれない」と、2008年1月以来4季ぶりの出現に期待している。
関係者は湖の南、諏訪市側でも複数の筋や亀裂を確認。連日監視を続ける同市豊田の沖合約200メートル地点の氷の厚さは10センチだった。
宮坂宮司は岡谷側の筋を御神渡りの「候補の一つ」とした上で「諏訪市側の亀裂と重なって『し』の字のような、いつもより遠回りの形になる可能性がある」と説明。氷の厚さにむらがあることから、氷上に出て見物しないよう呼び掛けている。
出現が正式に認定された場合、同神社はその日のうちに緊急総代会を開き、氷の筋を最終決定する神事「拝観式」の日程を決める。
すずらん通りは横目で見て、小川町を神田警察の方に向かいました。
「龍岡」は昼はすぐ横の東京電機大学の学生というよりは、近所のサラリーマン客が列を作っていたラーメン屋。
ボリュームはあったが、自分には味がぼけていたので、いつも今は移転した元の「四川一貫」に行っていました。

大正13年創業の「草土舎」は今も同じ場所で店を構えています。

いま新聞でさかんに目にするオリンパスのショールームは昔から小川町の交差点近くにあります。

ここから地下鉄に乗り、有楽町の電気ビルにある「日本外国特派員協会」のクラブに向かいました。
還暦越えが4人、古稀越えが6人。約3時間、温めた紹興酒ボトルを次々開けて談論風発、楽しい集まりでした。
元勤務先のこの仕事仲間は、技術屋さんがメインで、えらそうにしたい人は誰もいません。現役時代には上下関係はあっても
基本はお互いみんな対等な関係でした。そして昔の自慢話など誰もしません。だから今も長続きしているのでしょう。
久しぶりの紹興酒は旨くて、ちょっと飲みすぎましたが、翌朝はすっきり目が覚めました。来年もこの会に参加したいと強く思いました。





