「絶滅」していたカメ、100年ぶりに発見される
2月のoh散歩会!は小田急沿線の二つの駅を訪ねた。当日はいい天気で温度も上がり散歩日和だった。博物館から外を見る☝
思いがけなくイノシシ展に巡り合ったが、展示コンテンツの奥行も幅も望外の内容で、自分は知らなかったが歴史ある東京農業大学の
実学とアカデミズムが持つ良きコラボの底力を感じた。
梅ヶ丘駅から歩いてすぐの梅ヶ丘梅林羽根木公園は名所らしく平日にもかかわらず沢山の老若男女や外国人が訪れていた。
昼食は当地の有名な寿司店に入ろうとしたが40人ほど並んでいて断念(笑)。
結局その名も「梅江飯店」で。中国人がシェフの店であたりだった。
阿智胡地亭は酢豚定食をオーダー。材料それぞれの持ち味を引きだしていい味を出していた。
「グッド・ナイト・ベイビー」のヒットで知られるコーラスグループ「ザ・キングトーンズ」のリーダーで、歌手の内田正人(うちだまさと)さんが十五日、病気のため死去した。八十二歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。
一九六〇年に四人組コーラスグループ「ザ・キングトーンズ」を結成。米国で流行した合唱スタイル「ドゥーワップ」を取り入れ、リードボーカルを務めた。六八年に「グッド・ナイト・ベイビー」でレコードデビュー。ファルセットを使った伸びのある高音で注目され「スカイテナー」とも呼ばれた。
七〇年代以降は「ザ・プラターズ」など、本場米国のドゥーワップグループとも共演。ラッツ&スターやゴスペラーズなど多くの後進に影響を与えた。
ザ・キングトーンズ グッド・ナイト・ベイビー Goodnight Baby / The Kingtones
一部引用・・・しかし、誰もが知っているし、しばしば指摘もされているように、議会が統治に関わるすべてを決定しているとか、行政は決定されたことを執行しているに過ぎないというのは誤りである。なぜなら、行政は執行する以上に、物事を決めているからである。
たとえば新しい保険制度が作りたい。それを考えるのは官僚である。官僚がそれを議員のところにもっていく。議会では「はい、これでいいです」とお墨付きをもらうだけである。
あるいは、新しい道路を作りたい。「ここに道路を作ったらどうか?」「そこに作るのはおかしいでしょう?」などと議会で話し合ったりはしない。すべて役所が決めるのである。議会はその予算案を承認するだけだ。
実際に統治に関わる実に多くのこと、あるいはほとんどのことを、行政が決めている。しかし、民衆はそれに関われない。私たちに許されているのは立法権に(ごくたまに、部分的に)関わることだけだ。
それではとても「民主主義」とは言えないように思われる。民衆が実際の決定過程に関われないのだから。しかし、それでもこの政治体制は「民主主義」と呼ばれている。なぜか? 立法府こそが統治に関わるすべてに決定を下している機関であり、行政はそこで決められたことを粛々と実行する執行機関に過ぎないという前提があるからだ。この前提、主権を立法権と見なす前提があるために、実際に物事を決めている行政の決定過程に民衆が全く関われなくても、「民主主義」を標榜できるようになってしまっている。
ここにあるのは実に恐ろしいシステムである。主権者たる民衆は実際の決定過程からははじかれている。だが、にもかかわらず体制は民主主義の実現を主張できる。立法権こそが主権であり、立法権を担う議会こそが決定機関であるという建前があるために、民衆が立法権にさえ関わっていれば、どんなに選挙制度に問題があろうとも、どんなにその関わりが部分的であろうとも、その政治体制を民主主義と呼ぶことができる、そういうシステムが作り上げられているのだ。
市民が行政権力に関わることができないという民主主義の欠陥――沖縄県民投票について考えるために - 國分功一郎 #BLOGOS https://t.co/IMRCqyK2lZ
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年2月21日
画像クリックで本文に飛びます。
一年前の今朝、前日神戸から送り出した引っ越し荷物が新しい住まいに運び込まれ、新生活が始まった。あっという間に過ぎた一年だった。
三世代の共同生活を始めた全員が、共に何とか元気に暮らせていることがまずは本当にありがたい。
品川宿は東海道53次の宿場町で一番規模が大きかったそうだ。日本橋を出立し京都や伊勢を目指す旅人を送って親戚や仲間が品川宿まで
送ってきて、一緒に泊まることが普通だったとか。当然その晩は送る側と旅人は宿でどんちゃん騒ぎとなる。
そういうお客様のご要望に応えているうちに宿場の規模が最大になっていったとか・・・。
(wikipediaから一部引用 西沢一鳳の江戸見聞録『皇都午睡』(1850)では、幕末当時の賑わいを「高縄より茶屋有て(案内茶屋也)品川宿の中央に小橋有り
、それより上は女郎銭店、橋より下は大店也。女郎屋は何れも大きく、浜側の方は椽先より品川沖を見晴らし、はるか向ふに、上総・房州の遠山見えて、
夜は白魚を取る篝火ちらつき、漁船に網有り、釣あり、夏は納涼によく、絶景也。 (中略) 女郎屋頗る多し。中にも土蔵相摸・大湊屋など名高し。
岡側の家は後に御殿山をひかえ、浜側は裏に海をひかえ、往来は奥州・出羽より江戸を過ぎて京・西国へ赴く旅人、下る人は九州・西国・中国・畿内の国々より
行く旅人ども、参宮・金ぴら・大山詣り・富士詣、鎌倉・大磯の遊歴やら箱根の湯治、参勤交代の大小名、貴賎を論ぜず通行すれば、賑わしきこと此上なし。
表の間は板敷にて玄関構へ、中店は勘定場にて泊り衆の大名・旗本衆の名札を張り、中庭・泉水、廊下を架し、琴・三味線の音など聞へ、
道中女郎屋の冠たるべし。」と書いている[5]。
この整備された商店街が昔の宿場だったようだ。
途中荏原神社に寄ってお参りした。梅が見どころで奇麗だった。
4時半ごろから喉が渇き店を探したがやはり5時開店の店が多く、ようやく提灯が出ている店を見つけた時には嬉しくて
店の名前がわかる外観の写真を撮る余裕もなかった(笑)。
三人で牛もつ鍋2人前と鴨肉炙り2人前に黒霧島ボトル。ゆっくりのんびり楽しむことが出来た。
請求が三人で8千円。ついみんな口を合わせてまた来ますね、と言ってしまった。
帰りはJR品川駅まで歩いた。距離はあったが酔いがさめてちょうどよかった。
映画『幕末太陽傳』予告編
原美術館を出てから旧東海道へ向かう。数年前にテレビでフランキー堺主演の「幕末太陽伝」のリマスター版を観たが、
江戸末期の品川宿のシーンが映画のラストシーンで、映画が製作された時期の昭和32年の品川のトラックが疾走する陸橋に変わって
なんの違和感もなかったのが面白かった。
教えてもらうまでこんな大庭園が品川駅のすぐ近くにあることを知らなかった。
(写真:しながわ観光協会パンフレットより) (地図:MapFanWebより http://www.mapfan.com/ )
ネットから引用⇒品川駅のすぐ近くに位置するこの御殿の名は、「開東閣」(かいとうかく)です。
もともとは、三菱財閥創業家 岩崎家所有の別邸だったようですが、現在は、三菱グループの迎賓館のような役割を担っているようです。
歴史上では、「岩崎家高輪別邸」だとか「岩崎弥之助高輪本邸」と言われているようです。
完全な私有地ですので、一般の方は入ることはできません。また、公開されている情報が極めて少ないため、印象として、
ベールに覆われた、謎めいた、幻想的で、神秘的な空間になっています。引用元。
京急の北品川駅の近くの踏切を渡るとすぐに旧品川宿の商店街に入る。
一部引用・・だが、私が今回、このコラムであえて強調したいのは、日韓関係には、政治的対立とは別の「友好的側面」も存在するということである。特に、文化交流の面では現在、あの15年前の「ヨン様ブーム」以来の韓流ブームが到来している。言ってみれば、いまの日韓関係は「政冷文熱」なのである。「そんなバカな」と思われる方に、いくつか実例を示したい。観光庁の発表によれば、昨年日本を訪れた韓国人観光客は、前年比5.6%増の752万6000人と、過去最高を記録した。消費額も5842億円と、「爆買い」の中国人に次ぐ額を、多くの消費を日本でしてくれている。同様に、韓国観光公社の発表によれば、昨年韓国を訪れた日本人観光客も、295万人に達した。これは前年比28%増である。こうした日韓交流の増加は、政治問題と関係なく、文化的関係が熱を帯びていることを意味している。
日本と韓国、実は文化面では「史上稀に見る蜜月」 https://t.co/ZMOA4TiAtq @JBpressさんから
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年2月19日
画像クリックで本文に飛びます。
こんなシステムは普通なのかどうか知らないが、読みたい本の予約を図書館にメールで入れておくと、準備出来次第カウンターで受け取れるとメールが入る。
便利でありがたい。
引越して狭くなった庵のような一室暮らしには小さな本箱しかないので、残して持ってきた自分の蔵書は本当にわずかしかないし、
新しく本を買って置いておくスペースもないが、歩いて行ける範囲に図書館がある生活は前より読む対象の本のジャンルが広がった。
借りても結局最後まで読む事が出来ない本も多いが、それはそれで返せば済む話だ。
今回村上春樹の「風の歌を聴け」を家に帰えり着くやいなや読みだして2時間ほどで読み終わった。
感想はこれが処女作ならこの作家は仕込んだ材料を長期に渡って醸しに醸し、じっくり醸造して自信をもって送り出したプロ志望の人だなと。
そして作品も時代の産物であるなと。彼は小説そのものが好きで好きでたまらないのだと思った。
一言でいえば彼は今様講談師だと自分は思う。「講談師見てきたような嘘をつき」という言葉があるが金をとって人を嘘で楽しませるのは
並の才能では出来ることではない。読み終わって芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」の句が何となく浮かんだが・・。
村上春樹が高校卒業まで暮らしたほぼ同じ阪神間の空間を、高校一年の夏に転校してから社会人になるまで先行して過ごしたが、やはり彼のように
そこで生まれ育ち幼稚園時代からその世界に住んだ人と、工場の社宅暮らしから移って、高校から入った世界では、感じたものや身に着いたものが
違い過ぎて、この小説中の西宮や芦屋や神戸を思わせる舞台環境はかなり自分には遠いものだった(笑)。
もう一冊村上春樹が翻訳した「グレート・ギャッピー」も面白そうだ。この小説は村上の小説家の原点になった小説らしい。
原美術館、2020年に閉館へ。40年の歴史に幕 2018.11.22 「美術手帖」のサイトから引用。
日本を代表する私設美術館である東京・品川の原美術館が2020年12月をもって閉館することがわかった。
1938年に東京・品川に建てられた実業家・原邦造の邸宅。ここをもとに、79年に開館した原美術館が2020年12月、約40年の歴史に幕を降ろす。
原美術館は現代美術の専門美術館として開館して以降、国内外の多数のアーティストたちを紹介し、日本のアートシーンに絶大な影響を与えてきた。
今年に入ってからは、同館がコレクションしてきた50年代以降の作品約1000点のなかから、原俊夫(元同館館長、現アルカンシェール美術財団理事長)自身が選びキュレーションするという初の展覧会を開催。美術館自体の回顧展ともとれるものだった。
人事で大きな動きがあったのも今年のことだ。原美術館とハラ ミュージアム アークの館長を兼任していた原俊夫が退任し、7月1日付で新館長にそれぞれ内田洋子と青野和子が就任しことは記憶に新しい。
閉館の理由としては、竣工から80年を経た建物の老朽化と、古い建築を再利用しているがゆえに、ユニバーサルデザインやバリアフリーの観点からの問題があること。そして、建替えには法規制上の制約も厳しくのしかかる状況などが挙げられている。
2021年からは伊香保のハラ ミュージアム アーク(1988年に開館)を原美術館ARCと改称し、同館が唯一の活動拠点になるという。
原美術館は館内に奈良美智の常設展示室をはじめ、多数のアーティストたちによる作品が常設展示されており、建物を含めてこれらの作品が21年以降、どのような経緯をたどることになるのか、注目が集まる。
東京・北品川の原美術館が閉館へ 2020年末で 2018年11月22日朝日新聞
現代美術を専門とする美術館の先駆けだった東京・北品川の原美術館が、2020年12月末で閉館することになった。美術館が22日発表した。築80年になる建物の老朽化などを考慮したという。
原美術館は1979年、実業家の原俊夫・前館長が、祖父の私邸を改築して開館。東京国立博物館本館を手がけた渡辺仁氏の設計で、白を基調としたモダニズム建築で知られる。ただ古い建物で、公共建築としてはバリアフリーの観点などからも問題があると判断したという。
ウォーホルや草間彌生ら国内外の絵画や立体作品などを収集し、所蔵は1千点を超える。88年には、群馬県渋川市に別館「ハラ ミュージアム アーク」(磯崎新氏設計)を開館。美術館によると、2021年から「原美術館ARC(アーク)」と別館の名称を変え、活動を集約していくという。
2館は公益財団法人「アルカンシエール美術財団」が運営。原氏が理事長を務めている。(森本未紀)
現在開催しているコレクションは
「ソフィ カル ─ 限局性激痛」原美術館コレクションより
会期:2019年1月5日[土]─3月28日[木]
1999年~2000年に原美術館で開催したソフィ カル「限局性激痛」を、フルスケールでご覧いただく再現展を開催いたします。当時の展覧会終了後、全作品が当館コレクションに収められたため、この再現展示が可能となりました。
ソフィ カルは、1953年パリ生まれ。主に写真と言葉で構成した物語性の高い作品の制作で知られます。「限局性激痛」とは、医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味します。本作は、カル自身の失恋体験による痛みとその治癒を、写真と文章で作品化したものです。人生最悪の日までの出来事を最愛の人への手紙と写真とで綴った第1部と、その不幸話を他人に語り、代わりに相手の最も辛い経験を聞くことで、自身の心の傷を少しずつ癒していく第2部で構成されています。この作品は、1999年、原美術館での展覧会のためにまず日本語版として制作され、その後フランス語や英語版も世界各国で発表されました。
自身の人生をさらけ出し、他人の人生に向き合うカルの制作に多くの鑑賞者が心を打たれることでしょう。
鑑賞者にさまざまな問いを投げかけるカルの作品を、この機会に是非ご覧ください。 (原美術館のホームページから)
◎三人会のメンバーはJR大崎駅の北口に集まり昔本社ビルだったビルの横を通って美術館を目指した。
阿智胡地亭が大阪支社へ転勤になってから本社は大手町からこのビルへ移転したので、阿智胡地亭は出張ベースでしか来たことはない。
そして今はまた同じ大崎だが本社は移転したそうだ。訪ねたことはない。
元の本社ビルの横を通り
品川駅に向かうとき時々歩いた道を辿った。
最近までイメージが良かった「ミャンマー国」の大使館も以前の場所にあったが、今や何となく軍部独裁のひどく遅れた暴力国家のイメージになってしまった。
原美術館には日ごろ自分の周辺には見かけない雰囲気の若い男女が次々に訪れていて少し驚いた。どうもアート系大学や専門学校の学生さんたちらしいなと想像した。
以前から外側から建物は見てきたが、中に入ると確かに空間自体が非日常の世界だった。展示のコレクションはある意味難解だったが、
自分に起こった痛みを他人の不幸な体験を聞くことで癒すというその行為は、そうかそうやって自分を取り戻すことはアリなんだと一つの啓示をもらった気がした。
統計不正は森友と同じ忖度行政 #BLOGOS https://t.co/diTa25nErV
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年2月16日
画像クリックで本文に飛びます。
不正をする企業人であることと、良き夫や父であることは両立してしまう。話題作が挑む、人間の想像力の限界 https://t.co/WGaJXeHU02
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年2月16日
画像クリックで本文に飛びます。
それにしても野党が批判したとあるのは解せない。
さすがフエアーな総務省!国民のためを思って真実を追求するまとな部門も役所にはあるんですねと褒め殺しすればいいのに・・・