A Sea Of Albatross || ViralHog
海で見かけるアホウドリって、だいたい空を飛んでいるイメージが強いと思うのですが、海面に浮かんで休んでいるときだってあります。
それも群れ単位で。
海面を埋め尽くすアホウドリ、アホウドリ、アホウドリ。
波間の気流を捉えて、全く羽ばたかずに数千kmを飛行することが可能と言われるアホウドリですが、こんな風に海上に浮かんでいることもあるのですね。
漁船の近くでエサを狙っているとの意見もありました。引用元。
A Sea Of Albatross || ViralHog
海で見かけるアホウドリって、だいたい空を飛んでいるイメージが強いと思うのですが、海面に浮かんで休んでいるときだってあります。
それも群れ単位で。
海面を埋め尽くすアホウドリ、アホウドリ、アホウドリ。
波間の気流を捉えて、全く羽ばたかずに数千kmを飛行することが可能と言われるアホウドリですが、こんな風に海上に浮かんでいることもあるのですね。
漁船の近くでエサを狙っているとの意見もありました。引用元。
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今より何故か文明度が高いように見える。 https://t.co/jfc3GdsMuj
— よしログ (@yoshilog) September 18, 2023
「かんたん!」どこが?苦情相次ぐ 東京都「018サポート」給付申請 44億円費やしたのにこの不親切さ <ニュースあなた発>:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/TMnR6UZOzT
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 18, 2023
「お前がジャニーズ事務所を壊した、最低だという声が届く」…カウアン・オカモトさん記者会見 : 読売新聞オンライン https://t.co/NOyXLBidOn
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 18, 2023
ジャニーズ事務所の小児虐待事件で企業の広告が問題になってるけど、大手広告代理店の関与がどうなっているのかが出てこない。
— 木野龍逸 (Ryuichi KINO) (@kinoryuichi) September 18, 2023
電通はこれまでのことをどう考えているのか、これからどうするのか、まったくわからない。
他人事に見てるとしか思えないのだけど、どうなのか。
ジャニーズ問題で「CM起用中止の企業」に問う #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://t.co/Fgabe7D4UZ
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 18, 2023
民放の中でも一番問題なのは、ジャニーズ事務所擁護の早河洋会長率いるテレ朝だろう。サンデーLIVEで東山紀之氏の降板後、3週連続で性加害問題をまさかのスルー。不都合な事実に蓋をし、報道番組を名乗る資格がないのでは… pic.twitter.com/5Ev3uo3gUh
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) September 18, 2023
法人登記簿に記された住所を元に現地を訪ねてみたところ、冒頭のように単なる倉庫だった。すなわち、1200万円超の政治資金が、折田氏が取締役を務める影も形も無い会社に還流する構図になっているのだ。https://t.co/G59JBX1KVL
— 週刊文春 (@shukan_bunshun) September 18, 2023
「自民のプリンセス」小渕優子氏、乗り越えるべき偉大な父と古い政治:朝日新聞デジタル https://t.co/bYg8d9ZeyM 表舞台から遠ざかって9年。「自民党のプリンセス」は目に涙を浮かべながら明日への決意を語った。彼女の政治家としての来し方は、日本政治の体質の古さを象徴するかのようだ。
— 保坂展人 (@hosakanobuto) September 18, 2023
この番組は、様々な記者会見を振り返るシリーズなのだろうか、それとも単発の番組なのだろうか。それもよく分からずにいるのだが。 https://t.co/Unfgv7l9uW
— Shoko Egawa (@amneris84) September 18, 2023
要するに、中国外務省報道官による鉄面皮の記者会見と何ら変わるものでは無いということ。情報は常に一方通行で質疑応答の生産性はゼロ。
— A Mizushima (@AMizushima2) September 18, 2023
共に民主主義を標榜する両政府であるが、中国は中国式の民主を目指し、日本政府も日本式の民主主義を目指す?
今見ている景色はとても民主的とは思えない。 https://t.co/CIFX71fw3J
福島の子どもたちを代表して4人の小中学生が原子力保安院、文科省に意見を述べた。 「どうしてこんな思いをしなくてはいけないのか」と訴えた。 主催したのは、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークなど4団体。 原発事故の一番の被害者である福島の子どもたちの声を永田町に届けようと企画したもので、会場の衆院議員会館には、首都圏だけでなく、 京都や山口県などからも詰めかけ、子どもたちの声に耳を傾けた。 中学2年生の橋本伽耶さんは、「わたしは6月に転校をしてとても悲しい思いをしました。 友達も泣いて別れを惜しんでくれました。こんなふうにバラバラになっていくのは、わたしたちにとって耐え難く悲しいことです。 出て行った人も残った人もお互いのことが心配でたまりません。ですから、わたしたちが学校の友だちとみんなで安全な場所に避難できるよう、真剣に考えてください。 そして、わたしたちが避難している間に、森も山も川も田畑も、福島県全域を徹底的にきれいにする計画を立てて、実行してください。 わたしたちが将来安心して暮らせるよう、最大限の努力をしてください」と訴え、避難範囲を見直し、学校ごと集団疎開できるよう訴えた。 子どもたちのストレートな問いに対し、政府の担当者は、「除染が期待されていると思うので頑張ります」と回答。子どもたちの悲しい思いはそういうことではない。 疎開についてはどう思うのかと指摘されると、マイクをたらい回しにし、10人出席した政府関係者は誰ひとり、きちんとした回答をしなかった。引用元はこちら |
〇報道被害を受けた病院・医師の名誉回復の処方箋 こちら 〇掘って埋める、その前に (児玉教授の実活動の一環も報告されている) こちら 〇アメリカ経済の現在位置 こちら 〇 神戸市民1人当たり借金66万2000円! こちら |
〇中国高速鉄道事故と福島第一原発事故に共通するもの(2) こちら 〇原発がなくても電力は不足しない(外国と日本の情報格差) こちら 〇健康や命より国が優先したもの 小出裕章(そもそも総研) こちら 〇ヤマトは我なり こちら |
保安院院長 歴代5人、エネ庁在籍 原発推進側の同省資源エネルギー庁に在籍経験があることが分かった。保安院は環境省の下に新設する「原子力安全庁」に統合される方向だが、 規制機関として独立性を保つには、人事面でも推進側の影響力を排除することがカギとなる。 続いて〇一年一月の同院発足時に原子力などの安全政策を立案する企画調整課長になった。 〇八年から一年間は保安院次長を務め、院長の前は保安院の原子力災害特別対策監と本省の商務流通審議官を兼務していた。 いきなり保安院ナンバー2の次長になった。保安院長は深野氏で六代目だが、エネ庁在籍歴がないのは旧科学技術庁(現文部科学省)出身の一人だけだった。 同じ役所の中に規制側と推進側があることにより、安全規制をゆがめたことはなかったと思う」と、問題ないとの認識を示した。 エネルギーの安定的で効率的な供給を担い原発を推進する同省の外局。保安院は2001年の省庁再編で、旧通商産業省本省が担っていた原発の設置許可などの従来業務と、 旧科学技術庁の原子力安全行政の一部を統合して発足した。 |
原子力発電に関するあらゆる業務に従事して、電気料金や国税から大きな年収を得ている人たちがいる。そのグループメンバーが住み着いている楼閣を総称して“原子力村”という。 ・放射能取扱いを束ねてきた文部科学省の公務員さんたち ・原発差止め裁判を担ってきた最高裁以下の裁判所の公務員さんたち ・原発定期点検現場の作業員の労働条件を監督してきた厚生労働省の公務員さんたち (この数字は自己申告の数字なので押し紙分が相当部数入っていると見ないといけない。「押し紙」についてはこちら。) マスメデイアの活用の一例として、参考記事を紹介します。 |
☆原子力村は経済産業省が仕切っているが、国土交通省が作ってきた村もある。 原子力村と同じような「政官産学マスコミの五つの旦那衆」による強力ペンタゴンの共同体だ。 リニア新幹線が起案されたころは、日本の経済は上り坂一方で、新幹線の客はどの車輛も満員に近く、需要予測をすると輸送能力不足が見込まれた。予測をしたのは30年以上前の話だ。 時速500キロで走行時の超電導リニアの想定消費電力は、1列車で約3・5万キロワットにもなるという。この新幹線が必要とするのは、原発数基分に匹敵するエネルギー量になる。 今や廃炉が決定的となった浜岡原発の復活論をバックアップするために、福島第一原発メルトダウン事故の直後にリニアのプロジェクトをぶちあげたのであれば、いっそう許し難いことである。 こんな巨大な電力を浪費するプロジェクトを立ち上げるその無神経さにあきれる。 こんなものはまったく不要であると、97%の圧倒的な国民がその建設に反対している。 、電気自動車とリニア中央新幹線の未来が閉じられたことを、メーカーと関係者は早く認識する必要がある。 |
戦前、日本では野菜のセロリ(celery/和名・オランダ三つ葉)は殆ど知られていませんでした。
☆ 日本が太平洋戦争に敗けた後、米軍(英、豪州軍も)が日本各地に占領軍として数多く駐留しました。
昭和20年の占領初年から、この8月15日で丸58年が経過し、彼らは名前が変わって同盟軍として58年経つ今も、継続して駐留してくれています??
(2003.7.14記)
占領軍のトップであるゼネラルマッカーサー始め米軍将兵は生の野菜をサラダで常食するのでその材料の調達が毎日毎日必要でした。
しかし日本に新鮮な野菜はありましたが、生で食べる事が出来る野菜は調達出来ませんでした。
なぜなら、当時の日本では、殆どの野菜農家は日本列島太古からの伝統リサイクル黄金肥料(早い話が人糞肥料)もかなり使っているのがわかったからです。
戦前の日本では今の中国、台湾人と同じで野菜を生で食する習慣は一般家庭では殆どありませんでしたし、日本人は昔から低コストで資源の有効活用をしていたのです。
止むなく占領軍の調達部は日本政府に命じ、清潔な環境で化学肥料のみを用いて野菜を作らせるようにしました。
米軍調達部”野菜栽培Cord”で作らせた野菜の中には、ジャガ芋、ニンジン、キャベツ、玉葱、などに交じって彼らの好物ではあるが、
それまで日本ではあまり栽培された事が無い種類がいくつかありました。
その一つにセロリがありました。
当時の農林省は、アメリカ本国でセロリを栽培している土地の気候風土を調べたところ、寒冷地が適地であり、朝夕と昼間の気温差が大きく、
カラッとして湿度が低い土地に良質のセロリが育つという事がわかり、北海道や長野県で試験栽培しました。
長野県で栽培されたのは八ヶ岳の麓の高地で、現在の茅野市や今ペンション村で知られる原村あたりがその中心です。
色々と試行錯誤の結果、アメリカで取れるセロリ並みの品質のものが出来るようになり、苗の生育、成長途中、取入れ、洗浄、梱包、輸送と
米軍検査部門の厳密な検査にパスし関東、中京地区の米軍駐屯地へ出荷されるようになりました。その輸送箱にはわざわざ「清浄野菜」というラベルが貼られて出荷されました。
日本の普通の八百屋(日本にスーパーが出現する10数年前の時代です)で売られて、我々の親や我々が日々食した野菜は、彼らにとっては清浄ではなかったのですね。
☆ 中学校の夏休みに母の里の八ヶ岳山麓の茅野市玉川へ四日市から遊びに行って、始めてセロリに 出会ったとき、セロリが積んである土間へ入ると、
あの独特の匂いが漢方薬の匂いのようだと思いました。
その後長い間セロリは四日市の家の近くの八百屋では見かけませんでした。
そして時代が下って、セロリも徐々に人に知られるようになり、関西でも万博以降マーケットにも少しづつ出回るようになり、
今ではどこのスーパーでも売られている野菜になりました。
茅野の私の母方の従兄はもう何十年もセロリ専業農家をやっていますし、また諏訪地方ではセロリは、ごく普通のポピュラーな野菜として味噌汁の具や、
漬物にも使われてよく食べられています。洗ってマヨネーズをつけて一本そのままバリバリ食べるのと、漬物にしたセロリの浅漬けは私の大好物の一つです。
諏訪・茅野地区は寒天や凍豆腐(高野豆腐)の産地でもあるほどの寒冷地なので、お米の単位あたりの収穫量は良くない土地ですが、
セロリは東京という大消費地へ出荷が出来る夏季の有利な近郊野菜として栽培が長く続いています。
恐らく今でもセロリの出荷額では日本の中では長野県がトップclickだろうとおもいます。
*以上の話は 最初に農林省から試験栽培を言われた農協の一つの組合長をしていた母の兄である伯父と一緒に、日本で最初にレタス栽培導入に携わり、
今も専業でレタスを作っている従兄から今回の前半の話を聞いて構成。
♪ところで昭和20年代後半の朝日新聞に連載された「ブロンディ」というアメリカ家庭漫画があり、亭主のダグウッドが会社で弁当を食べる場面で、
紙袋からパンとは別に、白くて長いものを出してかぶりついている場面がよくあり、あれはなんだろうと長年思っていたのですが、
あるとき「ひょっとしてセロリじゃないか」と思い当りましたがどうなんでしょうか。
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Before the war, the vegetable celery (Japanese name: Holland mitsuba) was almost unknown in Japan.
After Japan lost the Pacific War, many U.S. troops (including British and Australian troops) were stationed in various parts of Japan as occupying forces.
It has been 58 years since the first year of occupation in 1945, and they are still stationed in Japan as allied forces even though their names have been changed.
(2003. 7. 14 note)
General MacArthur, the head of the occupation forces, and other U.S. generals ate fresh vegetables in salads on a regular basis, so it was necessary to procure the ingredients for them every single day.
However, although fresh vegetables were available in Japan, it was impossible to procure vegetables that could be eaten raw.
This is because, at that time, most vegetable farmers in Japan were found to be using a lot of traditional recycled golden fertilizers (or human feces fertilizers), which have been used since the ancient times of the Japanese archipelago.
In prewar Japan, as is the case with the Chinese and Taiwanese people of today, it was not customary for most households to eat vegetables raw, and the Japanese had always made effective use of resources at a low cost.
The Occupation Procurement Office ordered the Japanese government to produce vegetables in a clean environment using only chemical fertilizers.
Among the vegetables grown at the U.S. Military Procurement Department's "Vegetable Cord" were potatoes, carrots, cabbage, and onions, among others, which were their favorite foods,
Among the vegetables grown in the "Vegetable Growing Cord" were potatoes, carrots, cabbage, onions, and other vegetables that had never been cultivated in Japan before.
One of them was celery.
The Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries at that time investigated the climatic conditions of the land where celery was grown in the U.S., and found that cold regions were suitable, with a large temperature difference between morning and evening, and during the day,
The Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries conducted trials in Hokkaido and Nagano Prefectures, finding that celery grows best in cold climates with a large temperature difference between morning and evening and low humidity.
In Nagano Prefecture, celery was cultivated in the highlands at the foot of Mt. Yatsugatake, mainly in present-day Chino City and Hara Village, now known as Pension Village.
After much trial and error, it became possible to produce celery of the same quality as that grown in the U.S.A. The seedlings were grown, grown, taken in, cleaned, packaged, and transported to the U.S.A. for strict inspection by the U.S. military inspection department.
After passing strict inspections by the U.S. military inspection department, the celery was shipped to the U.S. military garrison in the Kanto and Chukyo areas. The shipping boxes were labeled "clean vegetables" for the purpose of shipping.
The vegetables that were sold at ordinary Japanese grocery stores (this was more than 10 years before supermarkets appeared in Japan) and that our parents and we ate every day were not clean for them.
When I went to my mother's hometown, Tamagawa, Chino City at the foot of Mt. Yatsugatake during summer vacation in junior high school from Yokkaichi and met celery for the first time, I went into the earthen floor where celery was piled up,
When I entered the earthen floor where celery was piled up, I thought its distinctive smell was like the smell of Chinese herbal medicine.
For a long time after that, celery was not seen in the grocery stores near my house in Yokkaichi.
Then, as time went by, celery gradually became known to people, and even in the Kansai region, after the Expo, it began to appear in markets little by little,
Nowadays, celery is a vegetable sold in every supermarket.
My cousin on my mother's side in Chino has been a celery farmer for decades, and celery is also a very common and popular vegetable in the Suwa area,
In the Suwa area, celery is a very common and popular vegetable used in miso soup and as a pickle. Celery is often washed, dipped in mayonnaise, and eaten as is, and pickled celery is one of my favorite dishes.
The Suwa-Chino area is a cold region that also produces agar and frozen tofu (koya-dofu), so the yield per unit of rice is not good,
However, celery has long been cultivated in Suwa as an advantageous suburban vegetable in the summer season that can be shipped to Tokyo, a major consumption center.
Nagano Prefecture is probably still the top clic in Japan in terms of celery shipments.
The above story is about my uncle, who was involved in the first introduction of lettuce cultivation in Japan together with my mother's brother, who was the head of one of the agricultural cooperatives that was first asked by the Ministry of Agriculture and Forestry to conduct experimental cultivation,
I heard the first half of this story from my cousin, who still grows lettuce full-time, and composed it.
 By the way, there is an American family cartoon called "Blondie" that was serialized in the Asahi Shimbun newspaper in the late 1945s, in which the husband, Dagwood, eats his lunch at work,
In the scene where the husband, Dagwood, is eating his lunch at work, there is often a scene where he pulls out a long, white thing from a paper bag, separate from the bread, and covers it with it, and I had wondered what that was for many years,
One day it occurred to me that it might be celery, but what do you think?
Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)
【木原氏退任でも「露木警察庁長官発言」は絶対に看過できない岸田内閣の重大問題!】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#271
いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。
旧統一教会への解散命令請求「賛成」86% 毎日新聞世論調査(毎日新聞)#Yahooニュースhttps://t.co/sTMsEmp7QL
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 17, 2023
支持率は発足以来最低タイ 毎日#Yahooニュースhttps://t.co/cIui9ioC8B
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 17, 2023
何回見ても腹立つなこれ pic.twitter.com/hZGlBSgcF4
— Mitz (@hellomitz3) September 17, 2023
80歳以上、10人に1人 高齢者29・1%、世界トップ:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/71cD8X7562
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 17, 2023
ラグビーワールドカップとジャニーズ性加害スキャンダルとフランスの日本のマスメディア批判|World Voice https://t.co/dSweFNECXX
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 17, 2023
「『財務大臣に会わせろ』と交渉してきたが副大臣対応になった上、副大臣は急遽病気に。失望した」
— STOP!インボイス (@STOPINVOICE) September 17, 2023
末松義規議員からの報告です。
当会も財務大臣に面会をお願いしていましたが、署名は受け取ってもらえず。
日本一の署名数50万にして再度、署名の受け取りを要請します✊→https://t.co/ZmjOaoyR5g pic.twitter.com/koBhwf8BrX
関東大震災後、憲兵大尉の甘粕正彦らが大杉栄・伊藤野枝を虐殺した甘粕事件では、大杉のおいで6歳だった橘宗一も殺されている。事件から100年。
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) September 18, 2023
保存会世話人の竹内宏一さん
「権力によって思想が弾圧され、幼き命が粗末に扱われるような時代に二度と戻ってはならない」https://t.co/Vun0mW5he4
原告が倒れ傍聴席の抗議で騒然としても制止も気遣いもせず判決を読み続け退廷した裁判官。#文春オンライン の記事が #Yahooニュース に転載。【「#森友 改ざん訴訟」まさかの敗訴に #赤木雅子 さんは法廷でくずおれた「私、負けたの?」 抗議の声で騒然とする中、裁判長は…】https://t.co/fGjLxLaqdS
— 相澤冬樹「リアル徒然草」配信中 (@fuyu3710) September 17, 2023
処理水放出について
— 125 (@siroiwannko1) September 17, 2023
東京大学 斎藤幸平准教授
「中国が反対することを日本政府も分かってたわけですよね、それを説得出来ないまま流しちゃってるのは、結局 外交の失敗なわけであって、更に言うとそこに『風評被害とか始まってきたから、500億円付けます』でもそれじゃ⇒#TVタックル pic.twitter.com/RYY3Mv272b
加藤鮎子こども政策担当相、
— かもうのかけ小 (@AfYjpB3h5Hp0n6g) September 17, 2023
先日の実母への政治資金還流がバレたのに続き、今度は法律の上限超のパーティ券代をひとつの政治団体から受け取っていた、と記載(朝日新聞)
政治資金収支報告書に不正があっても訂正し、間違いだったと簡単に済ます政治家…
お父さん、泣いてるよ!… pic.twitter.com/mlOj3fXfs4
「どの程度、虐待を受けたのか情報量が少なかった」と裁判員。控訴審でこの点をもう一度しっかり審理した方がいいのでは? ⇒両親殺害裁判 裁判員を務めた3人が会見|NHK 佐賀県のニュース https://t.co/MLmWQWOqBK
— Shoko Egawa (@amneris84) September 18, 2023
殺されるかもしれないのに、外務省は「早く帰った方がいい」と… タリバン復権から2年、在日アフガン難民800人は今… pic.twitter.com/FfK6Y6spvw
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) September 18, 2023
毎日新聞のスクープ。 pic.twitter.com/ZnPQtvsl9x
— 宮本徹 (@miyamototooru) September 17, 2023
この方は、五輪のスポンサーも「あの人」ゆえに断っていたのか…。⇒【独自】《ジャニーズCM打ち切り問題》元ネスレ社長独占告白! 看板商品のCMに退所後の香取慎吾さんを起用...「タレントには罪がない」という理由 @gendai_biz https://t.co/SvUjKIOE9B #現代ビジネス
— Shoko Egawa (@amneris84) September 18, 2023
児玉龍彦・東大教授に聞く 国土への思いが、子どもと妊婦を守る思想の原点 東京大学先端科学技術研究センター教授/アイソトープ総合センター長。 1953年東京都生まれ。筑波大学附属駒場中学・高等学校を卒業後、 東京大学医学部に入学。77年同校卒業後、東京大学医学部附属病院医師、85年マサチューセッツ工科大学研究員、96年東大先端科学技術研究センター教授(現任) 衝撃的な推定値を明らかにし、除染作業と食品汚染検査の徹底を提言した。 遺伝子解析による創薬研究で世界的に知られる科学者が募らせる、危機感と焦燥――臨床医らしく普段は穏やかな児玉教授の熱い行動の原点には、何があるのだろうか。 |
20110814 アメリカから見た福島原発事故1 投稿者 PMG5
メディア報道がいかに御用化しているかが、よくわかる反面教師の番組だった。 最初に米国・GEによってつくられたマーク1型の危険性をGEの主任技術者が問題点を告発したが、GEにも電力会社にも無視された経緯が興味深い。 67年に稼働した福島第一原発一号機もこの危険なマーク1型の原子炉で、国内にまだ10基設置されているという。 しかも、福島原発では自家発電機を一機増設したものの、電力会社の都合で地下に設置され、通産省(現経産省)も正式に認可を与えたのだ。 筆者がしつこく批判している、政治家、官僚、企業、学者、メディアが総がかりで「原発利益共同体」を維持・促進してきた構図がわかりやすく解き明かされていた。 この番組でも指摘されていたが、格納容器を守るために高濃度放射線交じりの水蒸気をベントで放出するというヤリクチも、 自ら放射線漏洩の危険性を前提にしているという事ではないか。NHKも「アメリカが見た」とタイトル付することで、 逃げを打ちつつ原発タブーに切り込んだ番組がつくれたのだろう。引用先 こちら |
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交付金で原発後押し レベル7翌日 「新設は増額」 新増設時の交付額を増やす一方、既設の原発では発電実績に応じて交付額を決める方式に変更していたことが分かった。事故収束に向けた見通しが立たず、 原因究明もままならない時期に、新増設や運転を後押しする改正をしていたことになる。 経産省原子力安全・保安院が福島第一原発事故の国際評価尺度を、旧ソ連チェルノブイリ原発事故と同じレベル7に引き上げた翌日のことだった。 運転開始までの十年間に立地自治体へ支給する額は、四百四十九億円から四百八十一億円に三十二億円上積みした。 二年間の経過措置はあるものの、今後は発電量だけが基準になる。 「核燃料サイクル施設交付金相当部分」も、発電量や稼働実績を重視して交付する。 表紙に「大改正後の新たな交付金制度」と記し、「新たに地域活性化事業が交付対象事業に追加」などと、これまでの制度との違いが分かるようになっていた。 だが、今回は新制度の内容しかなく、どこを変更したのか前の冊子と比べないと分からない。 官報の告示時期には「特段大きな意味はない」としている。 昨年6月に菅直人内閣が閣議決定した基本計画では、原子力について「安全の確保を大前提として、国民の理解と信頼を得つつ、 新増設の推進、設備利用率の向上」などを図るとしている。30年までに14基以上の新増設を行う目標を掲げている。 |
〇漁師仲間の飲食・タクシー代まで原発持ち 原発で波高まる津軽海峡夏景色(下) こちら 〇曖昧な科学で遅れた放射線「ホットスポット」 飯舘村の避難区域指定 こちら 〇被災者を救う。明らかになる口腔ケアの重要性と 被災地への支援の現状 こちら |
〇「大本営発表」を続けるマスメディアの大罪 こちら 〇「東電に賠償させる方法教えます」 弁護士が説明会 こちら 〇同調圧力と思考停止 こちら |
「さくら丸に乗って帰ろうじゃありませんか」 本書中で私の心に残った二つの文章を掲げる。どうぞ静かに丁寧に読んで頂きたい。 しかし、優秀な専門家の集団であった大日本帝国の大本営が、いかに多くのあやまりをおかしたかを貴重な教訓とするならば、 〝専門家〟の言葉は〝健全な常識〟で、その適否を判定しなければならない。 /帝国大本営の「計画」は、〝画餅〟の類であり、願望の表明か決心の宣示でもあって、事柄の実行可能性については、全く無関心であった、ということである。 この旧日本軍人の意識が、今日の自衛隊の幕僚の意識である。 どんなに冷たかった事でしょう、どんなに待ち遠しかった事でしょう。三十五年間もお迎えに参らず、ほんとうにすみません。 お許し下さい。/どうぞ私たちの肩に、そしてさくら丸に乗って帰ろうじゃありませんか。終わりにテープを海に投げますのでこのテープに伝わって帰りましょう 一億二千万人の待っている日本に帰りましょう。 (海原治著『日本防衛体制の内幕』、時事通信社、1977年)
「沖縄 台湾 フィリピン海域洋上慰霊団」は客船「さくら丸」を1980年にチャーターして「洋上慰霊祭」をした。 その団長で元海軍軍人の渡辺守という人の言葉の一部である。 8月15日はメディアが戦争を回顧する日ではない。一人ひとりが戦争を考える日である。本書は、その考えに同感する読者に薦めたい著作である。 |
週刊朝日記者が体験、体内から「まさかの」セシウム つい眠くなってしまった。後で聞くと、モニターに映し出されたうつろな顔は、不安におびえているように見えたらしい。 パソコン上に表示された、放射性物質が放出するγ線のエネルギーに従って体内汚染の量を示す棒グラフを示しながら、細井教授が淡々と言う。 ヨウ素131は検出されていないので、ピークが見られません」 |
Dog Gets Scolded For His Crimes || ViralHog
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インボイスは全国民に負担強いる“消費増税”だった!「景気は悪化、生活がより苦しくなる」未来(週刊女性PRIME)#Yahooニュースhttps://t.co/qUPWnMsrhr
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 16, 2023
「それは個人の感想でしょ?」相手を黙らせても問題解決には1ミリも役に立たない…内田樹が反対する“知のアナーキー”
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 16, 2023
内田樹インタビュー#1 #文春オンライン https://t.co/MCxK7rh4U5
エンタメ業界の性加害、日米の社会的制裁の違い #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://t.co/76XoFd4B6l
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 16, 2023
ネスレ日本元社長、ジャニーズ性加害問題は「20年以上前から噂として知っていた」一度もタレント起用せず― スポニチ Sponichi Annex 芸能 https://t.co/owrz5AhAKA
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 16, 2023
テレ朝の大株主である朝日新聞の経営陣は、ジャニーズ事務所と結びつきの強い早河洋・テレ朝会長にしっかりと子どもの人権を第一に、会社としてとるべき対応を伝えるべきだ
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) September 16, 2023
朝日新聞社「ジャニーズ事務所のタレントの新規契約は見合わせる」 ジャニーズ性加害問題へ対応
亀松太郎氏… pic.twitter.com/NRESkhnxag
成功しそうなら「俺たちが」、失敗しそうになると「俺たちじゃない」。
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) September 16, 2023
「万博が失敗するのではないかとの見方が拡大すると、政府・自民と維新の責任の押し付け合いが目立ち始めた」https://t.co/L8y2pvJDZV
赤木俊夫さんは、公文書の改ざんという「公務員が絶対やってはならないこと」を上位者に強いられて苦悩し自ら死を選んでしまった被害者。その件で誰一人刑事訴追されていない。裁判官として、この状況をおかしいと思わないのか。
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) September 16, 2023
そもそも捜査の継続なんてしてないでしょう?https://t.co/mxvJD5b9KM
#報道特集
— Tad (@TadTwi2011) September 16, 2023
膳場キャスター「今回の内閣改造に私は驚いたんですけれども、旧統一教会に解散命令請求をいつ出すのかというこのタイミングに、所管の文科大臣に旧統一教会との接点を認めている政治家を据えました。… pic.twitter.com/EWNB2bqxea
PFAS汚染、市で独自調査実施へ 東京・立川市の酒井大史新市長にインタビュー「分からない方がリスク」:東京新聞 https://t.co/WsIU4Zuebx 有機フッ素化合物(PFAS=ピーファス)が高濃度で検出されていることに「どれだけ広がっているのか分からない状況が住民の不安につながっている」とし、市独自
— 保坂展人 (@hosakanobuto) September 17, 2023
原発100キロで18万ベクレル 高濃度のセシウム検出 1キログラム当たり約18万6千ベクレルの放射性セシウムが検出されたことが16日、分かった。福島地裁(福島市)が明らかにした。 支部は東京電力福島第1原発から西に約100キロ。今後、県や会津若松市の指導を受け除去する方針。 新潟県柏崎市と刈羽村のガソリンスタンド洗車場の汚泥からは、最大で同9万ベクレルが検出された。 |
☆東京にもう長く住んでおられる方からこんな便りをいただきました。☆ 残暑というか猛暑というか、室内で34℃ですから、ひたすら堪え忍ぶ毎日です。 その地図がこの近隣のものですが番号が数箇所振ってあります。 出陣を見送るなかに飛び立てない機体もあって搭乗員が泣き崩れるのをみた辛い思い出があります。 道案内の途中で話してくれました。 田辺聖子さんなど、この世代の都会の女性は結婚相手の男性が少なく、当時の言い方の“職業婦人”として世を送ることになった人が結構いる年齢層ですね。 |
1945年7月にアメリカ・ニューメキシコ州で世界初の核爆発実験が行なわれ、翌月、広島と長崎に原爆が投下されました。 その後、1998年までの間に、実に2053回もの核爆発が起きています。 数字の羅列だけではピンとこないかもしれません、直感的にわかるように映像化したものがありました。 一部引用・・ 1945年~1998年の核実験が行なわれた事実を世界地図上に視覚化したものです。 ピッピッピッと時を刻む音と、乾いた爆破音で各国が行なった実験の事実を恐怖とともに再現します。 1945年の米トリニティサイトでの世界初の原爆実験から1998年の最後の臨界核実 験までの2053回に及ぶ全ての核爆発を、1か月を1秒に短縮して、 「光の点滅と実験 回数を示す数字だけで、いつ・どこで・どの国が何回、核実験を行ったかを、目と耳で知 る」ことができる。 上段が右から英・仏・露・米、そして月と年代。 下段が同じく印・中、そして爆発数という構成。 下段には、後にパキスタンが加わるが、 イスラエルは公式には未確認のため本作品には登 場しなかった。◆尚、これは、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)が制作した資料でなく、 芸術作品だ!という事を、先ほど自動翻訳してみてわかりました。 マルチメディアアートワークという部門らしいです。 橋本 公氏(はしもと いさお)の作品です。 しかも、武蔵野美術大学 芸術文化学科2002年度卒業制作だとわかりました。全文はこちら |
大分 「最後の特攻隊」慰霊祭 このうち18人が命を落としました。この事実を後世に伝えていこうと、大分市内の慰霊碑の前で、 「最後の特攻隊」と呼ばれる隊員たちが出撃した時刻の午後4時半に合わせて、慰霊祭が行われました。 平和をつくる一助にしたい」とあいさつして、一人一人が慰霊碑に玉串をささげました。昭和51年に慰霊碑を建てるのに携わった四堂子隆さんは「 毎年終戦の日は、いつもとは違った気持ちになります。私たちが語り継ぐことで、皆さんに最後の特攻隊のことを覚えていてほしいです」と話していました。 |
〇村を放射能汚染のアイコンにするな。再生努力への共感を飯舘村のいま~再生への軌跡(1) こちら 〇福島第一原発敷地内で「地割れ、水蒸気が噴出している」情報。再爆発の懸念も。 こちら 〇リスクに直面せざるを得ない3.11後の日本多様性の拡大とソーシャル志向の若者の変化に期待 こちら |
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昭和23年の秋頃から27年3月まで、今の北九州市若松区二島というところにいた。
1、二島の駅で汽車に乗ると二駅ほどで終点の若松に着く。汽車が駅に近づくにつれ、いつも気が重くなっていくのだった。
月に一度か二度母が若松の町に習字を習いに行くのに、字の下手な自分も一緒に習いに連れていかれていた。気が重くなるのはそのことではなかった。
行くたびに毎回、若松駅の改札口の内側にきれいな着物姿のおばさんが立っていて、到着した汽車から降りてくる人に向かって
「ノブちゃん、ノブちゃん、帰ってきたか」と甲高い声で叫ぶのだった。
その人の子供がこの駅から出征して、まだ帰ってこないという事だった。戦争が終って5年経っていた。
子供の遊び仲間が帰還してしばらくしてから、こうして毎日始発から終列車まで駅にいるという。
そして、列車が到着するたびに大声で子供の名前を呼んでいるという。
その人は子供心にも端正な顔立ちの美しい人だった。駅を出てもしばらく子供を呼ぶ声が聞こえていた。気がふれてもう何年もこうしているが、
駅の方も改札口の中へ入れてあげているのは、空襲で焼けたけれど元は大店の奥さんだったからだと母が後で聞いてきた。
2、若松の商店街の真ん中を白い蒸気を吐きながら黒い機関車が静かに走る。 機関車の前に人間が乗って前を注視して、
大きな白い旗をゆっくり振って移動していく。機関車の後ろには石炭を満載した貨車が長くつながっている。
買物客は慣れたもので誰も気にする人はいない。お店の人も普通にお客とやっている。
こんなに身近に柵も無く、動いている機関車を見る事が出来る小学生の私。小走りに白い旗と一緒に走りたいが、母の買物が済むともう帰る時間だった。
出来るだけ長く買物に時間がかかりますようにと念じながら息を詰めていつも見ていた。
若松港の石炭積出の場所まで商店街の中を貨物線のレールが走っていたのだろう。
行きたくない若松も、あの機関車に会えるかも知れないと思ってついていったものだ。
3、朝5時頃、家の外でゴウゴウと大きな地鳴りがしていると思っていたら、戦車たい、戦車たいという人の声がした。
大人の声もして県道の方へ走っていく沢山の下駄の音がやかましくなった。
あわてて半ずぼんを穿いてランニングのままで家を飛び出した。そして人が走っていく方向へ自分も一緒に走った。
朝もやの中に大きな大きな迷彩色に塗られた戦車が何輌も何輌も県道を一列になって、ゆっくり走っているのが見えてきた。
先頭も見えず最後尾も見えず帯のように見えた。
「少年」や「少年倶楽部」の挿し絵でしか見たことがない戦車の、しかも米軍戦車の実物が数えきれない台数がゆっくり移動していたのだった。
もう道の両側は大人も子供も男も女も人で一杯だった。
赤ら顔の恐ろしげな米兵たちが重装備で戦車の上に乗っていた。眠そうな顔をしてぼんやりあちこち見廻していた。
その日、学校はこれを見ることが出来た町地区から通う人間は英雄だった。
それから10年くらいして兵庫県の芦屋にある高校に通っている時、アメリカ映画で「アシヤからの飛行」という映画の広告を新聞で見た。
芦屋に飛行場なんかないのになんやこれはと思ってその広告を読んだら福岡県の芦屋に朝鮮戦争当時、軍需物資の補給航空基地があって、
そこを舞台にした米兵と日本娘の悲恋物語と書いてあった。
そうか、あの戦車群はアメリカから輸送艦で海上輸送され、若松港で陸揚げされて芦屋空港まで移動中だったんだと突然頭の中で一つにつながった。
当時、毎晩毎晩家の上を朝鮮(韓国)に向かってごうごうと大型輸送機が飛ばない日はなかった。この芦屋空港や板付空港から飛んでいたのだ。
町は占領軍の基地とは離れていたので、日常的には米兵を見かけることはなく大人と違って朝鮮戦争は子供にとって身近ではなかった。
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福岡県 若松~飯塚:若松駅~藤ノ木駅~シャボン玉石けん~デンソー九州~北九州学術研究都市~本城駅~折尾駅【空から公式】
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北九州市から小学校2年生当時の写真を入れた手紙が2019年9月に届いた。
封書が届いた。差出人の住所は北九州市八幡西区となっており、お名前には心当たりがない。
封筒を開いてみると手紙と共に写真が一葉同封されていた。
お手紙によると送ってくださった方は、小学校(二島にあった当時若松市立島郷第2小学校)の一、二年時に同じクラスでしたと書かれていた。
遠足で行った撮影場所は今の北九州市の折尾公園だと思うと書いてある。
先生や前列の方の名前が書いてあり、前列右端の阿智胡地亭の隣に座っている方がその方だった。
昭和26年撮影の写真を目の前にして遠い昔の小学校生活が目に浮かんだ。
家から2㎞の通学路は田圃と山道の連続で、入学早々の身には遠かったが学校生活は楽しかった。
幼稚園という団体生活の経験がなく、生まれて初めて集団社会への参加だったが何とか毎日遠い小学校に集団通学で通った。
そのうちに北九州弁にも慣れてみんなと喋りよったですもん。
当時まだテレビもなく、九州弁以外の日本語を聞くのは先生も含めて周囲の全員がNHKラジオだけだった。
当然彼らが喋るのは北九州弁だけだったから、小学校に上がる一年前までは三重県四日市にいて、
そこから引っ越してきた自分は嫌も応もなく、周囲の誰もが喋りよる北九州言葉ば覚えんと学校におれんかったとよ。
Oさんわざわざ68年前の写真を送って頂きありがとうございました。
2019年9月23日記
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損保が自動車販売会社向け取引でカルテルの疑い #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://t.co/5HlhtMo3yZ
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 15, 2023
【編集日誌】9月中旬とは思えない暑い日が続いてうんざりします。そんななか、読者から「なぜ電力は逼迫しなかったの」との疑問が。節電や太陽光発電の貢献などが要因にあげられますが、こんな猛暑でも原発稼働なしで乗り切れたことになります。老朽高浜原発再稼働の日、1面トップにしました。(根) pic.twitter.com/nO39XKaEmE
— 東京新聞編集局 (@tokyonewsroom) September 15, 2023
史上最も暑い夏だった…なのに電力逼迫しなかったわけとは 原発再稼働は本当に必要なの?<ニュースあなた発>:東京 https://t.co/cM5KcllpLg NPO法人・原子力資料情報室の松久保肇事務局長は「電力需要が大きくなる日中に太陽光発電の貢献は大きかった」と再生可能エネルギーの重要性を指摘する。
— 保坂展人 (@hosakanobuto) September 15, 2023
旧統一教会の解散命令、10月中にも請求へ…元信者らの証言など精査し要件満たすと判断(読売新聞オンライン)#Yahooニュースhttps://t.co/h0aCDfA8pM
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 15, 2023
そうなんですね。私が7年前に上野通子議員の事務所を取材した時は「先輩議員の事務所から『取っておいて』と言われて、何も考えずに取っただけだと思う。うちはペーペーだから言われたら『ハイ』と言わなければならない(笑)」と秘書が答えていました。… https://t.co/6e6dRJh7h8
— 鈴木エイト ジャーナリスト/作家『「山上徹也」とは何者だったのか』(講談社+α新書) (@cult_and_fraud) September 15, 2023
昨年のTBSNEWSDIGからの引用です。
— 日刊ゲンダイ ニュース記者 (@gendai_news) September 15, 2023
統一教会からの選挙支援を認めた上で「反社会的勢力ではないのでお付き合いしていくつもり」と居直ったズブズブ議員を、よりによって霊感商法対策も所管する消費者担当の副大臣に起用するとは…。
岸田首相の了見を疑います。#工藤彰三 https://t.co/YGvfbgLXy0
国費投入前に大阪万博を中止すべきだ
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) September 15, 2023
大阪・関西万博の警備費、別枠で国費負担へ 開催費用増、避けられず
外国パビリオン建設などが遅れている2025年の大阪・関西万博をめぐり、西村経済産業相は会見で、建設費・運営費とは別に新たに国費で警備費を確保する方針を明らかに… pic.twitter.com/KqB0r0m2Wk
犬共ニ虐殺サル…甘粕事件で犠牲の6歳男児、その父親が墓石に刻んだ「激しい怒り」(読売新聞オンライン)#Yahooニュースhttps://t.co/2qpZN2VAT9
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 15, 2023
伊藤詩織さんを中傷、110万円の賠償確定 最高裁、漫画家はすみとしこさんの上告を棄却:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/HuTZLFqJRT
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 15, 2023
「私はこうして殺されかけた」ロシア国内で戦争報道に尽力した女性記者が告発…プーチン政権による「言論統制」 #文春オンライン https://t.co/UZQ9gf1OIC
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 15, 2023
高濃度のPFAS検出各地で 広がる健康への不安 | NHK https://t.co/osus7gefSv
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) September 15, 2023
私が代理人を務めて行政不服審査申立てしていた鹿児島市在住のシングルマザーの児童扶養手当支給停止処分に関して「処分は妥当ではない」という審査会の答申が出て、経緯が地元紙の記事になりました。
— 川内 博史 (@kawauchihiroshi) September 15, 2023
皆さんも、何でも相談して下さい。 pic.twitter.com/F85cQhBpfk
ジャニーズ事務所が今日設置した「被害者救済委員会 補償受付窓口」のデリカシーのなさに驚きました。カウンセラーの専門資格者が同席できる形での電話/面談窓口を設置するくらいできないのですかね。ネットの向うに誰がいるかもわからないのに、冷静に入力できる被害者がどれだけいるのでしょうか。 pic.twitter.com/cPTFlUyPsc
— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) September 15, 2023
>建設費が現行の1850億円から数百億円規模で上振れし、2000億円超になる見通しになった。
— アームズ魂 (@fukuchin6666) September 15, 2023
またまたコレを貼れということですね。 https://t.co/pxolPdNYda pic.twitter.com/RtCbjDxq7H
多くのメディアがリニア中央新幹線に反対しているのは静岡県知事だけであるかのような報道を続けてきたが、沿線住民も反対している事実を伝えてこなかった。こうした事実はメディアが報道しなければ知る術がない。https://t.co/4cQKOQtz9I
— Holmes#世論の理性 (@Holms6) September 15, 2023
テレビ局の終わりの始まりか。テレ東以外の民放局トップが覚悟と判断ができていないのだ。現場は良心に従ってもっと声を上げるべき時だと思う
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) September 15, 2023
ジャニーズ起用の民放が恐れるスポンサー撤退 幹部が語る「可能性」… pic.twitter.com/E0Nxa0wuLh
放射性物質:菅首相、除染の専門家呼び2時間議論 児玉氏は「汚染の程度を全部明らかにし、住民中心で除染計画を考えないといけない」などと提言した。 「7万人が自宅を離れてさまよっている時に国会は一体何をやっているのか」と国の対応を批判し反響を呼んだ。 会談は約2時間続き、細野豪志原発事故担当相や松下忠洋副経済産業相らが同席した。【中井正裕】 東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さん(58)が7月下旬、衆議院厚生労働委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが反響を呼んでいる。 がん治療薬開発のかたわら、「行動する研究者」として福島県南相馬市で除染活動を続ける児玉さんに、政府がなすべきことを聞いた。【聞き手・青野由利論説委員】 しかも、原爆に比べて放射線の減り方が遅い。少量の汚染ならその場の線量を考えればいい。でも、総量が膨大な場合、粒子の拡散を考える必要があります。 これは「非線形」という難しい科学になり、予測がつかない場所で濃縮が起きる。だから、稲わらによる牛肉のセシウム汚染や、お茶、腐葉土の汚染といった問題が次々出てくる。 |
道議会どう判断 泊3号機 知事きょう容認 高橋はるみ知事は運転再開を容認する考えを表明する見通しで、知事の判断に対し、議会側がどのような態度を示すかが焦点となる。 3号機の運転停止に否定的な声が強いが、「拙速に判断を求めるのはおかしい」(ベテラン道議)との異論も出ており、知事の容認方針を会派の総意として支持するか不透明な部分も残る。 |
朝日新聞「3面」の「夏、言いたい」欄: 東日本大震災という前例のない大災害に対応するには、新しい政策を考える創造性と、そのリスクに責任を負う覚悟が必要だが、官僚には両方ともできない。
。 民主党政権に代わって「オレたちが乗る」とバスの運転を始めたが、バスの運転なんて初めてだから、いろんな所で事故を起こして混乱してしまっている。 運転は官僚に任せ、大臣は路線図の書き換えを行うという役割分担の変更が必要だ。 民主党の首相には本当にやりたいことがなかったのではないか。次の首相には「自分のやりたいことをはっきりさせてから首相になってください」と言いたい。 だけど44兆円もの歳入不足を埋めるには消費税を25%にまで上げることが必要。どう考えても消費増税で財政再建なんてあり得ない。 民主党も自民党も成長分野として農業、医療、再生可能エネルギーを挙げているが、農業にも病院経営にも株式会社は自由に参入できない。 電力会社も地域独占だ。優秀な企業が活躍できる仕組みをつくるには、農協や農水省、医師会や厚労省など非常に強力な組織と戦わなければいけない。 消費増税をするのに戦う相手は一番弱い庶民だ。 本当に戦うべき相手は既得権にしがみつき成長を阻害している人たち。そこと戦える政治家こそ責任ある政治家、責任政党だ。 例えば海外の漁業会社を連れてきて、福島県沖で取れた魚は、放射能検査をした上で欧州連合(EU)市場に持って行く。EUで売れれば日本でも売れる。 漁船を失った日本の漁業者を雇うことも可能になるのではないか。 これからの日本の成長を考えれば、外国の企業も来てくれるような国にしなければいけない。 高齢者だったら金持ちでも保護するような国はほかにない。「本当に気の毒な人だけを助けるだけにしてくれ」と声を上げなければいけない。 選挙の時だけではなく、ネットなどを利用して普段から政治家に声を届けないと大変なことになると、若い人たちには言いたい。(聞き手・今村尚徳) |
〇「若い人たちの被曝を肩代わりしたい」500人のシニア部隊が原発事故収束に挑む こちら 〇人間は放射線を浴びてはいけない生き物なのです こちら |
天皇皇后両陛下のご臨席をいただき、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
二十世紀の中葉、昭和の時代、遠く太平洋の島々と海原で、アジアやシベリアの山野で、そして沖縄をはじめ国内の各地で、戦場に倒れ、戦火に追われ、 三百万余りの同胞が亡くなられた悲しみの大きさには、いまなお胸のつぶれる思いがいたします。
国の内外すべての戦禍に倒れた方々のみたまに衷心より哀悼の誠を捧げますとともに、最愛の肉親を失い、苦難の戦後を生き抜いてこられたご遺族のみなさまに、深くお見舞い申し上げます。
真夏の太陽が照りつけ、セミがしきりと鳴いて、あの戦争が終わった日から六十六年たった本年三月十一日、わが国は再び大きな惨禍に見舞われました。 地震と津波に襲われた東日本の海岸の街が一瞬にしてがれきの山と化した光景は、あの大戦がもたらした空襲と焼け野原をほうふつとさせ、
さらには原爆投下のヒロシマナガサキをも思い起こさせるものでした。家を失い、家族を津波にさらわれた人々の悲しみは、かつての戦争の悲しみと変わるところはありません。
戦争にしろ、天災にしろ、いま生きている私たちのなすべきことは、「記憶を持ち続ける」ということです。 歴史にしっかり真正面から向かい合い、そこから教訓を得て、反省すべきは反省し、その教訓を未来のために生かしていかなくてはなりません。 記憶しなければならないことのひとつは、先の大戦で、遠く異郷の地でいのちを落とされた二百四十万人の同胞の遺骨の半数近くが故郷に戻っていないことです。 この一年の間、「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」が政府に設置され、遺骨収集への取り組みが強化されました。
しかしなお例えば、風雪ふきすさぶ北方の島、アッツ島で亡くなった約二千六百人のみなさんの遺骨の大半はなお凍れる土のなかに眠っているのです。政府の一層の努力が必要です。
戦争は人間が始めるものでありますから、人間の責任で止めることができるということを心にしっかりきざみたいものと思います。 地震や津波は、それが起こること自体は人間の力で防ぐことはできません。明治、昭和の三陸地方の大津波を記録した作家の吉村昭さんは、 「海の壁」の恐ろしさをつづっています。津波がきたらともかく逃げろという「津波てんでんこ」という言葉もあります。
東日本大震災の復興の槌音のなかで、私たちは、失われたいのちを悼みつつ、再び来るかもしれない天災と戦うために、「記憶」を持ち続けなければなりません。
福島原発の事故では、人間の英知の限界を思い知らされました。大気に放出された放射能は長い年月にわたって、日本の土と水を汚し、 そこに生きるいのちをむしばむ可能性をぬぐうことができません。ヒロシマナガサキの原爆投下、第五福竜丸の被曝を体験した私たちが、
なぜ原発の「安全神話」に寄りかかってしまったのか、痛恨のきわみです。
八月九日の長崎平和祈念式典の「長崎平和宣言」で田上市長は、ノーモア・ヒバクシャを訴えてきた被爆国の私たちが、 どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか、「自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、
未来への責任から目をそらしていなかったか…」と私たちに問いを発しました。この問いに私たちは応えなければなりません。
戦後、わが国は、国際社会の激動のなかで辛うじて平和を守ってまいりました。世界の恒久平和のために、 「核のない世界」をつくるために、引き続き渾身の力を傾けてまいります。日本国憲法の平和の理念を改めて深く心に刻み、
戦没者のみたまの安からんことを祈って、追悼の言葉といたします。
平成二十三年八月十五日 衆議院議長 横 路 孝 弘 |
☆ 2005年9月30日の新聞に「帰らなかった日本兵」◇インドネシア独立運動に身を投じた「一千名の声」◇と言う記事が出ていました。
その書名の本が発刊されたと言う文化欄の記事の題名でした。
これを見た時、1976年、昭和51年にジャカルタで出会った樋口さんを思い出しました。
樋口さんは、そのとき私がインドネシア出張に随行した会社の役員の大学時代の同窓ですが、国籍はインドネシア人でした。
戦争前に愛媛県のN市にあった何社かの会社の合同独身寮で、会社は違ったけれど杉村さんとラグビー部の親友だったと聞きました。
注)「帰らなかった日本兵」とは、日本の敗戦後、再支配を目指して攻めてきたオランダや英国など連合軍に対するインドネシアの独立運動に身を投じ、
祖国日本に戻らなかった兵士たちである。数は確認できただけでも約一千人。多くが独立後に現地女性と結婚、インドネシア国籍となった。
樋口さんは召集を受け会社の寮から帝国陸軍に入隊し、部隊はインドネシアのスマトラ島に駐屯していたそうですが、戦争末期の戦いでオランダ軍の捕虜になり、
銃殺される寸前に、駆けつけた(長く樋口さんが青年達を教育していた村の)村長の嘆願のお陰で釈放されました。
そしてその後、インドネシア独立戦争の時に、インドネシア国軍に参加するよう頼まれ、そのまま将校として銃を取りインドネシア兵を指揮し、
オランダ軍との熾烈な戦いに加わったそうです。
日本の敗戦を知った時も 日本には原爆が落とされ、空襲で殆どの町や村が焼けてしまったと聞かされ、
もう自分の親兄弟も皆亡くなってしまったと思って、それもインドネシアに残った理由の一つでしたとも言われました。
彼は秋田鉱専(現 秋田大学 国際資源学部)で鉱山学を学んだキャリアを生かし、国軍の技術将校として重用され、インドネシアの国籍を取り、
栄進され、個人的にも、インドネシア婦人と結婚されました。
インドネシアが独立し、日本と国交が回復したあと日本の親族とは連絡が取れ、そのご交流を再開されているが、
もう妻、子供もあり生活の基盤もこちらにあるので、日本に戻ろうとは思わなかったそうです。
そして日本の国が戦後、経済復興を遂げていきつあるのを心から喜んでおられました。
「こうして日本企業が昭和40年代からインドネシアでビジネスを盛んにするようになり、いろいろなお手伝いをしてお役に立てて、
私などは幸せです、戦友の多くは、せっかく太平洋戦争で生き残ったのに、インドネシア国軍の将校としてオランダ軍と戦い、戦死したものも多くいますから」と話されました。
はじめて樋口さんがジャカルタのホテルに現れて お会いした時、樋口さんは色浅黒く、濃い口髭を蓄えた、目の鋭い精悍な男性でした。
そしてお話をされる間、温和な笑みが顔に絶えることはありませんでした。
子供さんはアメリカの大学に留学されているとかで、アメリカと日本にも仕事で良く行っていますとの話でしたが、
当時国外に出て2,3回目の私には、こんな風に生き抜いてきた日本人がいるんだと強く心に残りました。
☆終戦からすでに60年。千人を数えた残留日本兵の生存者も、現在は9人にまで減ってしまったが、その方々のご存命中に発刊でき、ほっとしている。
日本でより多くの方に読んでいただくためウェブサイトも開設した。現在残留日本兵の子孫は、二世、三世を含めおよそ2千人である。・・・}
ジャピンドとはジャパニーズ・インドネシアンを略して言う言葉だそうですが、
樋口さんは、自分がジャピンドと呼ばれるような人生を、送ることになるとは思ってもみませんでした、と言われました。
☆新聞記事:2005.9.30 日経朝刊44面。ヘル・サントソ衛藤
(2005年9月30日作成)